蒼天のかけら  幕間  夏の真導士


夏の真導士(5)


「バト高士って、あのバト高士?」
 常人より大きい藍色の目が開かれた。

 やってきた友人宅。
 土産の礼を……と、豪華な夕飯を作っている相棒の名代として訪れたところ、興味全開なレアノアに捕獲されてしまった。
 昨日はあれからどうなったのか。
 あの衣装は誰からだったのか。
 そもそも、自分達の関係は良好なのか。
 本人いわく「一番おもしろい部分を逃した埋め合わせ」だと言うのだが、困った姫君もいたものだ。
 やたらと鋭い娘を誤魔化すことは不可能で、ならばいっそと一から十まで洗いざらい話すことにしたところ――。
「知っていたのか」
 問えば、年頃の娘にしては短い添え髪を優雅にゆらして「知っている」と言った。
「サガノトスの有名人よ。慧師の同期にして右腕。里に在籍している高士の中で、もっとも強いと言われている」
 レアノアは一度、言葉を切って続けた。
「通称"鼠狩りのバト"。表を仕切っている慧師の代わりに、裏側を一手に引き受けている人物。"片翼"って呼ぶ人もいるわ。相棒がいないことでも有名だから」
 表情を崩さずにいるのは難しかった。
 里の深い事情まで知っているらしい相棒を、ヤクスがぽかんとした顔で眺めている。
「何で知ってるのさ?」
「血族に令師だの高士だのがいると、勝手に知識が増えていくの。普通の導士が知り合うような相手じゃない。実習が任務と被ったって簡単に言ったけど、それって大事だと思う。導士はもとより、高士だって滅多に顔を合わせない相手よ。災難だったわね」
 レアノアはさらりと言ってから、にんまりと笑んだ。
「最初から三角関係? おもしろい展開ね」
「……うれしくないな」
 どこが気に入ったのか、よりいっそうの興味を滲ませて娘が微笑む。
「そんな言い方したら駄目だよ。小慣れてそうに見えるけど、実は全然だから」
「あらごめんなさい、そうだったわ。すけこましにしか見えないけど意外よね」
 これには二人してぎょっとした。
 令嬢以前に、娘が選んでいい言葉とは思えなかったからだ。
「レニーってば……」
 ヤクスは、額に手をやり天を仰いだ。どうやらこいつも、奔放な相棒に振り回されているらしい。
「で、自信はあるの?」
「何のことだ」
「あの娘を落とす自信はあるのかって聞いてるの」
 本当に、鈍いのねとつけ加えて、また茶をすする。
 横でヤクスがまた間抜け顔をさらしているが、これは放っておくことにして、自分も茶をすする。
「何言ってるのさ、レニー。二人はとっくに相思相愛だよ」
 呼ばれた娘は、柔らかく弧を描いている眉をぴくりと動かす。
「そう?」
 含みを持たせた返答を受けて、ヤクスに戸惑いが出る。
「貴方はわかるの。あの娘の方が、どうなのかなとは思うわ」
「どうって……」
「好意はあるんじゃない? それでも"恋してます"という雰囲気がないのよ。……言葉にしづらいけど、好きにも段階があるでしょう。その段階の一番手前で止まってる気がするのよね。――違うかしら」
 真意を探るように、目を覗き込んでくる。これだから真導士は厄介だというのだ。
「……嫌なところを突くな」
「あら、自覚はあったの?」
「最初からわかっていた」
 彼女の歩みが緩やかなことも。自分の気持ちと比べて、まだまだ距離が遠いことも。
「サキは感情を扱いかねている節がある。会ったばかりの頃は、好き嫌いがないに等しかった。せいぜい"大丈夫"とか"苦手"とか言うくらいでな。最近はずいぶんと感情が豊かになってきた。それでも足りていない部分はある」
 ゆっくりと着実に。そうかと思えばいきなり飛び跳ねて、油断すると戻っている。
 彼女は本当に目が離せない。
「余裕ね」
「さあ、どうだろう」
「ちょっと煽ってあげましょうか」
「結構だ。間に合っている」
「そう、残念」
 拗ねた風に言っていても、楽しんでいるのは伝わってきている。
 完全にからかわれているようだ。
 しかし、レアノアの視点は友人達の誰より的確。
 貴族の仕事は恋と浮気。恋愛相談は奴らの十八番。ここは、味方に引き入れておくべきだ。
「面白がってないで、知恵くらい貸してくれてもいいだろう。さんざん首を突っ込んだだろう」
「はいはい、わかってる。よっぽどでなければ相棒である貴方が優位なんだから、かりかりしないでよ」
「だってさー。よかったな、ローグ」
 能天気なことを言って、にっと笑ったヤクス。誰よりものんびりとした男の相棒は、ぐったりと肩を落とした。
「正鵠だからと思っておくべきかしら……」
「そうしておけ」
 何だかんだ言っても相棒は相棒。
 ヤクスがそれなりに心配らしい。割れ蓋、閉じ蓋とはよく言ったものだ。
 のほほんとしたヤクスに引きずられまいとしたのか、レアノアが軽く咳払いをした。その仕草にも気品を感じるのだから、貴族とは恐ろしい。
「まあ、いいわ。いまは夏だし、やりようは色々あるでしょう。何か誘ってみればいいじゃない」
 言われた内容が送られてきた中身を想起させる。
「招待状でも送れといいたいのか」
 まったく気分が悪い。
 なけなしの矜持を振り絞ってみたものの、どのような中身だったのか気になってはいる。招待状だとしたら、またどこかへ連れ出す気なのだ。
 そればかりは許せん。止める権利はあるだろうから、釘をさしておかないと。
「同じ手を使ってどうするのよ。相手は年上で、しかも高士。同じ作戦じゃ勝ち目なんかないわよ。高士と導士じゃ、もらう給金だって違うんだし。半人前なら半人前なりのやり方ってものがあるでしょ」
「……はっきり言い過ぎだろう」
 この性格、前評判通りといったところか。半人前の自覚はあれど、嫌な気分だ。
「じゃあ招待状はなしってことで。で、他に何があるんだ?」
 そもそも同じ家に住んでいて、招待状はない。
「手当たり次第に誘ってみればいいじゃない。ローグの方が知っているんじゃないの。嫌な思いをさせなければ平気よ。相手だって半人前なんだから。自分が好きなものだって、まだわからないと思う。お誘いだってあまり受けたことがないんでしょう」
 それもそうか。
 よくわかっていないまま流されている彼女。
 ふわふわとただよっているサキの好みは、そもそも存在していない可能性があった。存在していない好みを探ろうとしていたのが、まず間違いかもしれん。この発見だけでも、相談してよかったと思える。
 腕を組み、漫然と天井を見上げる。
 何でもいいと言われると、これまた悩みどころ。何か買い与えようにも、あの衣装と比べられれば見劣りする危険性がある。
 できれば二人きりでできること。彼女がまだ試したことがないような……、それでいて楽しめること。
 そして――彼女と離れなくて済むような何か。
 風が出てきたのか、友人宅の扉についている鈴がちりちりと小さく鳴っている。
「どう、何か思いついた?」
 鈴の声が響いた時、ようやく閃いた。
「ああ。今夜にでも行ってみるか」






