蒼天のかけら  第一章  静白の門


横たわる謎


 森の中、悪徳商人殿の後ろをすごすごとついて行く。
 一度だけ、彼が樹木に登ってサガノトスを探してくれたのだが。ただ木々が広がっているだけで、どこにもそれらしき影はなかったらしい。

「森の中に無いとなると、森の向こうだが……。半日やそこらで抜けられるほど小さな森とは思えんな。幻影で木に隠されてしまっているのか、それとも大きな森と思わされているか。幻影にしては木がそこまで白く光っていない……」
 真力は白く光っているが、真術となればさらに際立って光るはず。
 際立つ光がないならば、幻影ではなく実在の森なのだろう。けれども上から見ても、木々の合間に建物らしき影もない。起伏はあるらしいのだが、ここは山でもない。人が住んでいるのに、何も見えないとは考えづらい。
 やはり、真円の道を辿る以外にサガノトスには着けないようだ。目視での確認はあきらめて、森の奥へと進むことにした。

 徐々に起伏が激しくなり落差も増えて、とても女の足では進めないような場所も出てきた。
 その度に手を引いてもらったり、枝を掃ってもらったりと、ローグの手を借りない訳にはいかず。元は少なかった負債が、ころころと転がりながら増えていく様が脳裏に浮かんでいた。
 これは一週間分だろうか、いや十日くらいかと内心穏やかではない。そもそも料理くらいでいいのだろうか、もし口に合わなかったら何で返せばいいのか……などと考え出して、もはや収拾がつかない。
 苦悶しながらじたばた暴れ。さらに雁字搦めに捕らわれて、抜け出すことができなくなってしまった。

「サキの故郷はどんなところだ」
 頭の中で拙い計算をしていたので、とっさに返事ができなかった。
「故郷ですか?」
「かなり遠いところなんだろう」
「……はい。ダールまで、乗り合いの馬車で半月ほどかかりました」
「それはまたえらく遠いな。親と来たのか?」
 半月ほどの道のりを、十五になったばかりの娘が一人旅とは思わなかったらしい。やはり珍しいことなのだろう。そういえば乗り合わせた旅人達にも、かなり心配をされたものだ。
「親はいませんから一人で来ました。路銀は、お世話になっていた食堂の給金では賄えなかったので、村長(むらおさ)に出してもらったんです」
 ローグは足をぴたりと止めた。
「……すまない、余計なことを聞いた」
 謝る時も、黒の瞳は真っ直ぐだ。
 微笑しながら首を振る。
「気にしないでください。物心ついた時にはそうだったので、悲しくはないんです。親の顔も名前も知りませんから、寂しがりようがなくて。たまたま村長が拾ってくれたので、親がなくてもやってこられましたし」
 複雑そうな顔をしたローグに、できるだけ明るく話す。
「貧しいけれどのんびりした村でしたよ。お爺さんとお婆さんしかいないんです。若い人は外の町に出ていってしまって、人よりも馬と羊の方が多かったくらいです。ダールに来て驚きました。若い人だらけなんですもの」
「へえ。確かにのんびりしてそうな所だな。行商ついでに骨休めができそうだ。特産品とかは無いのか」
 行商もするのか。
 悪徳商人のローグなら、どこに行っても商売の種には困らないだろう。
「ありましたけど、もう作ってないんです。村が火事になってしまったから……」
「火事?」

 少し前のことになる。不心得者が起こした山火事があったのだ。村は山のふもとにあった。吹き下ろしていた風のせいで、家に火が燃え移ってしまった。死人だけは出さなかったが村のほとんどは燃えた。世話になっていた食堂も、大火の中で焼け落ちてしまった。
「村長は、再興をあきらめたみたいです。もともと老人ばかりな上、人が少なくて家も建てられないって」
 路銀を手渡してくれる時に、村長はすっかり削げ落ちた顔に涙を浮かべていた。
(戻ってはくるなよ。この村はすぐに無くなる。他の者にも縁故を頼って出ていくように言ってある。お前はまだ若い。真面目に働くいい娘じゃから、どこでもやっていける)
「……そうか」
「本当は『選定の儀』が終わったら、職を見つけようと思っていて」
 思いがけず真導士になった自分。よかったのか悪かったのかわからないけれど。
 サガノトスについたら村長に手紙を出してみようか。あの村にいつまでいるかもわからないし、届く宛すらない。それでも、もうサキは大丈夫だと、安心してくれるに違いない。
「真導士になったので、職を探す必要はなくなりました。少し、ほっとしているんです」
「……サキは、知らない奴は苦手だものな。あと人が多い場所もか」
 きょとん、としてしまった。その話はまだしていないのに。
「顔を見てればわかると言っただろう。順番待ちの時、青い顔して縮こまっていたのは誰だ」
 覚えていたのか。忘れられていると思っていた。
 考えが顔に出るのは困る。悪徳商人殿の手の上で、転がされるはめになりかねない。
 そんなことを考えていた時、唐突に大気が震えた。


