蒼天のかけら  幕間  真導士の休日


真導士の休日(3) 〜一方その頃〜


 あーもう、どうしてやろうか。
 真昼間から黄昏色に染まった黒髪の友人が、遠い目のまま天井を見ている。
 女神の加護を失ったローグは、たまに窓の外を眺め、そして盛大に溜息を吐く。……見ているこっちの気が滅入る。

(かなりの深手みたいだな)

 真術が栄える遥か昔より、医術は息づいていた。その長い歴史を持つ医術をもってしても、手も足も出せない病がある。
 恋煩いというやつだ。
 カルデス商人をここまで弱らせるのだから、その力侮りがたし。
 残念ながら恋煩い用の薬は作れない。こういう場合はどうしたらいいんだろうか。選定に参加する時は、すぐ家に帰るつもりだったから、医者としての心構えが不足している。一人前としてやっていくのは、まだまだ先だと思っていた。
 もっと親父と話しておけばよかったかな。入れ知恵の一つや二つは貰えたはずだ。
 自分の恋人を、他の男に掻っ攫われてしまったローグは、海の底深くへ沈みこんでいる。まったくバト高士も間が悪い。二人が拗れている時に限って顔を出す。

 いや待てよ。

 もしも、だ。
 もしもかの高士に、そういう下心があったとしたら、これは間がいいと言うべき……か?

 いかんいかん、友人の恋路は応援すべしだ。
 湧いて出たあんまりな考えを振り払おうと、頭を振った。
 男として生まれたからには、意地でも通さなければならない筋がある。

「ローグ、いつまでそうやってるつもりだ」
 だが応援するにも、当人がこれでは何もできない。これからどう行動するにしても、ローグが腑抜けのままじゃあお話にならないもんな。
 まずは叱咤、そして激励だ。
 へろへろに腑抜けたローグは、せっかくの目立つ顔を情けなく彩っている。
「どうしてこうなる……」
 憐れな男は、ひとり言のような返事をした。
「言っててもはじまらないだろ」
 敢えて厳しく言ってみれば、へろへろがへなへなに変わってしまった。
 こりゃまずい……。
 治療を急ぎ過ぎたようだ。その目立つ容貌とは裏腹に、意外と女慣れしていない男なんだった。
 よくよく話を聞けばこれが初恋だとか。
 成人とは言え、十五の男は半人前。ゆっくりじっくり世間の波に揉まれて、擦れながら成長していくのが普通だ。ローグは人より出来るような気がするので、つい加減がわからなくなる。
「……どいつもこいつもサキばかり」
 筆頭であるローグが言うのもおかしな話。からかいたい気もあるけど、傷口が広がりそうだからやめておこう。
「まずは仲直りだって。今度はいったい何が原因で喧嘩してるんだ。ちょっと話してみろよ」
 正直、男女の機微はちっともわからない。
 恋人もまだいないし経験不足もいいところだけど、仲直りの手助けくらいはできるんじゃないだろうか。
 これでも二人のことを考えて言ったのだけど、黒髪の友人はいつかと同じように頭を抱えた。
「もういっそ湖に沈めてくれ……」
「お、おい……。おーい?」
 ずぶずぶと沈んで行く黒髪の友人。打つ手をなくして、さじを投げたい心地に陥る。

 夏の真昼間。
 燦々と輝く日の光の下。
 静かに佇んでいる一軒の家の中に、暗雲が垂れこめているなど、誰も気づきはしないだろう。






 格調の高い店で出てくる値が高いであろう料理は、悔しいと思えるほど美味である。
 これでもいっぱしの料理人のつもりだった。残念ながらその考えは、狭い世界で生きてきたがための幻想であったかもしれない。
 店の料理は、どれもこれも絶妙な味つけが成されているし。盛りつけも大層美しい。
 使われている食器も惚れ惚れするものだ。
 新たに皿が運ばれてくるたび、むむうと唸りを上げる自分を、青銀の真導士は呆れ顔で眺めている。視線は感じていた。でもこればかりは止められない。
「……お前、食事中は常にそれか」
「いいえ」
 美味な料理の数々にすっかり緊張を解いた自分は、いつしか端的な返事をするようになっていた。
 もはや目上への気遣いはどこにもない。
「料理が気に入ったのなら馴染みにでもしろ。一度、来店した客なら入口を通れる」
 青銀の真導士は、すごい内容をしれっと言ってくれる。
「入口を通れる、ですか?」
「ああ。紹介がなければ入れぬからな。一見客は入口で断られる」
 何とまあ……。
 上流の人達の集う店は、複雑な仕組みとなっているらしい。
 雲上の世界とはよく言ったものと感心し、あれっと思った。
「バトさん」
「何だ」
「バトさんも誰かに紹介されたのですか?」
 素朴な疑問を投げかけたところで、バトが一瞬考え込んだ。
「知り合いに貴族がいる」
 返答の中身は大したことではないように聞こえた。しかし、バトの口調が重々しい。重大な話をする時のような緊迫感があった。変に深まった疑問を解消しようとしたところで、発言を制される。
 口を噤んだのを確認したバトは、手元にある呼び鈴を鳴らした。
 しずしずと入室してきた店員達は、空いた食器を手早く片付けて運んで行く。「もう少しソースの味を」と無念に思ったけれど、高級な店で意地汚い様を見せられない。

