蒼天のかけら  幕間  真導士の休日


真導士の休日(5) 〜あの人の秘密〜


 無理やり連れて行かれた店は、装飾具を取り扱う店であったらしい。
 店の入り口にいた店員は、バトの顔を見るなり一礼し先導をはじめ、奥の奥にある扉を開く。天鵞絨がそこかしこから垂らされているひっそりとした部屋には、慧師の執務室にあるような長机と椅子が備え付けられていた。

 ふかふかの椅子の上、ちんまりと座った自分の目の前に茶が差し出された。
 香りがささやかな風に乗ってきて、茶がカノンテプスであることを悟る。
 席に着き、茶を一口すすった時。天鵞絨が垂らされ、目隠しとなっている場所から、とても品のいい壮年の男性が姿を現わす。
 壮年の店員は、バトにお久しぶりでございますと声を掛け。そして自分に視線を移し、小さく笑んだ。
「先日、注文した品を確認しにきたが」
「かしこまりまして。用意は整っております。こちらにお持ちしてもよろしいでしょうか」
「かまわん」
 少々お待ちをと静かに言い、男が退出した。足音が遠のいたことを確認してから、バトのシャツをつんつんと引っ張った。
「バトさん、このお店は?」
「装飾具の店だ。また要り用ができてな。数を揃えるよう注文しておいた」
 要り用という言葉にぴんときた。
「おとり用……ですか」
 返答はない。答えの代わりにわずかだけ青銀が細められた。
 この装飾店もバトの行きつけ、いや御用達なのだろう。金の瞳の獣を引っかけた時の術具も、この店で買ったものかもしれない。
「わざわざ本物を使うのですね」
「本物でないと引っ掛からん。大物を釣るなら餌もそれなりでないと意味を成さぬ」
 鬱陶しそうに前髪を払ったバトは、そういえばと自分の左腕に視線を落とした。
「まだ届いていなかったか」
 問われたサキは視線を追い、左腕で輝く銀の腕輪を見てから、あっと思い出した。
「届きました。金の……」
「なら、何故身につけぬ。切れてからでは遅い。早めに着け変えるようにしろ」
 青銀の真導士に不機嫌さが戻ってきた。
 腕輪に籠められている真術が切れたら、自分は真術を行使できなくなる。また"暴走"でもさせやしないかと疑われているようで、視線が急に鋭くなった。
「無理です。あんな……あそこまで高くて希少な腕輪。日常で身につけることなどできません」
「別にお前の懐が痛むわけでもあるまい。俺の懐は里の軍資金と繋がっているゆえ無尽蔵に近い。気にせず使え」
 青銀の真導士は、またまたさらりと途轍もないことを言い出した。
「繋がっているって、それって……」
「他言はするなよ」
 疑問が頭にあふれてきて、留めておくのが難しい。生まれてしまった疑問は、壮年の店員の登場で口から出すことが叶わず、喉の奥で凝ることとなる。
「旦那様、お待たせ致しました」

 だ、旦那様?

 店員が出した流麗な呼びかけに、思わずバトの顔を確認してしまった。
 自分の動揺を面白がっているらしいバトは、口角に皮肉さをちらりとただよわせ。示された装飾具の検分をしていく。
 金銀、白銀。玉も色とりどり。
 これらすべてを合わせたら、どれくらいの値となるのか。自分の感覚ではとても弾き出せそうにない。
「数が多いようだが」
 聞くというよりも、問い質す口調であるバトにも怯まず、店員は静かに答えた。
「クロノス様よりお預かりしております」

 クロノス様。

 また出て来た人物の名は、疑問の壺の中で旋回している。
 どうにも琴線に触れる。気になる名前だ。
 店員の答えで納得をした様子のバトは、すべてを所定通りに届けるよう指示をする。了と返した店員は、並べられていた装飾具の数々を、丁寧に梱包し。天鵞絨の奥へと再び運んで行った。

「先ほどの質問だがな」
 ぼんやりと見送っていた自分は、突然やってきた回答に身を固くする。
「まず色紐の件。これは放っておいていい。今朝ほど中央棟に寄って来たが、調査は確実に進んでいるようだ。調査部隊も結成されたゆえ、お前が案ずるまでもなく解決するだろう」
 青銀の瞳はどこでもないところを見ている。
 本来なら、導士に聞かせることはない事柄なのだろう。
 二人の中で確約は生きている。だからこそバトは自分にこれを伝えてきている。勝ちとった信頼の重みが、胃の腑をちりと小さく焼いた。
「霧も同じだ。里の動きがなかったのは慧師が外遊されていたがため。慧師が里に戻ってきた以上、勝手をさせることはあるまい」
「慧師は里にいらっしゃらなかったのですか?」
「ああ。国の行事への出席と他の里との調整。他にもあったとは思うが、ここしばらく里を空けていた。霧の真術とやらの使い手は、慧師がいないことを何かで知ったのだろうな。慧師がいれば自由に犯行には及べぬ」
「慧師が里にいると、何が変わるのです」
「里を囲む真円は慧師が描いていることは知っているな。真円の内側は、描いた真導士の領域を示す。つまり慧師の真円に囲まれている里は、それそのものが慧師の領域ということになる」

