蒼天のかけら  幕間  真導士と花祭り


真導士と花祭り(4)


 自分の有様に茫然とする。

「大変、お似合いでございますよ」

 妙齢の店員からの褒め言葉を、素直には受け取れない。
 はっきり言って不似合いだ。自分にこのような格好が似合うはずがない。
 否定の言葉を求めて、鏡越しに黒髪の相棒へと視線を投げた。衣装室の入口に控えていたもう一人の店員に呼ばれ、部屋に入ってきたばかりの相棒は。鏡の前で棒立ちになっている自分の姿を見て、顎に手を添えた。
「いかがでございましょうか」
 店員は丁寧な言葉使いと、非のつけようがない鉄壁の笑顔でローグに問う。
「……やはり、スカーフがな。ラディールの織布もいいが、どうも模様が浮き過ぎている気がする」
 回答しながら近づいてきて、鏡台の脇に並べられた華やかな布を見比べている。
 店員二名はにこやかな笑顔を崩さない。
 しかし、彼女達の中には闘志が燃えていた。
 ルーゼの町にある一軒の服屋。他の服屋よりも格段に品揃えがいいこの店には、人影がまばらであった。他の服屋は、押すな押すなの大盛況であったというのに差は歴然だった。理由は店の外観だけで知れた。
 この店は、他の店よりも値が高いのだ。
 迷いなく店に足を踏み入れたローグは、その事実を理解しているだろう。
 彼は、わざわざこの店を選んだはずだ。
 店に入ってすぐの時は、いまの担当よりも年若い女性が服を選んでいたのだけれど。彼女ではローグの相手が務まらなかった。素早くそれを察知した年配の店員が、いまの担当を呼びつけてきて……以降、ずっとこの調子だ。
「そうですわね。確かにこの模様では、お嬢さまの柔らかさが隠れてしまいますね。では、こちらではいかがでしょう」

 お嬢さま。

 むずむずっと背中が痒くなる。ごめんなさい。ただの真導士の小娘なのですと、全力で謝罪をして回りたい。
 にこやかな店員から醸し出されている意欲。一つ一つに細かく注文を付けてくる煩い客を、絶対に満足させてみせるという熱い思い。さすがは高級店と称えたい気分だ。
「ああ、そちらの方がずっといい。表情が華やかに見える」
 紅花色のスカーフを首にくるりと巻かれる。生地が薄くて、真珠色のドレスの細やかな模様が透き通って見えた。
 スカーフを巻き終えた手が添え髪を整えてから、両肩に置かれる。
 背後に立って、鏡越しに全身を眺めていたローグが相好を崩す。
「よし」
 完璧だと笑った彼と、そんな彼を見て勝利を確信したらしい店員二人。
 場の熱気に取り残されている自分は、反対側の世界で同じように取り残されているサキと、つい苦笑いを交わし合った。

 全身に施された装飾は、またもや奢りとなってしまった。
「誘ったのは俺だ。それに調査も商売のうちだからな。サキに持ってもらっては、うちの店の沽券に関わる」
 調査費用として実家に請求するからと言われ、続ける言葉を失ったのだ。
 あの人の件を追求しない対価は「流行りの調査に同行すること」であった。
 ちなみに、今回も分量は自分の一存となっている。
 これがローグの常套手段なのだろう。"誠意"というものはとても計りづらい。それを大いに利用しているらしい。
 自分が、あの人の件でローグを振り回していると思う分だけ、調査に同行してくれればいい――。
 そのように言われては、一回、二回で打ち切るような真似はできない。しかも青の真術の謎を解かない限り、今後も腕輪は必要となる。利子を返しながらも、借金を重ね続けることは確実だった。彼の調査があるたびに、同行することは決定事項となった。悪徳商人殿の思惑に、ずぶずぶと嵌りながら人混みを歩く。

 前よりは慣れてきたけれど、人混みが苦手なのは以前と同じ。
 道いっぱいに人がいる光景は、本当に目まぐるしい。
 ぶつからないようにと縮こまって、手を引かれながらも。彼が人をかき分けた跡に沿う。ローグの後ろにいるから、彼の姿を見て振り返る人々の顔がよく見えた。
 ルーゼの花祭りは聖華祭と違って、男も大いに着飾る祭であるらしい。
 趣旨に沿ったのか。
 それともこちらも調査だったのか。胸の内まではわからないけれど。今夜はローグも着飾っている。
 正直な話。彼が着替えてきた姿を見た時は、口が開いて塞がらなかった。
 たっぷりとした白い絹の貫頭衣の上。華やかで派手な模様の金赤の織物をまとっている姿は、貴族にしか見えないのだ。おかげ様で見慣れているはずの端整な顔を、まともに見れなくなっている。
 いまさらながら、どうしてこの美麗な人の恋人になれたのかと、悶々と悩んでいる始末である。ローグと自分の組み合わせはひどく不格好だ。しかし、先ほどの店員達は、疑問をおくびにも出さなかった。そこもやはり高級店の証なのだろう。
「人、多いですね……」
「そうだな。聖華祭ほどではないけど、ルーゼの花祭りも有名だ。祭がはじまって三十年くらいか。もうすっかり定着しているな」
「え、花姫のお話って神話ではなかったのですか?」
 人混みの中の会話は、声が遠い。話す時はローグに近づく必要がある。
「花姫は実在の人物だ。けれど、神話と勘違いしている者も多い。まあ、少し伝説がかった話だから無理もない」
 自分もすっかり勘違いをしていた。
 花姫は百年ほど前にいた実在の人物だったらしい。

