蒼天のかけら  幕間  真導士の特訓


真導士の特訓(6)


「危ねえだろうが!!」
 この人数で追われたらさすがに辛い。本当に"誘発"したらどうするんだ。
 ぐちぐちと続けているティートンを無視していれば。幼馴染の番に「助けてやった恩義を忘れたのか」と詰め寄り。その後、ローグを捕まえて「お前が本気でやったら洒落にならない」と怒りはじめた。
 たった一人なのに、大隊長殿は必要以上に騒々しい。

 そんな激しい抗議もどこ吹く風。
 平静を取り戻した青銀の真導士は、一同を並べて反省会を開いている。
「動きはいい。連携も問題なかろう。ただまだ甘い。追い詰められた輩は何をするかわからぬ。今回のように人質を取られたら、こちらの動きが封じられる」
 バトの苦言に全員が頷いて、卑怯な真似をした大隊長殿をちらりと見た。
 その態度に不満を覚えたのか、大隊長殿は鼻息も荒く反論してくる。
「卑怯も何もあるもんか。弱点を狙うのは正攻法だ」
 完全に悪人の発想である。
 この人を里の要職に就けていて、本当にいいのだろうか。
 結界ぎりぎりまで追い詰められたティートーンは、卑怯にも転送を使って後方に回り込み、ティピアを人質としたのだ。
「どれほど不利な条件であろうとも。如何に相手が卑怯極まりなく、愚劣で、救いようがない悪党であろうとも、法や倫理が助力を与えてくれることは期待できぬ」
 この苦言にも全員が揃って頷いた。まさしくバトの言う通りである。
 端っこの方で「……そこまで言うか」と拗ねている人がいたけれど、誰も振り向きはしなかった。

 ――これは課題としておこう。
 その一言で、本日の修行は終わりと相成った。



 食卓に手帳を広げながら眠い目をこする。
 昼過ぎが一番眠い。お腹がいっぱいな上に、ちょうど大気がぬくもってくるからだ。
 鈍くなってきたペン先を拭い、もう一度インクをつけた。日に日に覚えることが増えていく。早く書きつけないと、頭からこぼれて見失ってしまいそうである。
 間違えないよう、ゆっくり慎重に線を引く。
 旋風はまるで矢羽根のような形だった。炎豪はいまローグが見せてくれた。炎というよりも花弁の多い花のようだった。
 流水はどうだろう。
 炎豪を描ききったらまたローグに見せてもらおう。たびたび読書の邪魔をしてしまって申し訳ないけれど、必要な知識なのだ。

 ……それにしても眠い。

 眠ってはいけない時ほど、眠気が増すのはどうしてだろう。
 力を蓄えていると言っても、知識を蓄えるのも重要だ。理由があるにしろ、自分達導士は真導士の知識から離されていた。いま覚えた知識が、あと数日後に運命を左右するかもしれない。
 そう考えると覚えても覚えても足りていない気がして、昼寝をするなどもってのほかだと思えるのだ。
「サキ、休んだらどうだ」
 低い声の誘惑がきた。
 これに首を振って、またペン先にインクをつけた。
 くつくつと笑い声がしている。強情だなと言いたいのだろう。強情で結構なので、続きを描くためペン先を滑らせる。
 黒い線のはじまりと終わりが繋がった。ああ、よかった……と手をゆるめた時、眉間にあたたかい感触がきた。
「しわができてる」
 むうと唸って威嚇をしても、くつくつ笑いは続いている。
「眠いなら無理して起きていなくてもいい」
「でも」
「付け焼き刃だと言っていたろう。当日、疲れで寝込む羽目になったら元も子もない」
 と、もっともらしく言っているローグだが、その手にはしっかり真術書が乗っている。
「まったく説得力がありません」
「……心配しているのに」
「言っていることとやっていることが、合っていないんですもの」
 指摘したら本を閉じて拗ねたような顔をした。
「ひどいものだ。こんなにも案じている恋人を無碍に扱うとは」
 へそを曲げたかと思いきや、気配は穏やかなまま。
 どうもへそを曲げたふりで休憩にもっていきたい様子である。きっと真術書に飽きたのだ。頁をめくる音がしばらくなかったので、そんなことだろうと思っていた。
「あら、困りました。焼き菓子で機嫌が直るといいのですが」
 言いつつ立ち上がり、炊事場の棚へと向かう。
「直るかどうかは食べてから決める」
 拗ねたふりが雑になってきた。やりはじめたのは自分なのに、やめるのが早い。一人でやっていたら恥ずかしいではないか。
「変な感じですね」
「そうだな」
 あと数日。
 "風渡りの日"は、もう目と鼻の先にまできている。それなのに、里は平穏そのもの。
 荒れていた気配も嘘のように静まり。同期の面々に視えていた薄暗い感情も、どこかに消し飛んでいた。
「……大丈夫でしょうか」
 焼き菓子を手に食卓に戻る。
 弱気をこぼすのはこれで最後にしよう。そんな決意を毎日している。力を得ても自分は相変わらず弱いままで……情けない限りである。
「まったく。俺ほど辛抱強い男は、なかなかいないだろうな」
 浅く焼けた右手が攻撃の意思を見せた。
 額を弾かれる痛みを想像して、咄嗟に身構える。
「自分の恋人の前で、他の男を心配するなんて……。どうしてサキはこうなのだろう」
 詰りを受けて肩をすぼめた。
 気配で心が伝わるのはとても便利で、たいそう不便である。
「ローグは気になりませんか」
 言葉は真導士にとって重要な要素。
 幾度も念を押されるものだから、他の人の言葉遣いが気になってくるのは自然なこと。

