蒼天のかけら  第一章  静白の門


記憶の青


 青に巻き上げられている。
 途方もない量の青い光が世界で渦巻き、風をとらえ、飛翔しながら踊る。
 サキは青の光に溶け出している自分を、ただ見ていた。自分とその青の境界を放棄して、風にただよう。
 世界はどこまでも穏やかで、うれしくてうれしくて微笑んだ。

「何だ、これは」
 低い声を辿る。彼がサキを見ている。
 ねえ、そんなに驚いてどうしたの?
「サキ、お前……」
 ああ、もう着いちゃうね。楽しかったのに……。
 また今度、だね――。

 足に降り立った感触。
 そして世界から、青い光が失われる。同時に力も失って、膝から一気に崩れ落ちた。
「サキ!?」
 ローグの慌てた声がしている。
 崩れ落ちた時に、膝を打ち付けてしまった。じんじんとした痛みで我に返る。
「……いまの、なんでしょう?」
 問われたローグは目を見開いた。驚愕を刻んだ彼の顔を、はっきりとしない心地で眺める。
「……わたし達、助かったのでしょうか」
「お前、わかってないのか?」
 どこか途方に暮れた顔で覗き込まれる。
 夢心地から抜け切れていなかった自分は、ただゆったりと肯いた。

 しばらくの間、二人して茫然と座り込んでいた。
「俺達、飛んでいたよな」
「……たぶん、そうだと思います」
「あれは、真術か?」
「……わかりません」
「わからないって、サキだろう? あれを使ったのは」
「……そう、なのでしょうか」
 よくわからない。
 真導士に足場を崩されたところまでは、ぼんやりと覚えているの。けれども、その後のことはひどくあやふやで、自分が見ていた景色くらいしか、記憶に引っかかっていない。
 ただ、青い世界がひたすら懐かしいと。そのように感じていたことだけは確かだった。

 靄がかかったままの頭に苦戦する。こんな曖昧な話をどう伝えよう。
 困り果ててローグを見る。彼はそんなサキを感情が窺えない瞳でじっと見ていた。そして、さっきまでの気まずい時間を思い出した。いろんな事があり過ぎて、すっかり忘れていたけれど。結局、あれから何も解決していないのだった。
 いまさら思い出して、あわあわとしている自分を眺めながら、彼が口を開いた。
「サキは、俺を信用していないな……」
 唐突なつぶやきを飲み込めず、思わず目を見開く。
「そうだろう? 真術を使えることも内緒だった上に、誤魔化そうとまでして」
「ご、誤解です。わたし真術なんて使えません! 誤魔化すなんてそんな――」
 朝起きて忘れてしまった夢と似たようなものだ。見ていた記憶があるが、どんな夢かはよく覚えていない。
「ほら、まただ。今日はずっと一緒にいて、苦楽を共にしてきたというのに。……薄情だ」
「本当に、わからないんです。わたし、夢中で……」
 拗ねた顔まで様になっているのだから、こちらとしてはたまらない。
「さっきだってそうだ。俺の話などちっとも聞かず、自分が悪いと信じ込んで。……迷惑だなんて言ってないだろうに。人の気持ちを勝手に捻じ曲げるのは、悪い癖だ」
 急に矛先が変わり、守りの姿勢を整えられなかった。
 冷や汗が浮いてきたけれど、ローグの怒りはもっともだったので、おとなしく拝聴する。
「その上、あんな……あそこまで酷いことを言われたのは初めてだ。身を地に落とせと言ってもおかしくない……そこまで卑劣な男だと。いったいどういう目で俺を見ているんだ」
 そういうことだったのか、とサキは納得した。
 彼は、命を粗末に見ている言葉が気に入らなかったのだ。
 自分が役に立たたないことを……。彼のためにできることが、何一つないと伝えたかったのだが。彼はきっと、言葉そのままの意味で取ったのだろう。「命を捨てるしかない」と思ったのだ。
 そういえば「これ以上できることがない」という意味だと教えてくれたのは、村で一番長生きしている老婆だった。言葉に馴染みがなくても仕方ない。
 どうも言葉の選び方がまずかったようだ。変に誤解をさせてしまった。
 人にはそれぞれ役目がある。役目を放棄し、女神から受けた命を粗末にしてはならない。ローグは、そういう理由で怒っていたのだ。
 彼はなんと出来た人なのだろう。
 サキは、自分がさらに誤解を重ねたことに気づかず、ローグの心根にいたく感動していた。
「……そうですね、ごめんなさい。わたしよくないことを言ってしまいました」
「まったくだ」
「これ以上、できることがないと自ら諦めてはいけませんね。その上、女神からいただいた命を粗末に扱うような物言いをして……。ローグさんが怒るのも当然です」
「――何?」
「どんなに苦しくとも、自身の『静白の門』を開き、道を歩いていかなければ、女神もきっと嘆かれますよね」
 そう言ってからローグを見て、つい首を傾げた。
 どうしてか彼は、口を開けたまま固まっている。
「まさか……、身を地に落とすって、そっちの方か?」
 言っていることが、よくわからない。
 そっちとは何だろう。
 自分の戸惑う様をまじまじと見ていたローグは、奇怪な声を上げながら大地に寝転んだ。
「そういうことか、俺はてっきり。……いや、普通はそう思う。若い娘に身を地に落とすと言われたら。そんなの、身売りに決まって……」
 ぶつぶつと何事かをつぶやいている。
「ローグさん、あの……」
 彼の不穏な気配に、不安がよみがえってきた。
「無しだ」
「ええ?」
「さっきのは無しにしよう。サキも悪いし俺も悪い。サキは悪くないし俺も悪くない。だから無しにしてしまおう」
 またも良くわからない。
 ローグのどこが悪かったのだろうか。自分が彼を不愉快にさせてしまったのではないのか。
 けれどもこれは仲直りだと、それだけは理解した。サキはうれしさのあまり彼の言葉を深く追求しなかった。
「はい、わかりました」
 素直によい返事をすると、ローグは寝転がりながら、毒気を抜かれた眼差しで見てきた。
「……あと、もう少しは世慣れた方がいいな」
 心配そうな声に、多少の疑問が湧いた。
 何だか疲れた顔をしたローグを見つめる。聞きたいけど、それ以上は語るつもりがないようだ。
 なので仕方なく、あいまいに肯きだけを返したのだった。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system