 真円の中。
 真導士の領域の中ではどのような真術を使おうとも、行使者である真導士の真術が優先される。対抗するには真円を弾くしかないが、里を囲う真円は真穴を利用しているため困難であるという。

 慧師が留守だった間、霧の発生は抑えられなかった。けれど慧師が戻ってきた以上、いつでも力でねじ伏せることができるらしい。
「お前の"眠り病"とやらは、俺も聞いたことがない。気力が整ってないにしても程度がひど過ぎる」
 遠くを見ていた青銀が自分へと向けられる。
「里の東へは行くな。中央棟よりも東側は一切足を踏み入れぬようにしろ。悪化したらすぐに呼べ。――これ以上は聞くな」
「……はい」
 言えることと、言えないこと。バトの中の線引きはゆるぎがない。
 聞きたかった謎への道が、そこまで簡単に開くこともないのかと、少しばかりがっかりした。
「最後に、慧師についてだが……。お前の勘が正しいと言っておこう」
「慧師が悪い人ではないってことですか?」
 安心を得たくて質問を重ねれば、バトの表情から険しさが消えた。めずらしく砕けた表情と、青銀の静かな輝きに目が奪われる。

 この人は、こんな表情も持っていたのか。

「悪い悪くないと一概には言えぬ。人を束ね、力を束ねるには手を汚すこともあろう。だが、一つだけ確かに言えることがある。シュタイン慧師には、口さがない連中が言うところの"支配欲"や"出世欲"がないのだ」
「欲がない……ですか」
「納得いかぬか?」
 ううんと悩み、言っていいものかどうかと口の中で転がし。最後は伝えるという結論に至った。
「慧師に欲がないというのはありそうです。でも、そういう人だと言われただけでは腑に落ちなくて……」
「そうか」
 虚空を睨み、気まずい沈黙を越えてから、バトは何かを決断したらしい。絶対に口外しないことと、以前した確約と同じ扱いをすることを約束させられてから、ついに真相を明かしてくれた。

「慧師は貴族の生まれだ」

 青銀をまじまじと見つめる。
「本名をシュタイン・クロノスと言う」
「じゃあ、さっきのお酒も装飾具も……」
「慧師からの差し入れだ。クロノス家は貴族の中でも位が高く、中枢で活躍する議員の一族だ。何代か辿れば、王家と繋がる家系とも聞いた。王家からは時折、質のいい真導士が排出される。慧師がその才を有していたのも、王家の血筋あってのことだろう」

 サガノトスの由来。
 聖地を束ねていた者が聖職者となり、時を経て王族となる――。

 そうか。そういう話なら、王家から……王家に連なる血筋から、高名な真導士が出ることも納得できる。
「シュタイン慧師の家系であれば王家の姫を娶り、王位継承権を得ることも。国政にうって出ることも可能だ。里の権益は確かに守られている。しかし所詮は聖都ほどの領土。欲が強い者なら局地で力を振るうより、もっと大きな場所で力を振るう方を選ぶ。クロノス家の者から見れば、里の慧師の地位は都落ちも同然だ」
 出世する必要もないほど高位の家に生まれ。常に支配する側に立っていた人物には、関係がないと言ってもいい欲望だ。
 シュタイン慧師には"支配欲"や"出世欲"など存在しないのだ。
 生まれた時にすべてが用意されていたのだから。もし大いなる欲を抱いている人物なら、わざわざ里の慧師にならなくてもいいはずだ。
「納得したか」
「はい、納得しました」
 胸の中でただよっていた暗雲が、すっと晴れていく。

 自分にとって唯一の繋がりがある場所、サガノトス。
 そのサガノトスを統治する慧師も、そして正師達もきっと自分達にとって敵ではない。たくさんの謎で埋まっている毎日にあって、確信をもてる要素が増えた。その事実が、張り詰めていた神経を宥めてくれた。
 ほこほことした気持ちを抱けることがうれしい。



 天鵞絨で囲まれた一室。
 本来なら緊張しか強いられないはずの場所で、自分はようやく肩の力を抜いた。

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