 彼女の気持ちは伝えた。確かに青銀の真導士に伝わった。それなのに……あの人の言葉が未来を紡いだことは、一度もない。
 バトの過去の夢に乗った時と同じだ。
 "風渡りの日"を境にして光が失われている。失われたままになっている。

「どんなに望んでも、他人の生き方は変えられない」
 反論したかった。
 でも、できなかった。
 ローグの言うとおりだとも思ったから。納得したと同時に泣きたくなる。
 欲張りな自分は、サガノトスのすべてを守りたいと願う。何一つとして失いたくないと思っている。でも自分の手は悲しいくらい小さくて、どうしても隙間からこぼれていってしまうのだ。
「……何ででしょう。里に来てからできることは増えているのに、何もできないように感じます」
 東の地にある邪悪の影。
 過去に相まみえた存在には、いくら努力を重ねても適わないように思える。
「大丈夫だ、サキには"神具"がある。いざとなれば……"青の奇跡"も使える」
「駄目です。……使えません」
 あれは駄目だ。二度と使いたくない。
「駄目なのです」
 あの力は恐ろしい。人でない自分をさらに否定する。
 女神の子としても生きられなくなるから、絶対に使えない。
「そうか? 俺はそうは思えない」
「どうしてです」
 聞いたら何故か困った顔をした。
「思えないから……だな。だってそうだろう。俺はいつも"青の奇跡"に助けられている」
 当然のように言われて、信じられない思いがした。
「でも……」
「サキが信じられないのもわかる。無理強いするつもりもない。ただ俺は信じている」
 ぽりぽりと軽快な音がする。
 おいしそうに食べているその姿は、実に幸せそうである。
「言ったろう。他人の生き方は変えられない。いくら相棒でも、俺が信じていることを否定できない」
 結局のところ。人という生き物は、己がこうと思ったことしか信じないのだ。
 古老が言うようなことを話し、くったくのない笑みを浮かべる。
「だから、サキは信じたいことを信じればいい。望みたいことを夢見ればいい」
 ちょうどいいから勝負しようか。
 ローグはそんな風に言って、また焼き菓子を口に放った。
「勝負、ですか」
「"風渡りの日"にどれだけ望みを叶えられるか。お互いの手帳に書いておいて、叶った数の多い方が勝ち」
「もし勝ったら」
 黒目がぐるりと天井を回った。
「そうだな。勝った方に五点加算する……で、どうだ?」
「いいですよ」
 決まりだと言って、またうれしそうに笑う。一緒に笑ってから、焼き菓子の数が減っていることに気づく。まだ一つも食べていないのに、食いしん坊は遠慮なしだ。
 負けじと三つほど取って、口に放ってみた。
 香ばしい匂いが口いっぱいに広がって、わずかな間だけ不安が形を潜める。ぽりぽりとしながら窓の外に目をやった。

 じきに夜がやってくる。輝きを強めた"二つ星"と共に。
 そして時は巡り、風が渡ってくる。



 "第三の地 サガノトス"が、冬を迎えようとしている。

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