「散歩の時間か」
 手の平からの声に眉を顰める。
「……バトさん」
「違うなら何用だ」
 声に反応してか、輝尚石が強く光る。そのうるんだ輝きをむっとしたまま睨みつけておく。
 運んでいるのは声だけ。
 知ってはいても睨まずにいられない。そんな言い方をするなら、今度きのこ料理をたくさん拵えてしまおう。苦手なのはわかっているのだ。
 送られてきた、三つの輝尚石。籠められていた真術はすべて黙契だった。どういう意味があるのか手紙からは読み解けず。かといってもんもんとしているのも気分が悪く。思い切って展開してみたらあっさり応答があった。
「衣装が届きました。これはどうしたら……」
「好きにしろ」
「高価なのでは」
「気にするなと言っている」
 金銭感覚のずれは治りそうにない。
「この衣装を着て料理はできませんよ」
「料理以外にもあるだろう」
「掃除にも向いていません」
「あのな……」
 輝尚石が薄く明滅した。バトの真力が術にゆれを生み出しているのか。静かなうるみが大気を撫ぜる。
 わずかな間を、ゆるやかな沈黙が包んでいく。
 開け放っている窓から、草の香りが侵入してきた。静穏な緑の時間。手の平からの冷気と混ざり、高原にいるような錯覚を覚える。緑の大気は、かつていた牧歌的な村を思い出させてくれる。

 バトは、あの時を境に少しだけ変わった。
 彼女の思いが届いたのだ。密かにこの人の変化をうれしく思っている。
「手紙は読んだのか」
 唐突に話が切り替わった。
 今日も任務で忙しいのだろうか。こんなに暑い日なのにバトも大変だ。
「……ごめんなさい。読めませんでした」
 バトの書く流麗な文字は、難易度が高い。
 その上、とても難しい言葉が散りばめられていて、さらには見たこともない言葉も散見された。文字が読めない恥ずかしさもあって、努力をしてみたけれど……無理だったのだ。
「しょうがない奴だ」
 呆れ気味の台詞に、笑いが入り混じっている。
 耳に触れる音から、確かな温度が伝わってきた。
「導士地区で変化があれば、些細なことでも報告をしろ。里の中にいれば真術が届く。お前の体調に変化があっても報告を上げろ。"青の奇跡"とやらの全容は把握できておらぬ。害が出てからでは遅い」
「はい」
 黙契の輝尚石は、報告用であったらしい。手紙で連絡するよりずっと楽になる。いざとなったら助けを呼ぶことも可能だ。
 バトを呼びつけるのは気が引けるけれども、現状を考えれば必要な代物だった。
「俺もしばらくは里にいる。連絡を躊躇うな。前にも言ったがお前は他の真導士と違う。己の直感を信じろ」
「はい、わかりました」
「いまは大丈夫だな」
「そうですね。学舎でも修行場でも大きな騒動はありません。組み紐している人はいますけど、正師達が真術を弾いたそうです」
 戻ってきた日常。
 戻る前までは、果てしなく遠い道のりのように思えていた。でも、意外と簡単に戻ってこれた。
 学舎に行って。友人達と過ごして。ローグと一緒にその日を終える。
 何一つ変わらない毎日だ。

 いくつかの報告を上げ、とりとめない話をしてから展開を収束した。
 友人達もそうだけど、バトも態度が変わらない。
 自分達が気にしすぎていただけで、"青の奇跡"は大した驚きを与えなかったのだろうか。
 それとも――。

 輝尚石を袋に入れて、うんと背伸びをした。
 背伸びをしたらころんと鈴が鳴った。レアノアからのお土産。小さな鈴のお守りがローブの中で転がっている。
 鈴は、古より魔除けとして使われていたらしい。失われた真術の中には、鈴や鐘を利用したものがあったのだとか。いまでも貴族達は古よりの風習を守っている。そのため、ことあるごとに鈴のついた小物を贈り合うと言っていた。
 煌びやかな品々の中で、小さくなっていた鈴の飾り。何だか人事とは思えず、つい引き取ってしまった。

 楽しげに鳴る鈴をポケットの上から軽く叩いて、よしと気合を入れなおす。
 知らぬ間に得たたくさんの繋がりをかみしめ、ゆっくりと自室を後にした。

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