蒼天のかけら  幕間  真導士と花祭り


真導士と花祭り(5)


「名前の由来か……。俺のは単純だ。爺さんの兄弟に商売が上手い男がいてな。"ローグ"という名はそこから取ったらしい」
 花療園で時を過ごす。
 二人が訪れてから、かなり時間は経っているのに、花療園に訪れる恋人達の数は増え続けている。
 ローグの左手は肩に回って、添え髪をいじっている。この仕草も最近のお気に入りらしい。右手の方はというと、いまのところ自分の手と絡まっている。外であっても、周囲も似たような状態だったので、二人共もはや気にしてなどいない。
 仕草は熱に浮かされた恋人同士のそれだが、会話の内容はとうに日常へと戻っていた。
 他の恋人達とは違い、自分達は家に帰っても一緒にいられる。潜んでいた気持ちの緩みが、会話の内容から色を抜いていった。
「親族の方の名前だったのですね。では、"レスト"の方も貰った名前なのですか?」
「違う。"レスト"は屋号だ」
 小首を傾げて意味を聞く。いつもの調子で頭を傾けたから、頭に乗っていた装飾を落としそうになった。
 お洒落をするのは大変である。
 貴族の姫君が慎み深いのは、ごてごてにまとわりついている装飾具が、彼女達の動きを邪魔しているからだろう。
「カルデスの習わし。名前だけでどこの店の者か、把握できるようになっている。ローグレストだと"レスト商店"のローグという意味になる。相手の店と名前が、一発で覚えられるから、誰も習わしから外れた名前をつけないんだ」
 便利だろうと笑った彼に、つられて微笑み返した。
「ご家族の方も、全員"レスト"がついているのですね」
「ああ、母親以外は全員ついている。基本的に娘には屋号の名前をつけない。他家に嫁いだ時、間違われてしまうからな。男が産まれず、後継ぎが必要になれば改名することもある」
 見つめ返してくる黒の瞳は、穏やかなまま。今日の遠出はローグにとっても、いい息抜きになったようだ。
「サキの名前の由来か……。言われてみれば想像がつかないな。最初はめずらしい名だと思っていたけれど、呼んでいる内に違和感がなくなってしまった」
「やっぱり、めずらしいですよね。自分でも気にしたことはなかったのですが、一度気になると止まらなくて……」

 黒に向けていた視線を、夜空へと流した。
「近頃は、色々と考えてしまうのです。ユーリ達に影響されたのでしょうか」
 新たな友人となった幼馴染の番。二人の会話は、いつだってあたたかい繋がりに満ちている。
「里に来る前までの出来事が、夢か幻のように思える時もあって」
 長い時間を過ごしていた村長の家。やっと一人前として働けるようになった食堂。おつかいで通っていた雑貨屋と、村にぽつぽつとあった知り合いの家。
 忙しない時の流れから隔離されていた牧歌的な村の全部が、唐突に燃えて崩れていった。
「何もない村でした。同じ年頃の子供も少ししかいなかったですし。近くに大きい町ができてからは、家族ごと引っ越してしまう家が多くて。幼馴染と呼べるような人もできませんでした」
 成長をはじめた自分は、弱さを口に出せるようになってきた。
 ローグは、ただ聞いてくれている。
「ユーリとクルトさんみたいに、共有できる思い出がある人が羨ましい。……わたしには、思い出も少ないですし、話す相手も見失ってしまいました」
 せめて聞いておけばよかったのだ。村を出発する前に、皆さんどこに身を寄せるのですか、と。
 意志を持てなかった自分は、唯々諾々と村を出てきた。こんなにも深い後悔を残すなら、自らの意志をきちんと育てておけばよかった。言われるがままは、誰にも怒られず、手を煩わせずに済んでいたけれど。いまとなっては虚しいばかり。
「皆の家族の話を聞いていると、胸があたたかくなるんです。思い出に混ぜてもらえてるみたいで……。ローグの話も好きです。お兄さん達と喧嘩した話とか、弟さん達の話とか。羨ましくて寂しいんですけど、もっとたくさん聞いてみたい」
「どうしようもなく下らない話ばかりだぞ。食べ物の喧嘩がほとんどだ」
「男兄弟は大変ですね」
 ローグがあれだけ食べるのだ。七人も兄弟がいたら、食事が足りなくなってもおかしくはない。
「家族っていいな」
 一片の曇りもない心で、憧れを口にした。
 大進歩だと、心の中で自分を褒めた。真導士としての宿命の道では、自分の弱さとの戦いを避けられない。真円の大きさを広げようと行っている気力の修業は、着実な成果を上げていた。誇らしさで胸をいっぱいにしながらも、黒の瞳へ向き直る。
 ローグはまだ何も言わない。
 けれど笑みを深めながら、左手で頭を撫でてくれた。
 今日はとことん甘えてしまおうと勝手に決めて、熱の高い首筋に頭を埋めた。
 ローグの脈が響く場所。熱に包まれながら、再び夜空を見上げて――鮮やかな彩りに釘付けとなる。

