蒼天のかけら 幕間 真導士の休日
真導士の休日(4) 〜それぞれの困惑〜
「……そういうことか」
へなへなの友人から聞いた発端への感想は、こざっぱりした感じになってしまった。
何事にも真っ直ぐなローグは、落ち込みも一直線で浮き上がる兆しすらない。
最愛の彼女へ働いた無体について、懺悔するように告白した黒髪の友人。途中、ぼかしを入れていたけど……何となく全容はわかった。
しょうがない奴。
でも、今回ばかりはローグのせいだけとも言えないかな。
「ま、お互い様って奴だね」
言ってやれば、驚いたような黒眼がこっちを見た。
「お互い様?」
「うん、お互い様」
「何でまた」
加害意識に染まっているローグは、意味がさっぱりわからんという顔をした。
「いやね、サキちゃんがちょっと……おっとりし過ぎてるなとは思ってたからさ」
ローグが心配しているところとは少しずれているだろうけど、彼女の危機意識のなさはなかなかのもの。
今回の件でも、船の実習でも、自分の怪我を簡単に捉えているように見える。痛みに無頓着というか。自身の危機や苦痛について、他人事のように考えている節がある。少なくともオレにはそう思える。
「リーガの件も、あっさり流したみたいだし」
「……奴のことはあっさりではない。いまでも引きずっているし、怯えてもいる」
拗れている最中であろうとも、サキちゃんとかばおうとするとは健気な奴め。
「そうかなー」
「ヤクス?」
「リーガに対する怯えじゃない気がするんだよ。サキちゃんの場合は」
あの怯えはリーガという男に対してじゃない。
年頃のお嬢さんがあんな目に合ったのなら、もっと違う反応をするように思う。いままで診てきた患者の中にも、そういう体験をしてしまったお嬢さんがいた。反応は人それぞれだったけど。一人での外出を厭うたり、下手すると男全体を怖がったりする。でも彼女の場合は、反応もずれている。
「リーガが怖いというより、真術が怖いって風に見えるんだよね」
あの時、掛けられた紫炎の真術。
自我を焼き尽くし自由を奪う"誘操の陣"を、何よりも怖がっているように思う。
伝えた自分の考えにローグから反対は返らない。黙りこくった友人にも、思い当たる部分があったようだ。
「ローグには不愉快かもしれないけど、サキちゃんは変わってるよ」
「……そう、か」
「だから自覚を促そうってのも理解できる。ほっとくと痛い目ばかりみそうだし、治療は早めがいい。たまたまお前がヤブ医者だっただけで――」
「おい」
お、元気が出てきたぞ。
「ヤブはヤブだ。患者を襲う医者がどこにいるんだ。女神から天罰が下っても知らないからな」
もう大丈夫だろうと、傷口に塩を塗り込んでやる。
ぐっと詰まったローグが面白かったもんだから、盛大に笑ってやった。
「人のことからかって遊ぶなど、趣味が悪い医者もいたものだ。俺のことより自分のことを心配したらどうだ? お前、跡取りだろうが」
……こいつ、痛いとこ突くな。
「オレは気が長いの。ローグみたいに短気じゃないんだ」
「ほう……」
「何だよー、ここまで親身になってやってるのに。女神は常にご覧になっているんだ。本当に天罰が下っても慰めてやらないからな」
「天罰などあるわけない。あるとしてもこのような瑣末事でいちいち下していたら、きりがないだろう。下せるものなら下して――」
黒髪の友人が言い終わる前に、天から……いや空中から真術の気配がただよってきた。
思わず身構えた自分達の眼前で、"転送の陣"が展開されている。
冷たい真術の気配に触れ、ローグの顔が引きつった。一瞬で展開し、収束した"転送の陣"。
素早く描かれた真円から出てきたのは――白い布。
ふわりふわりと舞い、ローグの頭に絡まった布は、彼女が身につけていただろう真導士のローブだ。それを確認した黒髪の友人から、言葉と顔色が一瞬で失われた。
いま二人は何をしているのか。
脱ぎ捨てられたローブは何も語らない。
見事な真術が運んできた現実は、まるで女神の天罰のようで――。
一度、ローグを神殿に連れていくべきか、真剣に悩んでしまった。
「行くぞ」
「あの、わたしのローブはどこに?」
目の前で消失したローブの行方が気になって、とても移動などできない。手触りがいいシャツの袖を引き、ちゃんと答えてくれと目に力を入れた。
「お前の家だ。ローブを持って聖都をうろうろできぬだろう」
返ってきた言葉に、ほうと息を吐く。
最近ローブを汚してばかりで、家にある枚数が少なくなっていた。夏用のローブはとても人気が高く、次に倉庫に入るまで五日ほど待つ必要があった。
家に帰っているならいい。どこに落ちたかまで判然としないけれど、帰宅してから回収しよう。
