蒼天のかけら  幕間  真導士の宴


真導士の宴(6)


「グラス行き渡ったー?」
 ヤクスが聞いて、全員がグラスを高めに持った。
 本来だったら、隠し事をしていたローグが音頭を取る予定だったのだけれど。劇を終えた途端、むっつりと黙り込んでしまっていたので、大先生に役目が回った。
 全員がグラスを持ったことを確認したヤクスが、こほんと一つ空咳をする。
 そして誰よりも高くグラスを掲げて、ほがらかな声で言う。
「それでは、無事に実習を終えたオレ達に。――乾杯!」
 発声に合わせ、乾杯と言ってグラスを掲げて一口含む。柑橘のさわやかな芳香が口いっぱいに広がった。

「なかなかの出来ね」
「お褒めいただき光栄です」
 もはや従僕の様相を呈してきたヤクスが、うやうやしく腰を折った。
「掃除、大丈夫だった……?」
 小さな彼女からの問いを受け取って、ジェダスの眉尻が一段と下がった。
 それと同時に、卓に並べられた食事を突いていた男達の気配がゆらぐ。どうも大丈夫ではなかった様子だ。
「飾り付けは早かったよ」
 チャドの一言に、彼らが揃って頷く。普段はもっと頼りになるのに、こんな時はまるで少年のよう。ローグとクルトだけと思っていたけれどまた訂正しよう。同期の彼らは、皆して背伸びをしているのだ。
 微笑ましい事実を胸に仕舞って、また果実酒を口に含む。
 そうやって香りと甘さを味わっていると、目の前に皿が差し出されてきた。
「飲んでばかりいないで、何か腹に入れたほうがいい。酔っ払うぞ」
 宴がはじまったことで貝の口が開いたようだ。
 いまだ衣装をまとったままの彼だったが、皿を渡しながら袖を気にするような仕草をした。
「袖、汚しましたか」
「いや」
 否定しつつ袖を引っ張る。
 そして右腕を高く上げて、肩口を確認した。
「……きつい」
 服の大きさが合っていないのか、とても窮屈なようだ。

 夢中で料理を食べていた四人がローグを見て、おかしいなという顔をする。
「見立て、間違ってましたか」
「変っすね。ぴったりだと思ったんだけど……」
 燠火の四人が、互いの顔を見合わせて思案している。それに合わせてジェダスが「おや?」という顔をした。
 勘が働き、事実をつかむ。
 うちの相棒を貴族に変化させた首謀者は、ジェダスだったようだ。燠火の四人は下手人といったところだろう。
「全然違う。これでは肩がきつくて動けん。上着だけでも脱いでいいか?」
 返事を待たずに脱ぎ出したので、急ぎ皿を置いて彼の背後に回った。
 一見して高そうな衣装だ。
 余興のつもりで買ってきたにしても、大切に扱う必要がある。汚してしまう前に安全な場所へ移動させよう。
 ローグにしてはめずらしく、もたもたとしながら上着と格闘している。
 かなり無理矢理な状態で着ていたらしい。肩と腕でつっかえているのを二人して引っ張り、何とか破かずに剥ぎ取ることができた。
 剥ぎ取った上着のしわを伸ばして、全体の大きさを確認する。
 確かに彼が持っている上着より小さい。
 これでは窮屈に決まっているだろうに、よくいままで我慢したものだ。
 解放されたローグは、大きく伸びをして両肩を交互に回した。遠慮なく身体を伸ばしているけれど、シャツとベストも小さいように見える。いまにも破きそうで、一人はらはらと動きを見守る。
 そんな時、横にいたヤクスが何を思ったかローグの腕と肩を叩いた。
「お前、意外と着やせするんだな」
 友人からの問いに「知るか」と返し、首のレースも解く。
 これで生きた心地を取り戻したようで、手近にあった肉をつかんでがぶりとやった。せっかくの貴族風が台無しである。
 幸せそうにほお張る姿を見て、しょうがない人だと口元をゆるめた。
 一方、横のヤクスは、いまだローグの二の腕辺りを確かめている。触診の時のように握り、それから自分の二の腕を握って肩を落とした。