 轟音と共に、夜空にいくつもの光の華が咲いたのだ。
「"華魂樹かこんじゅ送り"だ。……内緒にしていたけれど、今日はこれを見に来た。サキは、華火はなびを知っているか?」
「……いえ。これは華火というのですか」
「ああ。火薬を使って、色々な炎の華を咲かせている。見事なものだろう……」
 紺色の空に咲く炎の大輪。一気に開いては眩く散っていく、光の宴。
「何て、きれいなのでしょうか――」
 咲き乱れて輝く大輪に、言葉が出てこない。
 自分の知識では。胸に湧いた感動を、適切に表わせはしないと早々に諦め……食い入るように世界を眺める。

 美しい夜空の宴は、花姫の伝説を再現しているものだろう。
 ルーゼを訪れた花姫は、町で一人の剣士と恋に落ちる。しかし二人の恋は、身分によって引き裂かれる運命にあった。
 剣士は美しい姫のために、功績を打ちたてようと魔獣の討伐に乗り出す。
 時の治世者を悩ましていた魔獣を討てば、どのような褒美も思いのままだと、約束されていたからだ。
 剣士は、愛する花姫のために討伐の旅に出て、魔獣に戦いを挑んだ末……悲しいことに相撃ちとなってしまった。
 悲劇を知った花姫は、愛する剣士を慰めようとルーゼに花の種を撒いた。
 自身と同じ、マーディエルという名の、白い花の種。
 大地に還ってしまった剣士と、共に在れるようにと願い撒かれた花の種は、ルーゼの町を埋め尽くすほどだったという。
 彼女の悲しい想いと、剣士の姫に対する想いに応えた女神は、天空にある"華魂樹"に一つの奇跡を与えたもうた。
 人の命が終わりを迎えれば、抜け殻となった身体は大地に還り。解き放たれた魂は天空にある"華魂樹"に召される。
 "華魂樹"は、やってきた魂を、再び大地に降ろす力を有していた。
 女神の祝福により正しく宿命を終えた者は、次の命を得て大地に降ろされる時。一つだけ願いを叶えて貰えるようになったのだ。

 女神の祝福を知った花姫は、一生を女神に捧げて仕えたという。
 宿命の道を歩みきった彼女の願いはこうだ。
(愛する剣士と共にマーディエルに生まれ変わり、いつまでもいつまでも女神の大地を彩っていたい)
 花姫の願いは、"華魂樹"によって叶えられた。
 願いが叶えられた証として、大地に咲くマーディエルの花は、色を持つようになったのだと伝えられている。
 白の花に加えて、花姫の瞳を示す藍色の花と、剣士の瞳を示す、赤い色の花――。

 天空に咲き誇る、三色のマーディエルを見つめていると、ローグが口を開いた。
「……思い出が少ないと嘆く必要はない。これから、サキの思い出を作っていけばいいだけだ」
 夜空にまた花が咲く。
 藍と赤が重なって、大きく鮮やかに花開く。
「いまより前の出来事は、全部思い出になるんだ。"迷いの森"のことも、実習のことも……あいつらと一緒にいる時間も。今日、一緒に"華魂樹送り"を見たことも、すべて思い出になる」
 彼に抱き締められたまま、ただ夜空を見上げる。
「考えてもみろ。俺達はまだ十五年しか生きていない。人は六十か七十まで生きるんだ。長いと百を超えることもある。いままでの時間より、これからの時間の方がずっと多い。思い出なら好きなだけ増やしていけるさ」
 低い声音が、また彩りを加えていってくれる。
「それに、家族だってな……」
 響いてくる低い声に、うっとりと聞き入っていたというのに。奇妙な部分で途切れてしまった。
 どうしたのだろう? と顔を覗き込めば、口を引き結んで難しい顔をした彼がいる。
「まあ、その、あれだ……」
 何かを言い淀んでいるローグの顔に、照れが浮いているように見えるけれど。どうも確信が持てない。
 真眼が使えないのは不便なものだ。