 また森が動き出したのではと、戦慄が走る。
 ローグが動くなと合図をしてきたので、了承を目だけで伝えた。
 進もうとしていた道の東側で、白い光の帯が空に昇る。帯は遠目でも円状になった光であると見てとれた。
(真術……)
 円状になっている白い光は、真術が使われたことを暗黙の内に告げている。ひとしきり優雅に立ち昇ったその光は、瞬く間に消えた。
「動いてもよさそうだな」
「はい……。いまのは真術ですよね」
 森が動く気配はなかった。そしてそこまで大きな光でもなかった。明らかに真術ではあるが、あの帯がどのような真術なのかという知識はない。
「森が動く真術ではないようだな。範囲が狭すぎる」
「そうですね。森が動いた時は、もっと樹木がたくさん光ってましたから。違うと思います」
 突如、ローグが勢いよく振り返った。どうしたのかと焦ってしまう。
 そんな自分の様子に、ため息を一つしてつぶやく。
「……大事な話は先に言え。はじめて聞いたぞ、それ」
「え……。わたし森が動いて地割れに巻き込まれたんです。それで怪我をして……。言っていませんでしたか?」
 苦い顔で、まったく聞いていないとのお返事をいただいてしまった。これは非常にまずい雲行きなので、機嫌を直してもらうに限る。
「ごめんなさい」
「いまの謝罪は受け取る」
 はい、本当にごめんなさいと続けたら怒られそうなので、ここはぐっと我慢をする。彼のデコピンは結構痛かった。ちょくちょく打たれたら、真眼が潰れてしまいそうだ。

 右手で顎をさすりながら、ローグは深く考え込んでいた。
 改めて横顔を見る。
 つくづく感心するほど整っている。語らっている時は楽しそうであったり、意地悪であったり、感情が豊かで人間味があるのだが。顔の表情がなくなると彼の印象が大きく変わる。どこか現実離れしているというか、一枚の絵のようというか。
 そういえば、絵のような人物なら他にも一人いた。
 シュタイン慧師だ。あの白銀の真導士は、ローグのように感情の起伏があるわけではない。まさしく絵のような人物だ。慧師がサキを"控えの間"に送った時だって――。
「……あ」
 サキのつぶやきに、ローグがどうしたと問う。
「さっきの、人を運んでいる真術ではないでしょうか」
 先ほど空に昇った光の帯は、慧師が使った真術に近いと感じた。
 感覚的過ぎてうまく説明ができないけれど、右足を癒した輝尚石の真術よりも、サキを運んだ真術に似ていると思うのだ。さらに言えば、草原に送られた時の真術にも似ている。
「言われてみれば、確かに似ているな……」
 どうやら、彼にも似ていると思えたようだ。ならば、ただの勘違いではない。
「人を運ぶ真術……、動く森と真円の道……、真導士にしか抜けられない……、どこにあるか定かではない――そういうことか」
 納得した彼は、顎をさすっていた手を離す。
「やっとわかってきたぞ。サガノトスが見つからないわけだ」
「あの、ローグさん。どういうことでしょう」
「森の中や、森の向こうにサガノトスがあるわけではないし。ましてや幻影に惑わされている訳でもない。森には、サガノトスに行くための真術があるだけだ」
「サガノトスに行くための真術、ですか……」
 疑問が顔に出ていたらしい。
 どう言ったらいいか、と悩んだ後に、噛んで含めるような口調で教えてくれた。
「"迷いの森"にあるのは入口だけ。サガノトス自体はどこか他の場所にある。それならば、ただの人が入ったところで真円も真術も見えない。方々を彷徨ってもサガノトスは存在しない。だから真導士以外には辿りつけないとされている」
 ……なるほど、それならわかりやすい。
「では、真円の道の先に……。サガノトスに飛ぶ真術があるのですね」
「だろう。先ほどの光は、その真術を誰かが使ったんだ。森が動く理由は侵入防止が妥当だな。つけられても途中で撒くためとか、大人数で攻め込ませないとか……」
「そう、なのでしょうか」
「気にかかることでもあるのか?」
「その、わたしも巻き込まれましたので。真力は低いですけど……一応は真導士ですから、侵入者とは言えないかと。それなのに森が動いて、移動させるのは変だと思います。あと……もし侵入者のためだったら、森の外に飛ばすのではないでしょうか」
 森から侵入者を排除してしまえば、早くて確実だ。
 けれど、実際はそうではなかった。
 自分は森から森に飛ばされたのだ。サキのことを侵入者だと見立てても、その排除したい侵入者を、森の中に居させる必要があるのか疑問だ。
「確かに……。森から森へ移動するのはちょっと変か」
 ううん、と唸ってまた顎をさわりはじめた。彼の癖みたいだ。
「さすがに、わからないな」
「そうですね……」
 これ以上は考えても浮かんでこなかった。真術に関する知識など二人とも持ち合わせてないのだから、当然といえば当然。
 森が動く気配もないし、もう進みはじめた方がいいように思う。
 行きましょうか。
 そう言いかけて盛大に硬直した。ローグがひどく魅惑的な笑顔でこちらを見ていたのだ。はじめて見るその表情に、首筋のうぶ毛が逆立った。
「な、何か」
 声がひっくり返ってしまった。
「……いや、ようやく色々話すようになったなと思ってな。猫を懐かせた気分だ」
 解釈の仕方がわからない。
 何よりその笑顔は凶悪すぎる。かなり心臓に悪いのでやめていただきたい。
 まだ悪徳商人でいてもらった方が、心臓を傷めずにすみそうだった。

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