蒼天のかけら  第一章  静白の門


道へ


 それは一瞬のことだった。
 誰もが息を止め、目の前で起こった信じられない出来事を呆然と見つめていた。唐突に一人の人物が、誰もいなかった場所に現れたのだ。音もなく、風もなく。その人だけが場の変化を如実に伝えている。
「何事か」
 現れた人が尊大な声で問う。声は若く感じるが、隠しようもない貫禄は古老のそれのようにも思えた。
 他の三人よりも豪奢で長い白のローブ。床まであるローブには、銀糸で装飾がなされている。
 フードから覗く髪は、こちらも冴え冴えとした銀の髪。左目は前髪で隠れてわからない。銀の右目だけが、フードの影から刺すように世界を見ている。
 全身を白銀で埋め尽くされた男は、三人の真導士を一瞥した。真導士達は、白銀の男に一礼をする。
「慧師。こちらをご覧いただけますでしょうか」
 女真導士が、壺を手で示す。数歩ばかり歩み寄り、ちらと壺を見た白銀の男は、女真導士に言葉の先を促す。
「ご覧の通り、選定線に重なっております」
 年若い真導士が後を続ける。
「規定に法り、この者を里に迎えようと思うのですが……」
「規定では選定線を越した者とあります。越しておらぬこの者に、資格などございますまい」
 再び三人の真導士を見渡し、最後にサキを見た。立ち尽くしている自分を白銀が刺し貫いていく。

「同胞と認める」

 永遠とも思えた時を越え、尊大な声が自分の罪を確定させた。
 許されるなら、膝を折って座り込んでいただろう。胸中で女神に救いを求めるが応える声はない。
「慧師!お待ちを。真力が低き者を我が里になど……。とうてい使えるようになるとは思えませぬ。他に置いていかれ"落ちこぼれる"に決まって――」
「黙れ。異論は認めぬ」
 壮年真導士の言葉をぞんざいに切り捨て、視線をからめてきた。
「"開眼の間"で待つ。来るがよい」
 一言だけを残し、現れた時と同じように唐突に消えた。
 もはや自分が何を見ているのか、サキにはもうわからなかった。そこかしこから聞こえる含む様な笑い声。動くこともできず、両手を握り締める。
「待たせてしまったね。……顔色が悪いようだな。私も共に参ろう。さあ、こちらだ」
 年若い真導士の気遣った声につられ、ふらふらと歩き出す。床は、布が敷き詰められているのではと錯覚するほど踏みごたえがない。
 鈍い音と共に、左側の扉が開かれる。

 もう逃げられない。

 獲物を捕えたとばかりに、闇が全身にまとわりつく。
 扉が閉じる直前。嘲るような笑い声が、彼女の背中を追いかけてきた。
 泣きたい、と胸中でつぶやく。
 扉の閉まる音と同時に、ひときわ高く耳の奥が鳴り、ついに静寂が訪れた。

 年若い真導士が、音もなく左手の上に炎を作り出した。
 ランプの灯りに似たそれは肉を焦がす素振りもなく、空中にふわりと浮いている。油の燃える匂いもしない不可思議な炎。心が平坦であったならば、きっと珍しく思ったであろう。
「すまないね……」
 申し訳なさを滲ませた声が、耳に届く。
 茫と見上げれば、フードの中から赤茶けた髪の真導士が眉を困らせていた。やさしげな碧の瞳が、心配そうに自分を見つめている。
「随分と辛い思いをさせてしまったようだ」
 いえ、と返事をしようとしたけれど、喉が張り付いて声が出なかった。
 男は、わずかに笑んでから白いローブの裾を翻し、ゆっくりと歩みはじめた。灯りにおいていかれないよう、そろそろと後ろに付いて歩く。
「真導士の中には、優れていることを奢る者がいるのだ」
 疑いようもなく批判的な言葉だ。
 返しようがなくて、しばし惑う。答えは期待していなかったのか、男はさらに話を続けた。
「けれども君は、シュタイン慧師がお認めになった我々の同胞だ。気にすることはない。胸を張りなさい」
「シュタイン……慧師」
 ケイシ。聞き慣れない言葉だ。
 文脈からあの白銀の男の名であると、それだけを理解する。
「慧師とは、真導士の里を統べる最高位の真導士のことだ。四大国には真導士の里がいくつかある。各国の聖都に一つずつ。四大国のちょうど境界にある、湖の島に一つ。……合わせて五つだな」
 男は、歩みを止めずにしゃべり続ける。
 語られる話は聞いたこともない内容だった。いまの気分を逸らすにはちょうどよく、耳をしっかりと傾ける。
「真導士の里にはそれぞれに名前がある。ここ聖都ダールにある我々の里は"第三の地 サガノトス"と呼ばれている。サガノトスを統べるお方が、先ほどのシュタイン慧師というわけだ」
 白銀の男はとても偉い人だったようだ。
 年は何歳くらいなのだろう。そこまで高齢のようには見えなかったのだけど。
「これから君は真導士となり、サガノトスで修業に入る。修業中の真導士は"導士"という位になる。里で導士を教育し、導く者。……私達のことだ。こういった者は"正師"と呼ばれる。先ほどの二人も"正師"だ。里には他に、導士の修業を終えた"高士"。導士や高士を個人的に教育する"令師"と呼ばれる位もある」
 真導士にも色々と種類があるらしい。真導士の里と縁遠い者達には、一生知ることもない知識だろう。
「真導士になるためには"真眼"を開く必要がある。……知っていたかい?」
 シンガン?
 また知らない言葉だ。素直に「いいえ」と首を振る。
「人は皆、真力を有している。だが有しているだけでは真術は使えない。真導士が使う真術は、大気に住む精霊の力を借りて展開する。そのために必要なのが真力であり。精霊と対話するために開かれるのが"真眼"なのだ」
 追いついていけるだろうか。知らない言葉が多くなってきて密かに焦る。本当に自分が真導士などやっていけるのか、不安で不安でたまらない。
「これから"開眼の間"で、慧師に"真眼"を開いてもらう。そうすれば君も真力を解放し、真術を使えるようになる。もともと開いている者も稀にはいるけれど、大半は慧師に"開眼"してもらう必要があるのだよ」
 そう、だったのか。
 たくさんの真力があれば真術が使えるのだと、勝手に思い込んでいた。
「後の細かいことはサガノトスで説明しよう。一つ一つ学んで行けばいい。……さあ着いた。ここが"開眼の間"だ」

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