「そろそろいいだろう」
 凍えた声音。
 真眼を閉じていても、この人は周囲を圧倒する威圧感を持っている。
 ぴりと辛くなった大気。つい、手の平を強く握り込んだ。
「手紙、読んでいただけたのですね」
「まあな。……まずは、隠匿の色紐の件から聞こうか」
 凍てつく青銀の輝きは、実習の時と同じだ。報告をしろと促す視線に、ズボンのポケットから包みを取り出しバトに手渡した。
「里に没収されたので、残りはこれだけです」
 他の家には真術を使っての捜索が入ったと聞く。
 しかし、自分達は発見者だ。キクリ正師に相談にまで行った自分達には、里もそこまで厳しくはなかった。
 ユーリから預かった色紐は全部で六本あった。
 その中から三本だけキクリ正師に渡したのだ。これは独断だった。霧と繋がりを持っているだろう色紐。隠匿によって覆われていても、何とか気配を覚えられたらと、こっそり隠し持っていた。
「色紐に籠められている真術については、結局何も聞かされていません」
 問いかけたいことはたくさんあった。
 望んで得た機会であるのに、いざとなると疑問が喉に絡まってしまう。
「霧の件も……何も進展していないとしか。せいぜい、夜間の外出が禁じられたくらいでしょうか」
 毎晩、同じ頃合いに出現する霧の真術。見えない敵への不安は、静かに降り積もっていた。

 話し出したら、止まれなかった。
 真導士の里を取り巻く淀んだ気配に、倦み疲れていたのだ。相棒も友人達も、不安を広めないよう気丈な態度を取っている。だから、自分だけ歩調を乱してはいけないと無理をしていた。
 色紐と霧。荒れる里の導士達。自分の眠りの病と、里の東にあった生贄の祭壇。
 そして高士達が話す、慧師への不満。
 実はあの時――ローグとヤクスの会話が聞こえていた。まどろみの世界でも耳だけは活動していたのだ。

 一通りの話が済むまで、バトは口を挟まなかった。
 疑念と不安の塊は、喉から出すのに時間を要したけれど。受け止めてもらえることを信じて、ひたすらにぶつけた。

 口から言葉が流れ出なくなったところで、支配人がグラスに酒と水とを注ぎにやってきた。
 酒のラベルをバトに見せて「クロノス様からです」と伝える。支配人の登場は、見計らってきたとしか考えられなかった。話を聞いていただろう恰幅のいい男は、最初と同じ微笑みを湛えたまま……。
 ただ視線の中に、自分に対するささやかな敬いが含まれている。

「一つ聞く」
 自分の拙い感情と、考えとを受け取った青銀の真導士は、グラスを傾けつつ言葉を放つ。
「慧師は里にとって絶対の存在。慧師と里に対する疑念は、一様に処罰の対象だ。お前の立場なら、疑念を抱いていると慧師側に知られないよう努めるのが当然……そして俺は、口さがない連中が言うところの、慧師の側近とやらに当てはまる。何ゆえ俺に話を持ってきた」
 返答次第では容赦はしない。
 誰よりも働く本能が、敏感に反応した。嘘は見抜かれる。甘えは絶対に許されない。
 裁定者の前で、自分が言えることなどきっと一つだけだ。
「勘です」
 青銀が静かに瞬きをした。
「危機の気配があれば、とっくに勘が騒いでいます。いまバトさんと話をしていても勘は何も言ってきません。それから……」
「それから?」
「慧師に危険を感じませんもの。選定の時も、暴走の時も。慧師とお会いする機会は何度かありましたけど、嫌な気配を感じたことはありません」

 静かに。星の如く輝きながらすべてを統治する白銀の真導士。
 サガノトスの統治者に対して、負の感情が生まれたことはない。追放となりそうな窮地にあっても、それは変わらなかった。

「人に対しての感情には特に鋭敏になれ。第一印象は決して忘れるな。何よりも自己の判断に重きをおけ」
 ちょっとだけ厳めしく言っておく。言っておきながら似てないなと自分で思った。
 青銀の真導士が、片眉だけ上げた。
「わたしに言ったのはバトさんでしょう」
「……確かにな」
 仕方のない奴だと匂わせながら、バトはグラスを一息で空けた。

「出るぞ」
「バトさん……?」
「場所を変える。――ついて来い」

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