青銀の真導士の横を、半歩だけ遅れて行く。任務中とは違うゆったりとした歩みに、胸を撫で下ろした。
今日は走らなくてもよさそうだ。
人混みがひどい聖都の道。いつもならかばわれながらでないと歩けない。自分は人の視界に入りづらいようで、道行く人とぶつかってしまいがちだ。しかし、いまはかばわれなくても歩ける。人々の方が勝手に避けてくれるのだ。
真導士のように敏くなくとも、バトとぶつかったらまずいという気配は誰でも察知できるらしい。まとう雰囲気が怖いのだから無理もない。
バトの怖さの恩恵を大いに受けながら歩いて行けば、またもや高級そうな店に辿り着く。
店の前には、一台の馬車が停車している。
御者の衣装は燕尾服……どうやら本物の貴族様の馬車らしい。
道の途中で足を止め、できれば入りたくないという気配をただよわせておく。右斜め上の方から青銀の視線が下りてきたので、見上げて切に訴えた。
「入るぞ」
確定事項であるらしいが、抵抗は止めない。
「高そうなお店です……」
「だから何だ。先ほども言ったが、場所を選ばねば話はできぬ」
「……さっきのお店では駄目だったのですか?」
「話のすべてを一か所で終えるのは危険だ。いかに口が固いとはいえ、油断するのは愚かというもの。場所を変えてしまえば、すべてを知る者は己等のみとなる」
理屈はわかる。
筋も通っているし、何よりバトの経験に基づいているのなら疑う余地はない。
とは言っても今日の自分の格好は、このような店に入るのに適していない。
どうしようともじもじしていたら、襟首を掴まれた。いや首根っこを抑えられたと表現した方がいいかもしれない。
一歩も進まなくなった様子に焦れたらしいバトが、自分を引きずり歩き出す。
「バトさん!」
「いい加減にしろ。人を呼び出しておいて何をしている」
「だって、わたしこんな格好ですしっ」
「誰もお前の格好など気にはしておらぬ」
胸にざっくりと言葉が刺さった。
わかってはいても、言って欲しくない言葉がある。それをこの人はまったく理解してくれていない。
「わたしだって一応は年頃の娘なので……」
自分で言うのは恥ずかしいけれど、主張をしないと延々とこの扱いを受けそうに思え、意を決して言ってみた。
しかし、そんな勇気などバトはあっさり蹴散らしてくれた。
「子供が何を偉そうに。もう少し育ってから言え」
ひどい、あんまりだ。
そこまで言うことないではないか……!
羞恥と悔しさが相まって、顔が火を吹かんばかりに熱くなっていく。
ぎりぎりと意志を込めて視線を尖らせた。視線の先。青銀の瞳は常と変わらず冷たく輝いているばかり。「何か文句でもあるか?」と言いたげな表情が、さらに悔しさを煽ってくれる。
「バトさんは、いつもいつもひど過ぎます!」
船の実習で刻んだ決意を思い出し、いまこそと声を荒げた。
「これでもやさしく扱ってやっているつもりだがな」
言いながら冷笑を浮かべるバト。
笑いの中によく吠える犬だと滲ませるものだから、自分としても収まりがつかなくなる。
「やさしくありません。ちっともやさしくなどありません! やさしい男の人が、女の襟首を掴むわけないでしょう」
反論をしたら冷笑を深くして、つかんでいた首根っこをぱっと離す。
本当に失礼なとつんけんした気配を撒き散らし、衣服の皺を厭味ったらしくきっちり伸ばしておく。
「俺にそこまで言うか。めずらしい奴だ」
声の中に面白がる気配が入り混じる。
面白がりつつも、ではどうすれば満足なのだと、これまた気の利かないことを聞いてくる。
「子供扱いをやめてください。……それから犬扱いも駄目です。相応に扱っていただければ文句など言いません」
「言ったな」
バトからの返答に、肩がびくりとなる。
真眼を閉じていてもわかる。
いまの言葉の中には見逃してはいけない危機の要素が混じっていた。
「己の発言には責任を持て。いいな」
念を押してくるバトの、左側の口角だけが上がっている。皮肉な笑顔の青銀の真導士は、勢いを失った自分の様子を確認して、銀の首輪……もとい腕輪が嵌っている手首をつかんで引っ張った。
自由を奪われた左手は、誘導されるがままバトの腕に絡められる。
「バ、バトさん!?」
動揺を極めて裏返った声が、通りに響く。
何がどうなってバトと腕を組むことになったのか。目元に血が巡り過ぎて、視界の中に小さな星の輝きすら見えてきた。
自分の動転した様子に、皮肉な笑顔と面白がる気配を強くしたバトは、満足そうに歩き出してしまう。
「どうした。相応の扱いをして欲しかったのだろう?」
「だって、こんな……こんなの」
それ以降、訴えても訴えてもバトが耳を貸してくれることはなく。
ずるずると連行されて、問題の店に足を踏み入れることとなってしまったのである。