蒼天のかけら 第一章 静白の門
来訪者
日は確実に傾いてきていた。
少しずつ日の光が暗くなり、時間の経過を告げている。
ローグはいまだ一言もしゃべらず、サキに背を向けた状態で真円を探し続けている。何度か会話を試みようとしたのだが、硬質な拒絶を感じて、結果的にサキも口を閉ざしてしまった。
あれから真眼をずっと開いて探しているけれど、どうしても真円を見つけることができない。森の中の真円は、全部消されてしまったのだろうか。
ローグに聞かれないよう、そっと息を吐く。彼に、これ以上の負担をかけてはいけない。あまりにも出来た人だから、気づかない内に甘えていた。
――今日、たまたま会ったばかりの赤の他人なのに。
じくりと胸が痛む。
自分はこんなにも弱かっただろうか。強い人間でないことは知っている。でも、人と話せないだけで悲しいと思ったことは、いままであっただろうか。存分な愛情を受けられなくても、親に愛され慈しまれている同じ年頃の子どもを見ても、心が揺らいだことなどないのに。
何故だろう、ローグの拒絶がとても辛い。
真円を見つけたら、さっきまでのように話をしてくれるかもしれない。
そうでなくとも話すきっかけくらいにはなるだろう。自分でも単純だと知ってはいた。しかし、他に上手い機会など作れそうにない。いままで人と深く関わってきた経験がないのだ。喧嘩だってしたことがない。だから仲直りの仕方もよくわからない。
話がしたい。このままは嫌だった。もっと彼と話がしてみたい。
はじめて抱いた気持ちに正しい名前をつけられず、サキは自分が寂しいのだと思い込んだ。
真眼を開くのにも慣れてきた。
難なく開閉ができるし、開く強さも調整できるようになった。
もう、岩場に終わりが見えている。真っ直ぐに進めば、とても降りられないような深い崖。右手には、急峻だけれど何とか登れそうな草むらがある。片や左手には、荊が生い茂っていた。進むのは無理そうだ。
少し手前に、荊が生えていない樹木だけの場所もあったのだけれど。そこに真円がないのは確認済みだった。
右手の草むらに向かって集中する。
見つかってほしいと願う、白い光の輪を求めて。真眼に強く強く開けと念じていると、白い光が一瞬だけ青を帯びた。
(何……?)
驚きのあまり気を散じてしまい、真眼が明滅する。真導士の行うすべての奇跡は白い光のはず。それは伝聞でも、今日の経験でも裏打ちされた事実だった。その事実から、外れようとする光の意味。
(まさか……枯渇?)
ついに来てしまったのだろうか。底が浅い真力の限界が。
心の困惑を映したかのように、真眼が明滅を繰り返している。
(まだ見つけていないのに)
彼の役に立てない、自分のふがいなさに悲しみが強くなる。
すべての真力が消えてしまう前に。本当の役立たずになってしまう前に、真円を見つけないと……。
(開け!)
勢いにまかせて真眼を開き、草むらを見据える。
近場にはない。
徐々に確認する範囲を広げていく。左へ、右へ、下から順に上へ上へと視界をずらす。草むらの上には、樹木が生い茂った黒々しい緑が見える。そこに、きらりと白く光る何かがあった。
樹木の生い茂った個所、太めの幹の少し後ろに光が見える。白い光の輪――紛れもなく真円だった。
あった、と思ったのだが喜びは湧かなかった。
おかしいのだ。
目印の真円にしては、あまりにも高い位置にある。とても地面から光っているようには見えない。……まるで、樹木の幹の近くに浮いているような。
目をさらに凝らしてよくよく見ると、真円の後ろに影が浮かんできた。
あれは……人?
目の前で、真円が大きく膨らんだ。それと同時に、疑いようもない悪意が白を染める。
(真導士……!)
