蒼天のかけら  第一章  静白の門


蠢く森


「あの、ローグレストさん……」
呼びかけると、ローグでいいと返される。
次いでローグさんと呼ぶと、少し変な顔をされた。
「なんだ」
返事があったので、これでいいらしい。
「ごめんなさい」
右手にパンを、左手に水が入った瓶を持った彼に凝視される。
「ご迷惑かけてしまって……」
「迷惑?」
食事というには質素であるが、森の一角に座り込み二人でパンを食べている。
色々なことがあり過ぎて、空腹であることを意識できずにいたが。おいしそうに食べる彼につられて、サキも珍しく食が進んでいた。パンに練り込まれた胡桃の匂いがたまらなく香ばしい。
食欲が満たされると冷静な判断もできるようになり、錯乱して暴れたことと、さらには手当までさせてしまったことが重く胸にのしかかってきた。
「……怪我を」
「人が倒れていたら手当ぐらいはする。迷惑とは思っていない」
彼はあっさりと答えた。
つと"控えの間"で寝入っていたことを思い出す。
あの時の想像は正しかったようだ。豪胆な人なのだろう。

「他の奴らは?」
聞かれて、なんのことだろうと考え込んでしまった。
「居ただろう、森の入口で集っていた奴らだ」
ついさっきの出来事なのに、かなり昔のことと思えるあの出来事。
そうか。
彼は先に森へ入っていった。
だからその後を知らないのか。
せつなくて情けない顛末を、彼にどう伝えるべきだろう。
納得させられるような答えが探せず、頭の中で迷走した挙句に俯いた。
彼に取り繕った答えを言うことが憚られる。自分には上手い嘘をつく才もない。
ならばいっそ正直でいよう。真っ直ぐに瞳を向ける彼を誤魔化すことはきっとできない。
「一緒に行くのを断られてしまって……」
「断られてって……。まさか一人で来たのか」
こくりとまた一つ肯く。
「女一人で森に入らせるとは」
「あの……わたしは誰よりも真力が低いらしいんです。真導士になれたのがおかしいくらいで。だから……。」
当然だと思った。
最初は、やはりひどく悲しい気持ちになった。
だがここは迷いの森。真導士の里へ向かうための、危険極まりない真力溢れる森。自分の身を襲った尋常でない出来事を思えば、正しい選択だと言えるだろう。足をひっぱる人間が居れば、それだけで集団を危険にさらす。身の毛もよだつような恐怖を知ったサキは、どうしてもそれを恨むことができなかった。
「それがどうした」
毅然とした声が、サキに投げかけられる。
「真力が低かろうが、女を一人で森に入らせる理由にはならない。どうせまだ真術の一つも使えないんだ。お互い似た様なものだろう」
似た様なもの。
果たしてそうだろうか。自分が誰かの役に立てるとは思えない。それこそ足をひっぱるような想像しか出来はしない。
……もうすでに、彼の足を止めてしまっている。
「まあ、ちょうど良かったかもな」
ローグが言ったちょうど良いの意味がわからず、首を傾げる。
「俺も一人だ。一緒に行くだろう?」
驚きのあまり絶句してしまう。
予想外の誘いに、サキは大いに困惑した。
「でも、一人で行くって……」
彼は少し考えてから、サキが何を言いたいのか思い当たったらしい。
「面倒だったから、断った」
――面倒。
口には出さず、目で問いかける。
「初めて顔を合わせた同士が、十人も二十人も集まって事にあたれば、仲たがいが起こるのが相場だからな。流されやすい奴も多そうだったし。女一人を置いていく奴らだったんだろう?断ってよかったというものだ。……それに人数を集めて連れ立ったとしても、どうせ森の中で逸れるはめになる」
「……逸れるはめ、ですか?」
ローグはサキをじっと見た後、周りの樹木に視線を送り声をひそめて言った。
「気づいているか、この森……」
動いている、と。


森が動く――。
「……最初からおかしいとは思っていたんだが、どうもそのようだ」
にわかには信じがたい。けれど彼が嘘をついているようにも思えない。
「樹木に"跡"をつけて歩いていたんだ。入ってからずっと」
最初の岐路で彼も悩んだのだそうだ。仕方なく適当に道を選んで進むことにし、間違っていたら戻れるようにと"跡"をつけた。
他の岐路があるわけでもなく、行き止まりにあたることもなく、ずっと真っ直ぐに歩いていたのだと言う。
「奥にしか進んでいないはずだ。なのに途中で"跡"のついた樹木を見つけた。ただの"跡"なら――他にもつける奴がいてもおかしくないが、間違うことがないよう複雑な形にしたから、俺の"跡"でしかありえない」
ぞっとした。
あの時、聞こえてきた大勢の悲鳴。
自分を取り戻してみれば、あれは森の中からしか聞こえてこないのだと簡単にわかることだった。サキは隠れる場所を探すあまり、まんまと危険な方に足を踏み出した。……そして突然の地割れ。
真力を帯びた森は、迷い込んだ人々を飲み込みながら蠢いている――。
「怖いか」
黒い瞳がサキを見ている。何度見ても吸い込まれそうだと思う。
「……はい」
人に弱音を吐くのは慣れない。
正直でいようと決めたのに、心のまま言葉にするのはこんなにも難しい。
「大丈夫だ、二人なら何とかなる」
「……わたし、足手まといになると思います」
「森を出てから決めてもいいだろう。意外とせっかちだな」
くすりと笑ってしまう。
この人は、本当に心が強い人なんだろう。
もしかして真力は、強い気持ちを持つ人にたくさん与えられるのではないだろうか。
そう考えれば彼の真力と、自分の真力の違いを説明できるように思う。
「さて……そろそろ足の具合を見てみよう。治っていたら出発だ」
はい、と返事をする。
言葉を返す相手がいることが、何より心強かった。

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