蒼天のかけら  第一章  静白の門


静白の門


 崖から落ちた時に、輝尚石が入った革袋を二人してなくしてしまった。
 ローグの左肩の怪我は、皮膚を薄く切っているだけだったので、取り急ぎ止血の処置をした。
 かばってもらった時にできた傷だ。またも胸が苦しくなる。無事、サガノトスに辿りつけたら、ちゃんとした手当てをしようと心に決める。

 日はすっかりと傾き、世界がランプのような橙色に染まりはじめていた。
 夜が近いが、二人してまだ座り込んだまま。お互いが運命の岐路にいるのだと、語るまでもなく感じていた。
 止血の最中からずっと、ひどく真面目な顔をしたローグが顎をさすっていた。
 彼が持つ知識の幅は、サキに世慣れろと言えるくらいには広い。行商をしていたためか、各土地にも詳しいようであったし。真導士の里についての知識も、自分とは大きく違うことが、話をしてわかった。

「では、真導士って仕事をしているのですか」
「……本当に何も知らないんだな。自分が真導士になったのに、興味もなかったのか」
 興味がないというよりは、悲嘆に暮れていてそれどころではなかっただけなのだが。もっともな意見なので、またもや丁重に聞き入っておく。
「真導士は、国内外で起こった変事の調停役だ。国同士、町同士でいざこざがあったら仲を取り持つ。災害があれば、国王や領主から依頼を受けて活動を行う。あとは真術を込めた術具を作って売っている。輝尚石みたいな道具は真導士しか作れないから、結構値が張る。真導士の派遣はもっと高いらしいぞ。値は知らないが、王侯貴族や豪商でなければとても頼めないと聞く」
 伝説の真導士の里は、意外と世知辛いのだと知る。
 神官のように粛々と祭祀や修業を行っていると思っていたのに。今日は、本当に驚くことが多い日だ。
「真導士達は、巻き上げた莫大な資金で生活している。真導士になれば一生困らないという。何もしなくても毎月給金が入る。もちろん里からの依頼で、仕事をすることもあるらしいが、里にいる限りは食うに困るということはない。世間が羨ましがるご身分というやつだ。率先して仕事をこなせば各国に名が売れる。真導士の位だって上がるだろう。さらには王族や貴族に求められて、要職についたり血縁になったりと、夢のような道が開かれると聞いたな」
 後半はローグ自身が興味を持てないらしく、実に味気ない口調となっていた。
 物語のように幸福な話だと思う。それなのに、憂鬱な気分が晴れない。
「……かわりに、なかなか気分の悪いことも多いとか。王位継承問題がかすむような覇権争いがあるらしい。富と権力、ついでに真力まで揃えば、わからんでもない。詳細は知らないけど、里の中で起こっていそうなことは想像がつく」
 女神から多大な恩恵を得ても、道から背く者がいるという悲しい事実。
「……噂通り、真導士の里はきな臭い。結局、あいつの正体がさっぱりわからなかった。あれはやっぱり修業ではないだろう」
「はい。修業では絶対ないですね……」
 殺意を向けられていたことは、はっきりと覚えている。

 不安が首をもたげてきた。このままサガノトスに行っても大丈夫だろうか。
 そうは思えど、サガノトスに行くしかないのだ。"迷いの森"から出たとしても、聖都に戻る方法がわからない。
「サキ」
「はい、何でしょう」
「サキは、俺を信じるか?」
「え……、どうしたんですか急に」
「サガノトスに行ったら、きな臭いことに巻き込まれると思っていた方がいい。そうなれば、信じられる奴がいないとさすがに辛い。誰が怪しいかわからないからな。俺はサキを信じる。サキは俺を信じられるか?」
 黒い瞳が自分を見つめてくる。答えなど、すでに決まっていた。
「信じます」
 空いていた場所に、何かがかちりと嵌ったように思えた。
「よし、決まりだな。とりあえず襲われたことは、確実に信用できる相手以外には黙っておくか。……あと、サキの真術もだ。何もできない真導士でいた方が、周囲に油断してもらえる」
「はい」
 返事をしてローグを見る。
 これから何が起こるのか想像もつかない。けれど、ローグと一緒なら大丈夫なのではないかと、めずらしく楽観的に考えた。
 そうだといいと強く願った。


 結局。
 崖はとても登れそうではなかったので、落ちた場所から道を探すことにした。
 辺りを警戒しながら二人同時に真眼を開いて、声を上げ、顔を見合わせて笑った。目の前に、白い光の道が煌々と光っていたのだ。
 少し辿って行くと大きな洞窟があり。洞窟の中では真円が光を放っていた。
 光から害意が感じ取れなかったので、手を繋いで真円の中心に立つ。真円と真眼から、白い光がこぼれて立ち昇っていく。

