蒼天のかけら  幕間  真導士の買い物


真導士の買い物(2)


「……で、まさかオレを殴りに来たとか言わないよな」

 長身の友人は怯えを隠そうともしないで、そんなことを言い出した。
「身に覚えがあるのか」
「いや、診療以外は何もしていない。女神に誓う……」
 両手を上げて首を振るヤクスを、じっと睨みつける。わかっている、こんなことしても意味はない。
 あれから、扉越しに何度か声をかけてみた。しかし、残念ながらサキは部屋から出てこなかった。
 居間で待つのも落ち着かなく、散歩に行こうと外に出た。そして、たまたまのんびりと道を歩いていたヤクスを見つけ、いましがたジェダスの家に転がり込んだところだ。誰かと話して気を紛らわそうとしているのに。あの時に湧いて出た嫌な気分は、まだ胸の内で燻ぶっている。

「それにしても意外でしたね。もうお二人は、気持ちが通い合っているものとばかり思っていました」
 水が入ったコップを、突然の来客に差し出しつつジェダスが言った。
 先ほどまでティピアの姿もあったのだが。ヤクスの姿を見た途端、あっという間に自室へ逃げていってしまった。いきなり過ぎたかと反省はしてみるものの、ティピアの人見知りを考慮するゆとりは、いまのところ皆無だ。
 今度会った時にでも、詫びをしよう。
「勘違いをさせるには十分な状態だからなー。まさかローグの片思いだなんて誰も思わないだろ」
 怯えをすっかり引っ込めて愉快そうにしているヤクスを、さらに睨みつける。
 さては楽しんでるな、こいつ。
「片思いなのですかね? サキ殿にも好意があるようにしか見えません」
「んー。ないとは言わないだろうけど……。まだはっきりしてなさそう」

 真導士とは実に厄介だ。誰も彼もが妙な勘を持っている。
 確かに好意はあるだろう。
 素直な彼女の様子を見ても、清涼な気配を辿ってもそうとしか思えない状態ではある。
 拒絶はないと踏んで、自分の気持ちをさらけ出したのだし。昨日の……あの様子を見ても、期待できる要素は確実に育ってきているはずだ。
 サキが一人で悩みを抱えているのは知っていた。不安の渦とは違うそれについては。いつかちゃんと話してくれるものだと信じて、その時をずっと待っていたものだ。
 昨夜、ついに口を割って出てきたのは、自分を喜ばせるには十分な言葉で――。
 あの発言があるまでは、充足した心地を味わっていたというのに……。ここに来て男の影がちらつくなど、考えてもみなかった。

「……にしてもだ。ジェダスも驚いただろう? ローグがこんなこと言い出すなんてさ。オレも最初驚いたんだよ。まっっっったく自分の本心なんて言わなそうな面しておいて、一切隠さないから」
「確かに……。ローグレスト殿は、知らない内に一人で解決してしまいそうですよね」
「お前達、人を何だと思っているんだ」
「女に小慣れた、好色漢」
 盛大に顔をしかめてやった。
 こいつ、本当に俺のことを誤解してはいまいか?
「……ヤクス、お前な」
「冗談だ、冗談。本当に外見と中身が合ってないよなローグは」
 遠慮なくおちょくって来るヤクスを、延々睨み続けるのは骨が折れる。疲れてしまうので顔の筋肉をゆるめ、ジェダスが出してくれた水を飲んだ。一気に飲み干して空になったコップを食卓に置けば、ジェダスが追加の水を注いでくれた。
 変な気遣いはいらないと前に伝えたはずだが、こういう気の回し方をするのがこいつの性分らしい。
「仕方ないだろ。その顔じゃあ女なんて選り取り見取りだとしか思えない。故郷じゃ浮名を流してましたって言っても、きっと誰も疑わないさ」
 ヤクスの言に、ジェダスが強く肯きを返したのが見えた。
 飛ばしたはずの疲労が戻ってきた。腕を組みながら椅子の背もたれに体重を掛け、思い切り足を伸ばす。
「友の選び方を間違えたようだ……」
「拗ねるな。野郎が拗ねても可愛くない。意外だよな、面のいい奴なら、何の苦労もなく相手を射止めていくものだと思ってたけど。ローグを見ているとオレにも希望が湧いてくる。女神に感謝しないといけない」
 やっぱり男は心根だよなーと、朗らかに言う長身の友人。
 ひどい奴だ。俺の心根が曲がっているとでも言うのか。徹底的に追求してやりたいが、この調子ではからかわれて終わるだけだろう。仕方なしに、苛々した気分ごとなんとか飲み下した。
「……カルデスで浮名が流せるわけないだろう。そもそも渡り歩けるほど女がいない」
「ああ、それは話に聞いたことがありますね。カルデスの女不足はドルトラントで一番深刻だとか……」
「へ? そうなのか。まあ四大国は男余りだから、どこも似たようなものじゃないのか」
「いや、全然違う。カルデスの町はどこも男しかいない。未婚の男女の割合はだいたい八対二だ。……うちの町なんて最悪で、ここ二十年くらい九対一だぞ」
 故郷の現実を伝えれば。二人して口を開けたままの間抜け面で、こちらを見てきた。
「……九対一。それはまた絶望的な数だな」
「だろう? 面がよかろうが悪かろうがあまり関係がない。町の娘が成人した途端、あぶれた男がいっせいに群がるんだ。海賊が出た時よりひどい有様になる。……成人したての半人前が参戦したら、簀巻きにされて海に投げ込まれても文句は言えん」
 毎年起こる、戦のような光景を思い出して疲れが増した。
 昔、二番目の兄が成人した時。無謀にもその戦に参加しようとして返り討ちにあい、実家の倉庫に吊るされていたことがあった。両足の骨が折れていたから。海には投げ込まれなかったようだが。あれを見て、自分は絶対に同じ轍を踏まないと心に誓ったものだ。
「で、でもさ、男同士の争いは置いておくとして、選ぶのは女だろ? 見栄えがいい方が優位になるのは、どの町も変わらないはず……」
 何故か慰めるような口調になってきたヤクス。
 無意識だろう。しかし、もっとも触れて欲しくなかった部分に触ってきた。よりによってこの話題かと、内心で嘆息する。
「同じ顔がいくつもあったらどうする……」
「なぬ?」
「見栄えがいい同じ顔が、ずらりと並んでいたとして。それが優位に働くと思うのか?」
「それって、どういうことだ……」
 意味がわからんと言いたげなヤクス。問いを受け、諦めを込めて回答を渡した。
「俺は男兄弟しかいない。揃いも揃って母親に似てな。どいつもこいつも全部この顔をしているんだ」
 再び間抜け面となった友人達は、先ほどより大きく口を開けてこちらを見てきた。
「……みんな、同じ顔?」
「そうだ。寸分違わずこの顔をして生まれてきた」
「……ちなみに、何人兄弟なのですか」
「上に三人、下に三人の全部で七人。俺はど真ん中だ」
 七人と同時に呟いて、呆れた様な同情したような、珍妙な面構えとなった友人達を眺めつつ。悲惨な実家の状況を思い出す。