 ――ああ。
 これぞまさに「しょんぼりとしている感じ」だ。

 思いがけず得た機会を生かし、しょんぼりとした友人をひたすらに観察する。
「……そりゃ馬鹿力だよな。何したらこんな風になるんだよ」
「荷捌きをすれば自然と」
「恐ろしいなー。南にはこんなのがわんさかいるんだろ?」
「お前……。このくらいで驚いていたら、カルデスには行けん。もっと頑強で、岩のようになっている男が一山分はいる」
 うひーと奇声が上がって、笑いが天井一杯に広がる。
「体力も真力も……。やっぱりローグは恵まれ過ぎてるよ」
「ヤクス、体力はともかく真力だけじゃ何にもならないわよ」
 手づかみで食事をするのは初めてと、語っていたレアノア。めずらしく嬉々とした様子のお嬢様は、手で食べられる料理だけを選んで皿に乗せている。
「真力よりも、気力と対話と想像力。わかったならもっと修行に勤しみなさい」
「えー。でもさ、レニーの家は真力の高さに厳しいって……」
「それは婚姻する時だけ。真力の高さは遺伝だから、"真導士一族"でいるためには必要なの。単純に真導士としての強さを求めるなら、真力は全然重要じゃないわよ」
 彼女の解説に、へえと声が漏れてきた。
「輝尚石に籠められるようになれば楽に補えるし、"真脈"と"真穴"があれば、問題にもならないわ」

 相応の真力を有し、導士となる前から真術が使える人は"珠卵(じゅらん)"と呼ぶのだそう。真導士の血縁者に多く、里への申請が必要なものの、申請さえすれば簡単に承認されると聞いた。
 物心ついた時には"珠卵"だったというレアノアは、この場の誰より真導士に詳しい。

「気力と対話と想像力……」
「ええ、そうよ」
「では、レアノア殿。真術を強化するなら、修行するのみということでしょうか」
「もちろん。あとは真術書を読むのがいいわ。でも、導士地区の図書館じゃ駄目。あそこは限られた本しか置いていないから。借りるなら高士地区の図書館にしなさいな」
 またもや、へえと声がした。
「真術書……。わたし苦手だなぁ」
 ユーリのぼやきに、ついつい便乗してしまう。
「そうですね。もっと読みやすければ……」
「文句言っている暇はないでしょ。例の日も近づいてきているし、真導士になったら逃れられない」
「苦手なんですもの」
「とにかく読めるだけ読みなさいよ。その調子じゃ、いつまで経っても慣れないでしょ。銀縁でも金縁でも、絵本だって構わないわ。私もそれで覚えたの」
「……レニーは、金縁も読むのですか?」
 金縁は男が読む本。そう思っていたのに、まさか貴族の姫君であるレアノアが読んでいるとは。
 驚いて聞き返してみれば、悪いことでもあるのと面白そうに笑う。
「何でも読むわよ。世俗を知らなければ民の本音が見えなくなるから。銀縁、金縁。呼び売り……それから枕敷まくらじきもね」

 この発言を受け、何故か男達がいっせいにむせた。

 げほげほとやっている彼等の中で、ブラウンが青ざめた顔をしている。
 詰まらせてしまったと察知し、大急ぎで水を汲んできて渡す。
 そうこうしている間にも、あちこちで苦しそうな咳が続いている。一体全体どうしたことかと見渡し、真っ赤な顔をして立ち尽くしているティピアを発見した。
 茫然自失となっている小さな彼女は、蚊の鳴くような声で「枕敷……」とつぶやいている。
「レニー、何てことを言うのさ!!」
 いち早く立ち直ったヤクスが、お嬢様を叱責した。
 滅多にない光景だったので、思わず目を瞬かせる。ヤクスがレニーを怒るなんて、はっきり言って異常事態だ。
 一変した異常な世界で、咳が治まってきた黒髪の恋人と目が合う。目が合った瞬間、びくりと顔が強張ったのも不思議だった。
 色々なことが飲み込めず、ついつい物知りな彼に助けを求めた。
「枕敷って何でしょうか」
 黒髪の隙間から見えていた耳が、鮮やかな赤に染まる。
 露骨な動揺は、生まれた疑問を深くした。汲々とした気配を出している恋人は、長い沈黙を越えて一言だけ搾り出す。
「知らなくていい……」
 その一言で、ますます疑問が深くなる。
 しかし、彼らの混乱は大変なものだ。また喉に詰まらせても……と悩んでいたら、卓の向こう側でユーリが動いた。
「クルトは、読んだことある?」
「ねえよっ!!」
 大声にちょっと怯んだユーリだったけれど、すぐに体勢を立て直して追撃をする。
「絶対に嘘。いまの嘘ついてる顔だもん。どんな本な――」
「知るか! 見たこともねえし、聞いたこともねえ!!」
「もうっ、何で嘘つくのよー!?」

 むきになった幼馴染の番が喧嘩をはじめてしまう。
 そして、こちら側ではめずらしい叱責が、まだまだ続いている。頭を抱えたり、項垂れたりしている男達の真ん中で、お嬢様の優雅な笑い声が高く上がった。

 秋も深まったサガノトスで、この家だけがひたすらに賑やかだった。

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