 名は、マーディエル姫。国の書物にも記載されている、歴とした貴族の姫君だという。
 大戦終結の折、四大国のそれぞれで遷都が行われた。数多の命が失われることになったことを悼み、かつての王都を聖都と称し。パルシュナ神殿を建設することで、悲劇の魂を慰めようとしたのだ。
 聖都ダールは、そのようにして誕生した。
 ドルトラント王国では、新たな王都としてネグリアが選ばれた。これによって聖都ダールから新王都ネグリアへ、王侯貴族の大移動が発生することになった。ダールからネグリアに続く道には、金銀財宝を積んだ。煌びやかな馬車の列が、延々と続いていたと言われている。そんな経緯から、王侯貴族の馬車が連なっていた道は、いまでも"光輝の道"と呼ばれている。
 ここ、ルーゼにも"光輝の道"が通っているため。人が集まりやすく、町は大いに発展していた。
 伝説の花姫――マーディエル姫も、聖都ダールから新王都ネグリアへ向かう途中。このルーゼに立ち寄って、花姫伝説を残したのだという。

 人混みを掻き分けて進んだ先には、小高い広場があった。
 花祭りが開催されているだけあって、ルーゼの町はどこも花で飾り付けられているけれど。ここはまた各段に花があふれていた。夜の気配と花の香りに満ちた大気の中、広場に設置されている椅子には、決められたかのように二つずつの人影がある。
 広場の各所にも灯篭が設置されていて、ぼんやりと人影の様相を映している。
 何の気もなくぐるりと周囲を見渡して、硬直した。
(ここって……!)
 自分の慌てを楽しむように、ローグは少しだけ笑った。彼は笑いながらも、広場に目をやって空いている椅子を見つけ出し、自分の手を引く。
「サキ、あそこが空いている」
 言うが早いか、手を道連れに歩き出してしまう。固まっていた足を縺れさせながら、ローグに連行されて……辿りついた場所には二人が座れる大きさの椅子。
 家と同じように右側に腰を下ろしたローグは、さあ座れと自分を誘う。
「どうした、座らないのか?」
「ローグ、あの……この場所って」
 もごもごと言う自分の顔は、きっと真っ赤に染まっている。自分で自分の顔が、熱くなっているのは知っていた。
 誘われても動くことができず、椅子の前で立つ。
 知識としてだったら、ここの名前を知っている。村のお婆さん達が話していた昔話に、よく出てきていたのだ。

(いまじゃあ、こんなにしわくちゃだけれど。昔はよくお誘いを受けて、花療園かりょうえんに行っていたものだよ)

「なあ、さすがに花療園は初めてだよな……」
 立ち竦んでいると、不安そうな表情をしたローグが聞いてきた。
「当たり前ではないですか……! 足を踏み入れたことすらありません」
 失礼な物言いに対し、動転しながらも言い返す。焦った自分とは逆に、安堵した様子のローグ。何を不安がっているのかは知らないけれど、恋人にひどいことを言われて、うれしがる娘はいない。

 花療園。
 一言で表すならば恋人達の園だ。
 普通の恋人であれば、逢瀬の場所は限られている。ほとんどの娘は親と同居しているので、娘の家で時を過ごすわけにいかない。かといって、男の家に行くのはとてもはしたない。店に入ってもいいけれど。年若いの男女の給金など、たかが知れている。頻々に会っていたら金銭が続かなくなってしまう。そんな年若い男女のために作られているのが"花療園"。領主か町長の計らいで整えられていることが多い。