 かつて母親は、町一番の美女と称えられていたらしい。
 いまも他家の母親達と比べれば、確かに華やぎを持っている。蟻のように群がる男達をかき分けて、父親がそれを射止めた。
 町内の語り草になっているこの話。子供の時分から何度も聞かされてきたので、兄弟揃って食傷気味だ。
 父親は、町内の男達から深い恨みを買ったようではあるが、それも一時の話。母親の娘なら美女だろうと、町中から期待を集めることになった。
 町の男達の期待を、一身に受けていたはずの我が家。しかし運命のいたずらか。それとも女神の気紛れか。産まれてくるのはみんな男。しかも母親譲りの顔なものだからタチが悪いと、当て擦りをされたのは、一度や二度の話ではない。
 母親は、昔から気が強い女だった。いまに見ていろと子を産み続け、しかし念願の娘が産まれてくることはついになかった。七人作って、そこでようやく娘への望みを断念したらしい。かなりの時を要したが、願望を諦めるのには必要な時間だったのだろう。
 だが、産み落とされた自分達にとってはここからが問題だった。
 七人目が産まれてしばらくして。もう女が産まれないと踏んだ町内の連中が、恨みを込めつつこんなことを言い出したのだ。

 カルデス一の不良在庫兄弟、と。

 商人ならば、需要を見極めて商品を売りさばくのが基本。それなのに売れない品ばかり倉庫に抱えて、みっともないことこの上ない。そんな理由で自分達兄弟は、不名誉な名称を張りつけられてしまった。
 八つ当たり多分に含んでいることは明白。まったくひどい侮辱だ。
 商いに生きる者として。聞き逃すことができない屈辱的な渾名をつけられ、母親の怒りが天高く燃え上がってしまった。……あれを止めるなど、パルシュナでも無理ではなかろうか。

 その日からはじまった、異常なまでの催促。
 とにかく誰でもいいからとっとと嫁を取ってこいと、やいのやいの五月蠅くて堪らない。
 特に成人している上四人に対しては容赦がない。
 おかげで一番上の兄は、行商を理由に家に寄りつかなくなって久しい。もう一年は顔を見ていない。二番目と三番目は担当の倉庫を抱えているので家を出られず、矢の催促を受けながら辛い日々を過ごしている。
 真導士の里に逃れられた自分は、とても幸運だったのだろう。きっとリズベリーの帳尻が合ってきたのだ。あの時の犯人である二番目と三番目は、しばらく実家で苦しんでいればいいと、密かにほくそ笑んでいるところだ。

