蒼天のかけら  幕間  真導士の宴


真導士の宴(2)


「懲りないよな、ローグも」

 高いところから落ちてきた苦言に、ひたすら無言を返す。
 踏まれたばかりの右足が悲鳴を上げている。医者の癖に患者を作るのはどうかと思う。
「次の休みは神殿に行くか」
「……行ってどうする。実習運は上がらんぞ」
「哀れな子羊を守れるなら、上がらなくても構わないけどね」
 紫紺があやしい光を出した。これ以上は何も言うまいと心に決め、口を噤む。
 わかっている、どう考えても俺が悪い。
 他の連中の様子を確認しつつ居間の掃除をする。いつもの食事会より手際が悪いのは、娘達が出掛けたせいだ。

 男達は大事な話を隠してしまう。

 不満の声を上げたのはサキだった。
 特に意地悪をしたいとか、侮っているとかではない。過去の話の中には伝えるのが酷と思える内容があった。そういった話は娘に伝えない方がいいだろうという、気遣いのつもりだ。……必死になって説明したというのに、上手くいかないものだ。
 全部話すと約束したのは、合同実習から帰還した次の日。
 これで一件落着と思ったのも束の間で、レアノアがとんでもないことを言ってくれた。

(――お詫びの気持ちなら、いただいてもよくってよ?)

 お嬢様の高飛車な発言は、娘達の後押しにより決定事項となってしまった。
 そんなこんなで手際悪くも無償奉仕に精を出している。
 男だけで食事会の支度をしろとは、無茶を言ってくれたものだ。
 キクリ正師のコネを使い、"風波亭"の仕出しは頼んである。残すは掃除と飾り付け。それから酒の引き取りと、水菓子と焼き菓子の準備。
 何はともあれ掃除と飾り付けをやっつけてしまおうと、手分けをしてみたのだけれど。……どうも手際が悪い。
 人数がいるからと楽観していたというのに、この調子で終わるのかと不安になってきた。
「おい、それは床掃除用だ。食卓用の布巾は炊事場にあると伝えたろう」
 やべ、と言ったブラウンが大急ぎで炊事場に向かう。
 困ったものだと嘆息し、ひどい有様となった居間を見渡す。

 掃除した場所から汚れていくのは何故だ。

 揃いも揃って甘やかされていたのだなと、呆れながら友人達を眺める。
 まともに動けているのはヤクスとチャドくらい。
 あとの連中は掃除もまともにできないらしい。あのジェダスですら、汗をかきつつ窓を拭いている。拭いているのはいいが、雑巾の絞りが甘くて雫を垂らしている。
 あそこの床はさっき拭いたばかりだ。

「お前達、その調子で家は大丈夫なのか」
 ひいふうと汗を拭い、ジェダスが申し訳ないと眉を下げる。
「ほとんどティピアがやってくれていまして」
 これに同意したのはクルトだ。
「普通はそうだろ? 掃除なんざ実家でもしたことねえよ」
 早々に汚れた水をぶちまけた犯人は、むくれながら飾り付けの準備をしている。
 並んで作業しているのはダリオ。こいつもこいつで作業を増やしてくれた。今後、近くに壊れ物を置いてはいけないと決意したばかりだ。
「うちは男同士なので……手分けしてやってますけど」
 皿を五枚も割ったダリオは、行き届いてないと匂わせて小さくなった。
 他の三人も似たような回答をする。
「考えられんな……」
 掃除はすべての基本と骨の髄まで叩き込まれた身としては、絶句せざるを得ない。

