蒼天のかけら  第一章  静白の門


道中にて


 足の具合は、すっかりよくなっていた。
 つい癖で、またも恐縮しながら謝ったところ。
「謝って欲しくてやったわけじゃない」
 と言って、ローグは顔をしかめた。気分を害してしまったかと小さくなっていたら、彼はサキの額に右手をかざして笑った。
 右手では、人差指と薬指と小指がぴんと立っており。他の二本の指は中ほどでまとめられていて、たいそう複雑な形を成している。
「次に、必要のないことで謝ったらデコピンな」
 右手をかざしたまま、いたずら好きの少年のように宣告してきた。
 意外な仕草に笑い。気をつけますと返答して思い出す。驚くべきことに、ローグには人見知りしていないらしい。めずらしい自分に対して感心した。
 今日は不可思議なことが多過ぎて、感覚が麻痺してきているのだろうか。
 満足したのか、ローグがしかめっ面を崩した。端整な顔のせいで少し気難しい風に感じていたけれど、相好を崩して語らってみれば如才ない人だと思った。

 二人で居る森は、抱いていた恐ろしさが薄れてきたのも相まって、とても穏やかな森として見えてきた。
 相談の結果。森が動いているという前提で、距離を離さず歩くことにした。
 手を伸ばせば触れられるというのが、ローグが提案した二人の距離だ。地割れに一度落ちたのもあり、普段なら出てくる羞恥心を無理やり押し込んで、その提案に同意した。
 さらにローグは、真眼を二人同時に開こうと言ってきた。
 これには目を丸くした。普通に考えれば真力の枯渇が何より怖い。いつ森を抜けられるかもわからないのだ。二人の真力を、なるべく長く保った方がいいのではないかと思っていたのだが……。
「二人で同時に使って、枯渇しませんか?」
「それはない」
 言って、革袋を指し示す。
「革袋にはせいぜい二食分のパンしかなかった。水も同じようなものだろう。……"迷いの森"を抜ける修業は、毎年行っている伝統行事。ということは、毎年だいたい二食分――半日くらいで、全員が森を踏破するとわかっているのだろう。そして落伍者がいないということは、真眼の使い過ぎで、半日の内に真力を枯渇させる奴はいないってことだ」
 ローグの話を聞いて、深く納得した。とても聡い人でもあるようだ。
「でも、わたし……真力がいままでにないくらい低いと」
「大丈夫だ。俺がいままでにないくらい高いから」
 あっさりと答えて、そこの足場は滑るから気をつけろと言う。言われた通り、半歩だけ避けて進む。
「枯渇よりも、森が動く方が厄介だ。少しでも兆候をつかまないとな」
「はい」

 真眼に開けと念じつつ、周りを注視する。
 二人とも、一列に並んだ同じ真円が見えている。動いている真力の森で、ちゃんと出口まで導いているのか不安ではあるが。いまのところ分岐するような真円はないので、黙々と光の列に沿って歩いて行く。
 歩きながらも、やはり真力の差はあるのだとつくづく思った。
 自分でわかる真円は、ローグがわかる真円より手前にしかない。実質、ローグの後追いしかできないことに心苦しさを覚える。
 歩く速度だってそうだ。彼は明らかに歩幅を合わせて歩いている。一人だったら、二人で行くよりずっと早く森を抜けられるだろう。
 やはり自分は――。

 そう考えていたら、不意打ちで額に弾けるような衝撃を受けた。
 びっくりして額をさすりながら顔を向けると、ローグの右手がそのままの形で残っていた。
「痛いです……」
「デコピンしたのだから、痛いだろう」
「何ででしょう。わたし何も言っていません」
「いま何を考えてた。内容を聞いて、俺の勘が間違っていたら謝ることにする」
 う、と短く呻き。彼から目を逸らす。
「あまり、役に立てず申し訳ないと……」
「やっぱりな。考えていることが顔に出るからよくわかる」
 そうなのだろうか。
「でも、謝っていませんよ?」
「追加だ。俺が迷惑しているとか考えたらデコピン」
「……無茶です。ひどいです」
「俺の考えを、サキが勝手に決めつけて作る方がひどい」
 ぐうの音も出ない。
 反論できないでいたら、彼はにやりと人の悪い笑顔を作った。顔が整った人がやると冗談に見えない。
「そもそも、俺がただの親切でサキを助けていると思っていたのか」
「ええ?」
「世の中で無償の借りほど、後々の負債が大きくなるものはないんだぞ」
「わたし、お金ないです……」
 本心だった。

 聖都ダールに着くまでの路銀しか渡されておらず、その路銀もわずかしか残されていない。正直、かつかつもいいところだった。
「金はいらん。金だとすぐに片がついてしまうからな。金以外の方が俺にとって都合がいい。形がない、量で計れないものの方が助かる。サキ相手ならいくらでも誤魔化せそうだ」
 悪徳に笑う。それがまた様になっているのでとても困る。
「そもそも額飾りを見れば、俺がどういう出自か想像つくだろう」
 額飾り?
 四大国の男性は、成人の証として額飾りを親から贈られるのが一般的だ。
 額飾りには、親の思いや願いが込められていると聞く。ローグの額飾りに玉はついていない。銅貨に見える丸い板が、一枚だけ揺れている。
「……まさか、これも知らなかったのか?」
 知らなかったので、また素直に肯く。
 悪徳顔が一瞬で溶けて、元のローグに戻った。
「なるほど……。この額飾りはずっと前に流通していた銅貨だ。昔から貨幣を額飾りにするのは、品を売り買いする家だけ。どこでもそうだと思っていたんだが……」
「じゃあ、ローグさんは商人なのですか?」
「そういうことだ。ちなみに大概の品は扱っている。……さて、サキからは何を対価として頂こうか」
 言ってからまた悪い顔を作る。
 悪徳商人なのか、この人は。
 品定めをされ、売られていく羊の気分で、精一杯の防衛を試みる。
「わたし、高価な物は何も持っていません……」
「だから高価な品も求めていない。労働の方がありがたいんだがな。……得意なことはあるか」
 得意なこと。
 人に誇れるような事柄などそうはない。強いて言うなら――。
「料理くらいです」
 自分は孤児だった。十の時まで村長の家で育てられ、それ以降は村に唯一あった食堂で、手伝いをしながら生活していた。職を探すなら食堂を当たろうと思っていたところだ。
「料理か。それはいい」
 悪徳商人殿のお気に召したようだ。彼はやや胸を張りこう言った。
「サガノトスについたら、上手い料理をごちそうしてもらおうか。サキが俺に助けられたと思う分だけ料理を作る。……どうだ」
「何食ほど、ごちそうすればいいでしょうか」
 彼は、悪い笑みを殊更深くした。かかったなと言わんばかりだ。

「サキが決めてくれればいい。――誠意とはそういうものだろう?」

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