「派手な兄弟だなー。カルデス以外だったら、いい夢見られたんじゃないか?」
「それはわからん……。まあ、他の町に生まれていればと思ったことはある」
 兄達もそう思っているだろう。
 大変でしたねという、憐憫を含んだジェダスの労いを受けつつ。ふと話が逸れていたことを思い出した。
「違う違う、こんな話をしに来たわけではない。ヤクスはいつも余計なことを言ってくれる」
「ひどいなー、ちゃんと相談に乗っているだろ。……で、どうしたいわけだ。言っておくけど無理強いは駄目だからな」
 急に真面目な顔をして、この間と同じことを言う。絶対にしないと言っているのに、しつこい奴だ。サキを案じてのことなので、文句は言わないようにしているけれど、そこまで信用ならないのだろうか。
「だからそれはない。もう信用してくれてもいいだろう」
「一応な……。診てきた中で、男の欲で悲惨な目にあったお嬢さんもいたわけよ。ローグがそうだとは言わないけれど、歯止めが利かないってことも実際はあるからな」
 紫紺の瞳に憂いが帯びた。
 一見のんびりとしているこの友人は、時折こんな表情をする。ヤクスに相談事を持ちかけるのは、こういう奴だと知っているからだ。道を間違えないためにも、こいつの視点は欠かせない。もどかしい気持ちはあれど、サキを傷つけるのは自分だって御免だ。

「でも、不思議ではあります。サキ殿の交友関係で、ローグレスト殿が把握できていない人物などいますかね」
 戻ってきた本題。悩ましい内容のため、勝手に眉根寄る。
「ああ、基本的に一緒に過ごしているからな。実習の後、挨拶を交わすようになったのもいるが、特に親しいわけではないし。サキの郷里には、爺さんと婆さんしかいなかったと聞いた
 そこまで言って、脳裏にちらりと派手な金髪が浮かんだ。
 まさかあいつか?
 彼女が、変に照れたような態度を取っている時もあった。人見知りの範疇だと言える風だったので、すっかり考えから外れていた。眉間にしわを寄せ、よく思い出してみる。気に食わない奴ではあるが、肌を触れ合わせるような間柄とは、とても思えなかった。自分の勘も、それは違うと告げてきていた。
「……どうにも性に合わん」
 頭の中がこんがらがってきたのを感じて、髪をぐしゃぐしゃに引っかき回す。悶々と悩むのはどうしても無理だ。
 いっそのこと、もう一度聞いてみようかと思ってみたものの、あの様子では口を割りそうにない。
 下手に追求して、しつこい男だと思われるのも困る。

 何でこう思い通りに行かないのか……。
 サキは本当に儘ならない。

「めずらしく悩んでるなー。おとといまでの余裕はどこ行ったんだ」
「本当ですね。すっかり見る影もありません」
 ジェダスもとうとう遠慮がなくなってきたようだ。
「ところでローグレスト殿は、そのお相手を知ってどうするおつもりで?」
 遠慮がなくなったついでに、相手がいるという前提でしれっと聞いてきた。ヤクスのように露骨に表には出さないジェダスだが、こいつも結構楽しんでいる。
「どうすると言ってもな……」
 聞かれてみれば、どうこうしようとは思っていなかった。ほじくり返しても詮ないことだと、冷静に判断している自分もいる。
「ジェダスの指摘はもっともだ。過去を詮索するなんて野暮なことしちゃいけない。それにサキちゃんは、男を手玉に取るようなお嬢さんじゃない。ローグが一番わかっているだろ」
 ぐっと詰まる。
 そんなこと言われずともわかっている。サキにそんな芸当は断じてできない。だからこそ気になるのだと、人の苦悩を楽しんでいるこいつらには理解できないだろう。

 四大国の女不足は、解消の兆しがまだまだ見えない。
 このまま行けば、お前達も同じ苦しみを味わうぞと言ってやりたいところだが。いまの自分では説得力に欠く。
 ……いつか覚えていろよ、二人とも。

「嫉妬からの詮索など、貴方に似合いもしないことは止めておきましょう」
 持ち上げているようで、そうでもない絶妙な言い回しだ。だらだらと下らんことを言わなくなったのはいい傾向。かといって、こんな風に発散する必要もあるまい。
「そうそう、前向きが一番だぞローグ。もう想いを伝えちゃったんなら、あとは押すしかないからな」
「押すと言ってもな……」
 こいつらには言っていないが。心を通わす前と考えれば、お互いの仲は十分なところまできている。……というより、少し足が出てしまっている。これ以上はさすがにまずいと、自分でもわかっていた。これ以上は、もうやりようが……。
「そうですねえ。あまり押し過ぎても、サキ殿は委縮してしまいそうですし……」
 男三人が、食卓を囲んで唸り声を上げる。少し情けない光景ではあるものの全員真剣だった。
 四大国の男は王侯貴族や豪商でもない限り。誰もが少ない女を取り合うはめになる。相手が被らない限り、友人の恋路は応援するのが当たり前であり。いわゆる男のたしなみとされていた。

 しばらく後に、口火を切ったのはジェダスだった。
「では、こういうのはどうでしょう?」
 その提案の裏には、奴の思惑も見え隠れしていた。ただ、悪い話ではなかった。
 それならばと乗ってみることにし、友人宅を後にする。

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