「うっせーな、考えられんはこっちの台詞だぜ」
 一人で修行なんかしやがってと、むくれた犯人が矛先を変えてきた。
「そうですね。内緒にしてもいいことありませんし」
 どうも蠱惑同士で組むことにしたようだ。
 好ましくない流れを感じ、改めて口を噤む。しかし今度は横槍が入ってきた。
「あんなにサキちゃん泣かせておいて、こっそり修行してましたってのはねー」
 愉快そうに追撃してきたヤクスの目は、相変わらず不穏に光っている。余計なことをと思えども、反撃は許されないだろう。
「サキさんをですか……?」
 聞いてきたのは意外にもダリオだった。
 その瞬間、居間の雰囲気が奇妙によじれたようだった。
 どうしたことかと思って奴等を見渡したが、微妙な顔付きで固まっていてわかりづらい。気配を読みたくとも、真力の高低差のせいで自分には不可能だ。
「ダリオ、どうし――」
「何でもないっす! 大丈夫っすから!!」
 おかしいと思って聞こうとすれば、エリクが間に入ってきた。その慌てぶりが疑問に拍車をかける。
「おい、足! 桶が!!」
 クルトの呼びかけに、全員がぎょっとして時を止めた。
 エリクの足元で盛大に波打っている桶を注視し、ゆっくりと静まっていくのを待つ。
「……危ねえな」
 やらかした第一号に言われて、エリクが顔の汗を拭いた。雑巾だぞと言う前に仕出かしたものだから、またも騒ぎが起こる。

「ローグレスト、修行の成果は?」
 騒ぎが落ち着いたのを見計らってチャドが聞いてきた。連中も気になるようで居間に静けさが戻る。
「多重真円を描けるようになった」
 遺跡で描いたのがいいきっかけとなったらしく、いまでは難なく描けている。
「すごいなー。バト高士って教え方が上手いのか」
「……いや」
 ヤクスの問いに即答はできなかった。
 上手いと答えるのはどうにも憚られる。
 あの男はサガノトスの高士の中でもっとも強いという。経験に裏打ちされた実力は、身に沁みるほど味わった。
 実戦での動き方も戦術の立て方も、見習うべき箇所が多い。
 だからと言って経験と実力が、そのまま教え方の良し悪しになるのかと聞かれても、その通りとは言いがたい。
 対価は手ほどきと、しっかり伝えたつもりだったのだが……。
 あれを手ほどきと呼ばんだろう。
 最低限の知識を叩き込んで、やってみろと放り出される。放り出されるならまだやさしい方で、時に追撃がくるから生傷が絶えない。四苦八苦して「なるほどこういうことか」と体得し、どうにか"しごき"に耐えているというのが実情。
 負の感情ごと事実を伝えたところ、同情じみた気配が周りに渦巻いた。
「大変そうだね……」
「まあ、な」
 初日があまりに無様だったから、サキにだけは見られたくないと思っていたというのに。
 いまでは毎日見学に来ている。
 たまには男心を汲んでくれてもいいように思う。実に困った相棒殿だ。

「それってよ、お前だけなのか」
 言い出したのはクルトだ。
 どういう意味かと振り向いたら、めずらしく真剣な顔をしてこちらを見ていた。
「手駒は、一つより複数の方がいいんじゃねえか」
 そもそも調べものには全員が関わっている。自分達も対価があるべきではと続けてきた。
「まだ死ぬ気はねえ。むかつく相手だとしても可能性が上がるなら、修行だろうが"しごき"だろうが受けて立つさ」
 そうだよなと周囲に問い、それぞれから頷きを得る。
「……話してはみよう」
 期待するなよと付け加え、頭を働かせる。
 自分達にはそれぞれに守るべき相手がいる。
 思いの形は違うけれど、失えないという気持ちは同じだろう。
「お願いしますね」
 念押ししてきたジェダスに、苦笑だけ返す。
「ようし! 今日はたらふく食べるぞ」
 まだ結論も出ていないのにその気になった様子のブラウンが、腕まくりをし直して床を拭き出した。手付きが荒くて、嫌な予感ばかりが膨らむ。
 それを皮切りに、手際の悪い連中があちらこちらで動き出す。
 動き出した挙句、今度はフォルが水をぶちまけてしまい、全員揃って溜息を出した。

「……これ、終わるのかな」
 心配そうなチャドの発言に、誰も返事を寄こさなかった。

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