 ――音もなく、風もなく。夜が訪れる前の夕闇の中、ただ白い。

 気がつけば、目の前に四人の真導士が立っていた。
「来たか」
 シュタイン慧師の淡白な言葉が、もう懐かしく思えた。
 白銀の瞳が自分とローグの顔を見て、そのまま繋いでいる手に流れた。真円に乗ったときに逸れまいとしただけなのだが。人の視線を感じた途端、忘れていた羞恥が一気に戻ってきたため、大急ぎで手を離す。
「……無事、とは言えんが、相手を選んで抜けてきたな。お前達は決まりだ」
 決まり。
 慧師は一体何のことを言っているのだろう。
「慧師、お待ちください! この者は真導士の中でもっとも高い真力を持つ者。それなのに相手がこの娘では、力が存分に発揮できませぬ。どうか、お考え直しを……」
「できぬ。"迷いの森"を共に抜けてきたのだ。この者達はこれで決まりだ」
 突然はじまった言い争いに二人して困惑する。何の話をしているのだ、この人達は。
 助け舟を出してくれたのは、ムイ正師だった。
「お疲れ様でした。突然、森を抜けて来いなんて……大変だったでしょう? 毎年、もっと説明しておいてくれと言われるのですが。先に言ってしまうと変に意識して混乱させると思いまして、あえて何も説明していないのです」
「どういうことでしょうか」
 聞いたのはローグだった。自分はまだ、状況が飲み込めていない。
「"迷いの森"は、これから真導士として共に成長し、支え合っていくバティを選ぶための試験なのです」
「……バティ、ですか?」
 またまた聞いたことのない言葉が飛び出てきた。
「バティというのは、相棒という意味です。真導士の里の伝統なのですけれどね。実は、真導士が持つ真力の質は、一人一人違っています。得意な方向が違うと申しましょうか。それぞれに必ず偏りが出るのです。偏りを最も効率的に補い合える相性を調べる。それが"迷いの森"の試験という訳です」
「つまり……真力の相性を計ったと」
「ええ、その通りですよ。真眼を開いて森の中を歩いてもらって、皆さんの真力の質を見極めるのです。相性のいい人達が一緒になるよう、場所を移動してもらったりね。"転送の陣"を通ってきた時に、もっとも真力の質が合う方と一緒になるよう、あらかじめ森全体に真術を展開しているのですよ。お二人は一緒に森を抜けてきましたから、相棒バティとして決定ということになりますね」

 そういうことだったのか。

 森全体が真力を帯びていたのも、森が動いて飛ばされたのも、入口が複数用意されていたのも。
 全部、真力の相性を計るためだったのか。
 言われてみれば、ローグと会ってからはたったの一度も、森が動かなかった。
「慧師! お考え直しください」
「ならぬ、と言っておろう」
 ナナバ正師は、自分がローグの相棒であることを、よしと思ってくれていないようだ。ローグには"落ちこぼれ"ではなく、もっと真力の強い人と組んで欲しいと、そう考えているのだろう。
「……ナナバ正師。これは我がサガノトスの伝統。それを覆すなどとんでもない話です」
 キクリ正師は、やはりナナバ正師と仲が悪いようだ。二人が睨み合いをはじめたので、シュタイン慧師の表情がやや億劫そうに曇る。

「お待ちください」
 言い合っている二人に、ローグが割って入った。
「"迷いの森"は二人で抜けてきました。もし、彼女を相棒として認めていただけないなら、俺は誰とも相棒を組みません」
 思わず目を見開いた。彼の横顔をただ見つめる。
「君、何を言うのだね! 相棒は必ず選ぶ。真力の質を補う相手がいなければ、真導士として大成できない。……だが、相棒というのは修業中のことだけではない、今後、真導士として生きる限り一生つきまとうものなのだ。どのようなことが起こっても信頼し助け合う、己の片割れとも呼ぶべき存在。そこも踏まえて。最良の選択をしなければならぬ」
 ローグは怯まなかった。
「でしたらなおのことです。俺と彼女は真力の相性がいいのでしょう。森の踏破には、彼女の協力がなければとても無理でしたので不服はありません。俺は彼女以外の誰とも相棒を組む気はありません。相棒を選ばなければ真導士として生きていけぬと言われても、他の奴を選ぶなど到底できない」
「君はその才能を、この娘のために潰すというのか。考え直しなさい、若いうちは道を誤ることもあるのだから」
「彼もこう言っておりますし、決まりですよ。私情を挟み、場を混乱させるのはいかがなものでしょうか」
 三人の言い合いを眺めていたシュタイン慧師が、こちらに視線を移して問うてきた。
「お前は」

 ――わたし?

 ナナバ正師の視線が、自分の弱気を捕える。きつい非難を受け、己のふがいなさが思い出された。
 キクリ正師が何事かを言おうとしたが、シュタイン慧師が手で遮った。沁み渡るような沈黙の中、一人視線にさらされる。胸中では様々な記憶がよみがえっていた。
 神殿で、草原で、森の中で起こったすべての出来事と、確かに味わった苦しみと痛み。
 そして――新たに生まれた、この気持ち。
「相棒というものが、真導士にとってそこまで大切な存在ということでしたら……」
 意志を込めて、白銀の瞳に向かう。
「わたしも、彼としか組めません」
 隣でローグが笑う気配がした。
「決まりだ。諸君らを我が"第三の地 サガノトス"の導士として、相棒として認める。決して奢らず、互いに支え合い、知恵と知識をもって己を磨くがよい」
 シュタイン慧師から宣言が出された。
 各々の感情を押し込み、正師達が一礼をする。それに倣いサキとローグも一礼し、揃って顔を見合わせた。

 憂鬱な朝にはじまったこの日が、サキの真導士としてのはじまり。
 そして、それに連なるすべての出来事のはじまりだったのである。

 『静白の門』は開かれた。流れ出した風は止まらない。――すべてが終着する、その時まで。

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