蒼天のかけら 幕間 真導士の捜索
真導士の捜索(1)
青が輝く。
懐かしい青。悲しい青。どこまでも広がるせつない色。
知っている。
夢だ。
また、違う同じ夢を見ている。
人影がそこにある。
青に漂泊するうろんな影を、不自由な場所で拒絶する。排斥を望み、しかし果たされないまま影が輪郭を作っていく。
右手が伸びた。
あの時にかかげた右手が、また同じように視界で伸びる。
(お願い)
輪郭がゆがみ、青で洗われてから色を出しはじめる。
(許して)
その色が浮き出る前に目覚めたい。目覚めないといけない。
(もう――)
ふさりと柔らかい感触がした。前髪の上で乾いた音を立てている。
天井が見えた。
毎日見ている木目の天井。木目にできたしみの中に泣き顔を見つけて、夢から覚めた自覚をもつ。
朝が、窓掛けの隙間から覗き込んできている。ふさふさの尻尾が動くたびに、両耳の上……髪の生え際に涼しさを感じる。
「ジュジュ……」
呼ぶと濡れた鼻を、頬に寄せてきた。
「おはよう。……ありがとう」
逃げ切れた安堵と、逃げ出した罪悪感を息にのせて吐き出す。
日が昇りはじめたばかりの時刻。世界は静かで涼しい。ぬくもりのすべてが消え去ってしまったようにも思えて、寂しげにも見える。
長かった夏が、終わりかけている朝。
聞こえてくる虫の合唱も、いつの間にか曲目が変わったようだった。
頬ですりすりとしているかわいい子を撫で、寝床にゆっくりと起き上がる。しっとり張りついている前髪の裏へ風を扇ぎいれ、息を整えた。
あれから悪夢ばかりを見る。
眠りが浅く。疲れも相まって、この二日間はほとんど寝て過ごした。
眠りの病を患った時、もうひと夏分は寝て過ごしたと思っていたのに……。自分はかなり不便にできているようだ。
前髪の裏に差し入れていた左手を下ろし、ジュジュの身体を抱く。
心配そうにしているつぶらな瞳。
どんな時でも自分を案じてくれるのは、このつぶらな黒と、彼の色。
やさしい色達は自分の心をやすらかにしてくれる。ささやかなやすらぎは、やはりどこか罪の味がした。
右手を見る。
夢で伸ばしていたこの手。まだまだ青白さが残る手の平を注視する。
今日は姿を成さなかった。青の中に沈んでいた輪郭は誰のものだったのだろう。
人でない自分は、受け入れてもらえたのをいいことに、また罪を重ねてしまった。やはり戻るべきではなかったのか。望んではいけないことだったのか。
悶々と繰り返される思考の壺に、新たな考えが浮かんできた。
もしも、受けるべき罰があの形だったとしたら。忘れるとまた罪を重ねるから、こうやって夢を見せているのだとしたら。
――夢で、友人達を屠ることが戒めということか。
小さな鳴き声が、耳をかすった。
「大丈夫……。大丈夫だから……ごめんね」
ゆらゆらとしている尻尾は、朝日を受けて銀色に輝いているようだ。
女神の世界は、今日も美しい。
抱き上げて額を合わせる。とことことした心音が指先を伝ってきた。ぬくもりを感じて、大きく息を吐く。頭の中で「悪い癖だ」となじる声がした。
怒られるだろう。
人だけでは飽き足らず、女神の考えすらも勝手に作り出して、とんでもない相棒殿だ、と。
寝床には自分とジュジュだけ。掛け布のあたたかさが昨夜より減っている。かなり前に抜け出していったらしい。
彼は早起きだ。
本ばかり読んで夜更かしするのに、朝はきっちりと起きる。
実家での習慣がどうしても抜けないとい言っていた。それで昼過ぎに眠気がくるらしく、長椅子でごろごろとする。腹がふくれると駄目だといいながら。
八分目にしてみてはと提案したこともあった。
そうしたら「飯が美味いから難しい」と持ち上げてきた。声が弱くなっていたから、言い訳だったのだろう。
胸に熱が灯った。与えられた幸せは、主の不在時でも心身をあたためてくれる。
朝食の支度をしよう。
熱を帯びた場所から、頼りなくも力が出てきた。昨日よりは前向きになった自分の頬を、ジュジュが舐める。
どうやらお褒めいただけたらしい。
そう。これもきっと試練だ。
試練が続いているということは、宿命の道も続いているはず。自分にも道があるという何よりの証拠だ。試練ならばきっと越えてみせよう。