「そう、拗ねずに座ってくれ。慣れない靴を履いているから疲れただろう?」
 まあまあと宥める彼の手に誘われ、そっと腰を下ろした。
「お洒落をするのも大変なのですね。貴族の姫君達は、足を痛めないのでしょうか……」
 愚痴をこぼし。真珠色のドレスの裾から覗いている、高いヒールの靴を見た。
 つま先からひざ下まで、隙間なく固められている革のブーツは、履き慣れていない自分にとっては、拘束具以外の何ものでもない。
「貴族だったら歩く方が稀だからな。帰りが辛いようだったら、ダールまで馬車でも拾うか」
「だ、大丈夫ですよ。馬車だなんて……そんな贅沢できません」
 ローグの提案を大慌てで引き止める。乗り合いの馬車でも高かったのに、個別で馬車なんて拾ってしまったら大変だ。
 自分はこんなにも必死だというのに、彼は愉快そうに喉で笑っている。
 いたずらな左手が、添え髪を撫でてから頬に当てられた。
「サキは、ずいぶんと倹約家だ。俺達の給金で賄えないものの方が少ないと、ちゃんと教えたのに。その調子では、給金を貯め込み続けることになる。あれから何も買い物をしていないのだろう」
「……だって、何を買っていいか、わからないんですもの」
「尼僧のように無欲だな。少しは俗世に染まってもらわないと、神の道に進みかねない」
 可笑しなことを言う。
 一度、真導士となった者は、真導士以外の道を歩めない。家業がある者は、真導士の仕事をしながら家業を継ぐのだ。兼業ならば許される。しかし、真導士を辞めて専業にすることは許されない。真導士となった自分が、神に仕えることに専念する尼僧になれるはずもないのに。

 笑いをこぼしながら、恋人を見上げる。
 穏やかに見返してきていたローグの黒の瞳に、灯篭の炎が映っている。いつも視えている感情の炎とは違う。あたたかな色をしたゆれに目を奪われた。
 里の外にいるので、二人とも真眼を閉じ切っている。他の真導士との不必要な接触を避けるためだ。
 それゆえに、いまこの時ばかりは互いに感情を探れないでいた。
「何を考えている……」
 頬を撫でながら、真面目な顔つきとなったローグが問う。灯篭が踊る黒に射止められている自分は、彼から目を逸らせない。
「ローグこそ……。真眼が使えないと不便ですね。貴方の気持ちが遠い」
 答えと一緒にもどかしさを伝えた。
 里にいる時は、このような気持ちを持ったことはなかった。
 常に多量に注がれる真力の中でただよい。あふれ出たたくさんの感情に触れている。細やかな心情のすべてまでは読み取れなくとも、喜怒哀楽の起伏が隠されることなどない。
「真導士でない者は大変だろう。これでは相手が何を考えているかわからん」
 強い力を帯びた黒が、目の前でゆれている。二人の想いが通じて以降、少しずつだが恥ずかしさが消えてきた。
 強く気高い瞳から、目を逸らすような真似をしなくなった。
 むしろ、もっと見ていたい。もっと見られていたいと、思うようになってきたくらいだ。
 身の内にある強欲は、留まることを知らないらしい。
 胸を締め付ける苦しさすらも、自分の中で育てておきたい。彼から与えられる全部は、自分だけのものにしたいのだ。
「ねえ、ローグ。気持ちは変わっていませんか……」
 いつもの光が視えず、いても立ってもいられなくなって言葉を紡いだ。
 頬を撫でていた手が腰に回ってきて、ぐいと寄せられる。
「変わらない」
 すっかり馴染んだ体温。そして、彼を飾っている衣装から流れてくる、わずかな香木の匂い。不思議な心地を味わっている中、明瞭な想いを返された。彼の口から生まれた言葉を、光の代わりにして大事に仕舞い込む。
 これは、わたしのものだ。
「……想いが通えば、落ち着きを持てるものと思っていたんだがな。生憎と俺の恋人は隠し事が多いようで、うかうかとする暇がない」
 宝物を仕舞っている最中に、甘い詰りを受けた。
 秘密を許容してはくれた。されど、気にしなくなったわけではないと……そういうことか。
「一人でふらふら歩き出すことは減ってきたものの、とても放っておく気にはならん。大人しく家に納まっていてくれない上に、怪しい影がちらつくのだから。……どこまで俺を、振り回せば気が済むのだろうか」
 時、すでに遅し。
 とっくの昔に、ローグの中で"悪女サキ"が誕生していたようだ。
「まあ、構わないがな。相手が誰であろうと。例え古の神々であろうとも、渡してやる気はない」
「わたし、そんなに御大層な人ではありませんけれど」
 小さく出した意見は、黙殺されてしまった。
 勘違いに勘違いを重ね続けた恋人は、抱き締める力を強くしながら「サキはわかっていない」と拗ねて呟く。
「自分がどれだけ甘い香りを出しているのか、気付いてもいないだろう」
 これだから目が離せないと、低い声が耳元で囁く。
 耳朶に触れるほど近い場所で囁かれた言葉は、身体の芯を通って全身に広がっていった。

 満天の星空の下、花で埋め尽くされたルーゼの花療園。
 周囲の雰囲気に飲まれた二人は、ありふれた恋人達の中に混ざって想いを語らう。
 試練と試練の合間に許された、ささやかな時間。今日が終わってしまえば、また試練が待ち構えている。
 女神から与えられた時を、一粒、一粒、丁寧に味わいながら。この夜ばかりは不安を覆い隠して、互いの存在を確かめ合った。

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