蒼天のかけら 幕間 真導士の捜索
真導士の捜索(3)
一人での外出は、ずいぶんと久しぶりだ。
正確には三人になるのか。
家を出た時から二つの気配がついてきている。例のお目付け役だ。せいぜい大人しくしていなければと背筋を伸ばす。
籠を持ち、二人の家までの道筋を頭で確認する。……大丈夫もう覚えている。
男達の会合は日によって場所が変わる。わざとそうしているらしい。
理由は知らない。相変わらずの男女の壁である。
お互いの家はいざという時のため、全員が覚えるようにしていた。
人の家を訪ねる。
知己の少ない自分にとって、心躍る特別な香りがしていた事柄。でも、いまは辛くて……重さでぺしゃんと潰されてしまいそう。
頼りない松葉杖のおかげで歩みは遅々として進まず、背後の気配達が戸惑っている。
道の側に建つ家から、美味しそうな匂いがしていた。
食べそびれてしまったことへの後悔も出てきたけれど、科せられたものを優先しようと足を進める。
この胸のつかえが取れないと、味も満足にしないだろう。
本日、幾度目かの溜息を出して道を曲がり、その人影を見つけて声をかけた。
「ヤクスさん!」
「あ、サキちゃん。おはよー、気分は平気?」
長身の友人は、挨拶と問診を同時にしてきた。
もう大丈夫ですと伝え、世話になった礼を述べる。胸の内で安堵が広がった。
ヤクスはとても安心できる。
やはりお医者さんだから……、いや正鵠だからかもしれない。彼が放つ独特の気配は、いつだって周囲に凪を運んでくれる。
よろよろだった松葉杖も、いくらかしゃんとしたようだった。
「一人で出かけて大丈夫?」
「はい、事情が変わりまして、大丈夫ということになりました」
外で詳しくは言えない。今度、家にきたら話しておこう。
「あいつはどうしたの」
「出掛けています。探していると行きそびれそうなので、一人でお見舞いに行こうかと」
「お見舞いってクルトの?」
心臓がきしきしとした。
二日間で重ねられた時が、腰の高さくらいまで積まれていたようだ。
「ええ……」
若干、冷えてしまった指先にぎゅっと力を入れて、可能な限りの笑顔を作る。
そうしたら、いつものまいった顔で「あちゃー」と言われた。
「お見舞いならローグを連れていかないとまずいよ。いまクルトしかいないから」
どうもヤクスは往診の帰りだったようだ。
体調はよくなっているから話はできる。でも、ユーリが出掛けていてクルト一人でいるから無理と言うのだ。
つい、首を傾げる。むしろ好都合ではと疑問に思った。
できれば謝罪は一人一人にしたかったのだ。その方が丁寧に謝れるように思えていた。
「少し話したいこともあるのです。先日はお世話になってしまって……」
身体を張って戦ってくれていた人に、ひどいことをしようとした。
これは言えない。
言えばヤクスは同情して取り成そうとしてくれるだろう。でも、今回は自分だけで謝りにいくべきだ。
縋ってしまいそうになる心をきつく縛りあげ、背筋を伸ばして話を続ける。ここで折れたら、行けなくなってしまいそうでもあった。
「気持ちはわかるけど、やっぱりまずいよ。男の部屋に娘一人だなんて。男の同伴がいればいいけど……。悪いことは言わないからローグを連れていきな。悋気が大噴火しても知らないよ?」
あり得るだろうか。
相手は赤毛の友人だ。誤解に誤解を重ねたかの高士ならいざ知らず、ちょっと想像ができない。
「大丈夫だと……思います」
「大丈夫じゃないよ。一人で男の寝室に入ったら絶対に駄目だからね。聞いていてそのまま行かせたとあったら、オレが沈められちゃう。お願いだから付き添いを連れて行ってってば」
頼むよ、お願いだと、焦ったように繰り返す友人におされ、しぶしぶ頷く。
「あー……よかった。オレが行ければいいんだけど、ちょっと急用で行けないんだ。今日だったら皆してジェダスの家にいるだろうし、そこまで送っていくよ」
「ありがとうございます」
親切な友人はジェダスの家まで送ってくれた後、大急ぎで走っていった。どうもお嬢様がらみの急用らしい。
何だか悪いことをしてしまった。
親切への礼と、時間を使ってしまった謝罪を記憶に残して扉を叩く。
今度、夕飯に招くことにしよう。
「ジェダス、いないよ」
家から出てきたティピアは、困り顔で言った。
「そうなのですか? 実はローグを探していまして、皆さんと一緒にいるのではないかと……」
「わかんない。家に来たのはダリオとブラウンだけだった。今日は暑いから喫茶室で涼みながらにしようって、三人で出て行っちゃったよ」
……うむ、困った。
ここにも黒髪の相棒の姿がないとは。
提げていた籠の果物を見る。このままでは炎天下で傷んでしまいそうだ。
ティピアの言う通り、この家からは他に気配がしない。小さな彼女は居間で時を過ごしていたのだろう。食卓の上に、色紐と端切れが置かれている。
一人、悠々と針仕事をしていたようだ。
「ありがとうございます。喫茶室に行ってみます」
「うん……。一人で大丈夫?」
つい笑った。
いつの間にか友人達に、うちの相棒の心配性がうつってしまったようだ。
大丈夫と返したのに、ティピアが難しい顔で悩み出した。そうこうしていると、ちょっと待っててと部屋に行き、駆け足で戻ってくる。
「一緒に行く」
「え? 本当に大丈夫ですよ。今日は暑いので、家にいた方が……」
「いい、行く」
滑らかに飛び出してきたティピア。
有無を言わせぬ早さで、手にしていた布を籠にかけてくれた。
「お留守番、飽きたから」
わかりやすい嘘に、またありがとうと返す。積もるやさしさのおかげで、松葉杖が心持ち強さを得たようだ。
ほこほことした気持ちが出てきて、頬と肩の強張りがゆるむ。
「ローグレスト、いるといいね」
「ええ。早くお見舞いに行きたくて……。でも、男性の同伴が必要だとヤクスさんに注意されまして」
ユーリが出掛けているらしいのですと伝えると、小さな彼女の愛らしい紅水晶が開かれた。
「一人で行く気だった?」
「ええ、まあ」
流れがまずい気がしてきた。
そんなにも駄目なことだろうか。
「……駄目、ですよね?」
そろそろとした質問に、きっぱりとした回答が来た。
「駄目。絶対にいけない」
ティピアの様子からかなり常識外れな行いだとわかり、いまさらながら恥ずかしくなった。
「わたし、本当に疎くて……おばあさん達から色々と教わっていましたけれど、あまり詳しくは聞いていないのです」
十五になったら大人。
娘としての恥じらいを持つべき。恥ずかしい行いとはこういうことだと話してくれた。でも、どうして恥ずかしいとされるのかまでは、教えてもらっていなかった。
「そもそも、後ろ髪を出してはいけない理由も知りません。成人前までは出していたのに、一日を境に仕舞わなければいけないなんて……。変だなって思います」
まんまるになった紅水晶に、眉を寄せた自分が映る。
「そうだね……」
「ティピアも知りませんか」
「うん。お姉ちゃんも隠してたから、大人になった証拠なのかって……」
「額飾りみたいなものでしょうかね」
「たぶん」
燦々と日の照る道を、二人で眉を寄せながら行く。
世の常識とはとても難しいものなのだ。