しかし、まずは腹ごしらえが必要だ。
寝床から抜け出し、窓掛けを上げる。
壁のように分厚い白い雲が流れている。雲よりも高くある女神のまばゆい姿を、意識して目に焼きつける。
本日も晴天。
過ぎゆく夏を楽しむにはうってつけの天気である。
朝食の支度は終えた。
あとは皿に乗せるだけの状態。
その状態まで持っていって、自分は再び意気消沈している。今朝の決意はどこへやらだ。
足元で、かわいい子が高い声を出している。
お腹が空いているのだ。
ジュジュもそうだし、自分もそうだ。
「どこへ行ってしまったのでしょう……」
椅子の上で、首だけを扉に向ける。
家と外とを繋いでいる木の扉の向こう側を探り、大きな大きな溜息を吐く。
帰ってくる気配がしない。彼の気配が、探れる範囲のどこにも存在していないのだ。
諦めて、我慢できなくなったらしいジュジュに餌を与える。がつがつと食べ出した様子を見ていたら、お腹が鳴った。
娘としては大変恥ずかしい。でも聞いているのはジュジュしかいない。
だからまた大きな溜息だけ吐いた。
朝、起きた時から変だなとは思っていた。
家にいれば彼の不在はすぐにわかる。あの膨大な気配を、察知するに苦労はない。
変だなと思ったけれど何か用事があるのだと考え、朝食を作った。
彼はかなりの働き者だ。
家の周囲の掃除もするし、道の掃除をしていることもある。
最近では積極的に修行場へも行く。正師を訪ねていったり。友人達と連絡を取り合ったりと、よく動きまわる。今朝の不在も何がしかの用事だろうと思った。
……だがしかし、これはおかしい。
おかしいと思ったのは朝食ができあがってから。体躯に似合わず大食家のカルデス商人は、食事時には必ず戻る。
日時計よりも腹時計と本人が認めているくらいだ。
「全部、食べてしまいますよ」
二日寝込んでいた間、食事の用意もままならなかった。
せっせと仕出しを運んでくれていた彼のため、今日は好物ばかり揃えたのに……どうして帰ってきてくれないのか。
このままではきれいに焼けた玉子が冷めてしまう。
もしかして……。
もしかしたら、彼の危機だろうか?
ひやりと忍び込んできた考えを真眼に問い合わせて、違うようだとの答えを得る。
かくりと首を折った。
……ああ、全然わからない。
気力を失い、またもやぺったりと食卓に張りつく。
栄養が不足し、鈍くなっている頭を回転させて、何か手がかりを探そうと考える。
一大決心をして歩いていった先には彼の部屋。
当初の約束は、ほとんど無効状態。自分の部屋などは居間のような扱いになっている。
けれども、彼の部屋は堅牢に守られている。
本の山と格闘をしていたローグに夜食を持っていった時、部屋に足を入れただけで大声を出された。それこそ飛んでくるような勢いで自分のところまできた彼は、夜食への礼を言いつつ、慌てた様子で入口を塞いだのだ。
いわく、部屋が散らかっているから。
書きつけの整理中だからとも言っていた。
慌てぶりが奇妙だったので、不都合でもあるかと聞いたらこれには口を噤んだ。様子がおかしいと真眼を開いて真意を確かめようとしたら、部屋を追い出す始末。
あの時の釈然としなかった思いは、胸の内で燻っている。
人様には言えない所業でも、二人の間でだったらいいと思う。自分だってこちらの部屋に入ってくるのだし。真導士は男女の扱いが平等でもある。
――よし。
気合を入れて、不在を知りながら扉を叩いた。
これでいい。
最低限の礼儀は果たした。果たしたことにしておく。
「ローグ、入りますよ」
宣言の後、そっと扉を開く。
窓掛けは上がっていた。室内は明るく、机を除けばとても整っている。家具の配置はほとんど同じ。違うのは鏡台が設置されていないことくらい。
見渡したところで彼の姿はかけらもない。ローブも姿を消しているのでやはり出掛けているようだ。
もっとも手がかりを残していそうな机へと向かう。
開かれているのは名簿だ。自分達の名前も記載されている。いったい何を調べていたのだろう?
たくさんの書きつけは、彼が使う特有の文字。
……困った、これは読めない。
まったく手がかりを得られず、侵入した部屋でまた溜息を吐く。
作戦失敗、である。