蒼天のかけら  幕間  真導士の宴


真導士の宴(5)


「……だから、違いますって」

 しゃべり続けて、もうへとへとだ。
 誤解を解こうとしていたのに流れる砂に足を奪われ、ずるずると滑落して底に落ちた。
 昇ろうとしても上からの追撃が多く、とうていかわしきれない。
 底の底でぐったりと埋もれ、ついに理解する。
 彼女達は真実を知りたいわけではない。面白い話が聞きたいだけ。実習で世話になった高士より、思わぬところから出現した恋敵の方が楽しいだけなのだ。



「うらやましい……。男に取り合われるなんて本望でしょ」
 そばかすが散った頬に紅を乗せて、乙女が夢を見続けている。
「ローグレストさんはもちろんだけど、あの人も悪くないわよね」
 また一つ、焼き菓子をほお張りながらマリアンが言う。その内容に驚き、思わず目をむいた。
「わ、悪くない……ですか?」
 あんなに不機嫌で、不遜で、態度と扱いが悪い人なのに。マリアンは一体どこを見ているのだろう。
「悪くないんじゃない? ……怖いけど」
 マリアンにつられて娘達が空を見た。
 それぞれの頭上で、ぼんやりとあの人が描かれている様子だ。想像の中身が見えないことに感謝の念を抱く。もし中身が見えてしまったら、現実とのあまりの差で頭がおかしくなってしまいそうだ。
「そうよ、悪くないわ。背も高いし!」
 ライラにとって、背の高さは最重要な項目であるらしい。うきうきと同意した彼女だったが、最後に「……すっごく怖いけど」とつけ加えることだけは忘れなかった。

「でも、やっぱりローグレストさんだよー。サキちゃんのこと大事にしてるもん」
 咲き誇った色が、花比べの妄想にさらなる勢いを与えてしまう。
「本当にね。日がな一日、サキのことばかり。……いい加減、胸焼けがしてくるわ」
 毒を吐きながらも、お嬢様が悩ましげな吐息を出した。
 さすがはご令嬢なだけあって、他の吐息とは悩ましげ具合が違う。その吐息から薔薇が香っていても、不思議と思えないくらいだ。無意味な妄想で楽しむより吐息の出し方を習った方が、これからの役に立ちそうである。
「大事にされるって……?」
 俄然、興味を深くしてライラが前のめりになった。
 その質問に、ぎくりとする。
 誤解だと言い切れる青銀の真導士についてなら冷静な対処ができた。
 しかし、黒髪の相棒についてとなれば話が違う。想い合っているのは事実だから、誤魔化しようがない。
「それは、ねぇ?」
 にひひと意地悪な顔をしたユーリが、隣のティピアに同意を求める。
「あんまり、人に言えない……」
 同意を求められたティピアがほそほそと言い、レアノアから笑いが出た。
「言葉にしただけで口の中が砂糖で埋もれるわ。今日なんて朝っぱらから抱き合ってたし」
 喫茶室に甲高い声があふれる。
 炊事場からどうしたことだろうと視線が飛んでくる。追加の焼き菓子を手にしている給仕のおばさんと目が合い、いたたまれなくなって卓に張り付いた。
 言わなくてもいいと思う。
 見られたのは失態だったけれど、皆にばらす必要などないと思う。
「だ、だ、抱き合うって、どんな感じ? ねえ、ねえ、どんな感じなのっ!」
 卓と顔のわずかな隙間から、ライラが顔を覗き込んできた。決して目を合わせるものかと気力を束ね、ぴったりと卓に張りつく。
 嫌だ、起き上がりたくない。もう現実なんて見たくない。
「……ライラ、それは聞かないでおきなさいよ。はしたないわ」
「だって、だってえ!」
 娘の番が、頭上で盛大にさえずっている。
 そのさえずりが、周囲の卓に伝染するまで時間はかからなかった。あちらこちらから赤面ものの推察が飛んでくる。
 推察は、貴公子との前評判に強く影響されていて、とても聞いていられない。



 違う。
 全然、違う。
 ローグがそんな歯が浮くような台詞は出さない。銀縁の相手役のような、格好つけたことは一切言わない。
 フォアカトレアもマーディエルも贈られた記憶がない。……ああ、衣装はある。
 でもでも、真珠のようだと肌を褒めてもらったことなどない。
 薔薇の唇というのも無理だ。自分は相変わらず血色が悪い。冬はもっと温かいものを口にしよう。
 日傘を持っての先導?
 フードがあるのに日傘を使う必要がない。それは自分達だって一緒のはずだ。



 聞けば聞くほど恥ずかしさが増してきて、頭がかゆくなってくる。このままでは思考が砂糖漬けにされてしまうと危機を感じた時、赤レンガの壁越しに膨大な気配を視た。
 紛れもない海の気配は、道をつたって喫茶室の入口へ移動する。
 何もこんな時にという思いと釈放の喜びが、胸の中でこんがらがった。こんがらがりながらも、期待が胸の中で大きく手を振っている。
 彼が来たのなら百人力だ。
 何せ彼の正体は、口達者な悪徳商人である。
 想像でさえずっている娘相手なら、いとも容易く切り抜けてくれるはず。張りつけていた顔を上げ、手を振り続けている期待と一緒に、扉が開くのを心待ちにする。

 彼が扉の影から現れた瞬間、喫茶室の音が消えた。
 赤レンガで造られた"さえずりの間"が、パルシュナ神殿の大聖堂となってしまったかのよう。
 ついでにかゆくなっていた頭から、恥と思考とが弾き飛ばされて消える。残されたからっぽの頭に目からの光景が届いたのは、たっぷり時を消費してからだった。
 待ちかねていた相棒は見慣れない格好をしていた。
 身につけている厚手の衣装は、少なくとも自分が干した衣服の群れにはいなかった。
 鉄紺の上衣は膝までたっぷりと伸ばされていて、動くたびに大きくゆれる。首元には白いレースが何重にも巻かれており、こちらも贅沢に伸ばされている。上衣についている大きな金色のボタンは一つも留められておらず、だからこそ内側の素材がよく見える。金糸で織られている内布には、大柄な花の模様が入れられていた。

 これでは完全に貴族である。

 からっぽだった頭に彼のすべてが入ってきた時、ようやく音が復活した。
 ブーツの踵が出す音が、かつ、かつと近づいてくる。
「どうしました……」
 と、聞いたはずの声は、最初の一語だけ大気に出た。残りは気配で補完したのだろう。学舎で出している仏頂面のまま意味不明な返答が飛んできた。
 困ったことだが、彼はごくたまに言葉が足りなくなる。「早期返済」と言われて、誰が理解できるというのか。
「あら、いい趣向じゃないの」
 しんとしたままの喫茶室に、お嬢様の面白がる声が響く。
 横目でお嬢様を睨んだ後、目の前までやってきたローグがゆっくりと膝を折る。

 まるで、劇の一場面のようだった。
 すっかり観客と化している娘達の前で、劇が進む。
 白い手袋が右手側だけ外された。
 薄く焼けた手が、自分の手を奪っていく。丁寧な仕草だったけれど握り方が大いにやさぐれている。
「一体、何があったのですか」
 と、出したはずだった声も、やはり最初の一語だけ大気に落ちた。
 そして場面に不似合いな一語は、舞台に立っている黒髪の相棒にも無視された。



 大いにやさぐれ。意味不明な気配をまとった仏頂面の恋人が、手を握ったまま台詞を言った時。
 観客の興奮が最高潮にまで達し、黄色い歓声が赤レンガを震わせたのだった。

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