気づいた時には、もう遅かった。
爆発するように膨れ上がった悪意が、牙を剥き襲いかかってくる。
白い光が、目の前の地面にぶつかった途端、強烈な突風に足から掬われて、投げ出される。一瞬の空白を置いてしたたかに背を打った。衝撃が肺の中に吸い込んでいたものを強引に掻きだしていく。
耳の奥で奇声のように喚き、暴れる音がある。襲われたのだと一瞬で把握した。あまりにも静かに潜んでいたので、まったく気がつかなかった。
突風の影響か、舞い上がった砂ぼこりと岩のかけらが身体に降り注いでくる。ぱらぱらと顔に小石が当たり、痛痒い。
両腕で身体を支え、起き上ってみたけれど。背を打った痛みと砂ぼこりのせいで咳が止まらない。息苦しさを宥めようと、咳の合間に大気を取り込む努力を重ねる。
砂ぼこりの隙間から、白い光が見える。
悪意の輝きは、小さな輪から大きな輪に進化しようとしていた。
(撃ってくる……)
立ち上がって逃げる姿勢を整え、一歩踏み出そうとしたところで、またも白の光が飛んできた。
今度は逃げられない。
身体をかばうこともできず、茫然と光景を見ていたら。砂ぼこりから黒い影が飛び出してきて、硬直していた身体を強い力で浚っていく。
再びの衝撃。
今度は地面に擦れたような熱を感じた。肩に体重がかかって骨が軋む。けれど小石の雨は降ってこなかった。地面に潰されたサキの上、守るように覆いかぶさっている黒い影があった。
「……ローグさんっ」
呼べば、目が真っ直ぐに自分を見た。
「立て。戻って森に入るぞ!」
腕を引かれ、まろびながら駆けていく。少し戻ったところに、荊が生えていない場所があった。そこから森に隠れるつもりだと思惑を理解して、懸命に足を動かす。
前を行くローグの上着は、左肩の一部が破れていた。破れている箇所は鮮やかな赤で濡れ、黒ずんできている。
「ローグさん、怪我……!」
「後だ、突っ走れ!」
彼はそう言いながら傾斜の上。草むらの奥にいる、望まれざる来訪者へと視線を飛ばした。左腕を引く力が強くなる。視界の端で、白い光が生まれたまた生まれた。
ああ、もう少しで森に隠れられるのに……!
光が傾斜で唐突に弾けた。地面を、鈍く低い激震が駆け抜けていく。
前を走っていたローグが足を止めて振り返り、サキを抱き込みながら飛ぶ。先ほどの砂ぼこりとは比べ物にならないほどの土煙が、もうもうと立ちこめている。
傾斜を形作っていた大量の土砂が、真術を打ち込まれた拍子に崩壊したのだ。
森へ至る道は、崩れ落ちてきた土砂にすっかり埋め尽くされていた。ローグは退路を断たれてしまったことを確認して盛大に舌打ちをし、いま一度サキを立たせる。土砂が流れ切っていないのか、再び地響きが起き、土煙を一段と濃くしていく。
土煙でローグの背中すら見えない。目に細かい砂粒が入り込んできて、開けることも難しい。
「まだ崩れてくる。……さっきの場所まで戻るぞ。草むらを上がる」
「でも、あの人は上から」
「生き埋めになるよりはましだ。土煙が収まって目隠しがなくなる前意、上の森へ入るしかない。……走るぞ」
「はい……!」
手を握られたので強く握り返した。それを合図にして、もう一度走り出す。
土煙を吸い込まないよう、袖で口と鼻を塞ぎ、ひた走る。土砂が崩れた衝撃で、森の真力が舞い上がっていた。視界の中、白い光が浮遊している。精霊は変異を察知し、嘆くように大気で揺らめいている。
これでは相手がどこにいるかわからない。相手からも、こちらが見えないという可能性の糸に縋るしかない。
崖が見えてきた。
傾斜の上に人影はない。草むらを登ろうとしたその時、土煙の合間から白い光の輪が見えた。
こちらに向かって構えられている悪意の――殺意の白。
白が二人の上で弾けて、樹木と土に盛大な亀裂を入れた。一気に雪崩れてくる土砂と爆風に押され、身体が崖へと流される。
(落ちる)
一瞬の出来事だった。
土砂と共に、二人して宙を舞う。
落ちながら、サキはゆっくりと世界を見た。望まれざる来訪者が、興味をなくしたように立ち去る様を。舞っている土砂を。握りしめられている二人の手を。――そして、自分が落とされていく底を見た。
もうだめ……。
――大丈夫
落ちてしまう……。
――大丈夫、大丈夫だよ
助からない……。
――怖がらないで
わたしには何も……。
――できるよ、やってごらん。覚えているでしょう
ほら、こうやるんだよ
世界に圧倒的な青が満ちた。