 そうこうしている内に"華魂樹送り"が終わってしまった。
 周囲から歓声と拍手が巻き起こっている。場が盛り上がりを見せる中、ローグが立ち上がり手を差し出した。
 帰ろうと言い出した彼。不思議に思った。しかし、帰った方がいい頃合いでもあったので、彼の手を握り椅子から立つ。
 人の波を縫い、移動するローグから、よくわからない話が出てきた。
「うちの家族は煩いから、大変なんだ」
 握る手に力が加わった。
「ちび共もすぐに大きくなるだろうし。そうしたらもっと騒がしくなる」
 慣れない靴に苦戦しつつも、彼について歩く。
 歩調は緩やかだけれど、いつもよりも遅れがちになってしまい。話している彼の、後ろ髪ばかりが目についた。
「うるさくていやになるが、寂しい思いをすることだけはない」
 彼が進む先に馬車が数台停まっていた。帰りは馬車になるらしい。
 馬車乗り場まで辿りつき、ローグは一人の御者と交渉をはじめた。聖都ダールの神殿までの価格が決まり、御者に恭しく扉を開かれる。二人で乗り込んだ馬車の中は、古めかしいが小奇麗に整えられていた。
「サキ、一つだけ聞いておきたいことがある……」
 今日のローグの話は、あちらへこちらへと飛び跳ねる。
 めったに起こることではないので、どうしたのだろうと疑問を深めることになった。
「はい、何でしょうか」
「俺のことを好きな理由は、顔だけじゃないよな」
 馬車が走り出す。
 がくんとゆれながら、唐突な質問の内容に唖然とした。
「急に、何を言い出すのですか」
 さすがに恥ずかしくなって顔を逸らした。率直に聞かれても困るのだ。
「大事な話なんだ、ちゃんと答えてくれ。理由は顔か、顔以外もあるのか」
 からかいかと思ったけれど、どうも違うらしい。ローグの中に緊張を見つけたので、不思議に思いながらも本心を答えた。
「全部です……。顔だけだって思っていたのですか」
 恥ずかしさから膨れてみたのに、彼は露骨に息を吐き出した。
「そうか、そうならいいんだ」
 一人で納得して満面の笑みを浮かべる恋人は、またもや自分を置いてきぼりにしながら続ける。
「……そうなら会わせても厄介なことは起きないはずだ。性格は全然違うし、あいつらは雑だからな。間違っても妙な事態にはならんだろう」
 彼の中では、いったい何が起こっているのか。
 早く里に帰りたい。気配が読めないとやりづらくて適わない。
「いつか、な」
「はい?」
「だから、いつか……。一人前だと認められて、ちゃんと形を整えられたら――」
 白旗を上げた。
 いまの彼を理解するのは難し過ぎる。話の内容を覚えておいて、真眼を開けるようになってから考えよう。
「そうしたら、サキが欲しいと望んでいるものをすべて用意できる」
 彼の話に自分が登場してきた。
 わけがわからない。でも彼がうれしそうなら、自分もうれしい。
「寂しいのもいまだけだ。いつかそれも思い出になる。絶対にそうしてやるから、余所見せずに待っていてくれ」
 喜色満面のローグに、はいと返事をした。
 ローグは、自分が訴えた寂しさを、どうにか解決しようと思案していたのか。
 その気持ちが何よりうれしかった。
 ほこほことあたたかい心を抱えて、馬車にゆられる。

 こうして、自分の中に新たな一日が刻まれた。
 彼が言った「いつか」に、今日を思い出すのなら、どのような感情に彩られるのだろうか。
 楽しみな未来に思いを馳せて。聖都ダールに帰ることとなったのだ。

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