蒼天のかけら  第二章  鼎の道


楽しいひととき


 食卓に、三人分の昼食が並んだ。
 突然、そそくさと帰ろうとした長身の彼――ヤクスを、サキがあわてて引き止め、一緒に昼食をとる運びとなったのだ。
 作り置きしようと、いつもより多めの食事を準備していたのが功を奏した。おかげで、ヤクスの分も問題なく用意することができた。

「いやー、サキちゃん料理上手だね! こんな上手い飯は初めて食べたよ」
 屈託なく褒めてくれるヤクスの言葉を、くすぐったい心地で聞いた。
「お口に合ってよかったです」
 料理は、自分の中で唯一誇れるものだ。ローグもさんざん褒めてくれたが、手料理を褒められると幸福な気分になる。

 ちらりとお皿に目をやった。ローグのお皿は、そろそろ空になってしまいそうだった。
「ローグさん、おかわりありますよ」
「もらう」
 声を掛ければ、残っていた一口を食べて、皿を差し出してくる。今日はいつもよりお腹が空いているようだ。
 はい、と返事を一つして、竈(かまど)へと向かう。
 火を通し直そうかと思い立ち、竈の下に置かれている水晶――輝尚石を三回つつく。すると、瞬く間に炎が上がり、鍋を温めていく。

 真導士の里では、自分達の身の回りのことでも、こうして真術を活用することになっている。修業の意味合いもあるにはあったけど、圧倒的に便利だからだ。
 ちなみに、この家も真術で構築されている。真術が籠められた樫の杖が大本だ。家を建てるとなると、さすがに導士ではできない芸当だったので、正師が代行してくれた。
 実物を再現するのは、蠱惑の真導士の得意分野らしい。
 正師達の中では、キクリ正師がこれに当たる。

 時間をもてあまし、初日の出来事を思い出す。
 "迷いの森"を抜けてきた自分達のために。キクリ正師が居住区まで付き添い、家を構築してくれたのだ。
 二人の真力を樫の杖に注ぎ、地面に突き刺し、見事な真術で立派な家を造り出した。
「この家に鍵はついていない。真力を注いだ者だけが扉を開ける。里では泥棒が出ることもない。しかし、年頃の娘には心配ごとも多いから……念のためだ」
 正師はそう言って、顔にいたずらっぽい色を浮かべながら、ローグを見た。
「各部屋の扉も住人にしか開くことはできない。ひるがえせば住人には開くことはできる。ゆえに、くれぐれも無体を働くことはないよう。すまぬな、男女で相棒を組む場合、全員に注意しているのだ」
 ローグはむっとした顔をしていたが、最後まで黙って聞いていた。
「部屋割は相談して決めなさい。居住するための部屋には、それぞれ水回りも整えてあるから共有する必要はない。ただ、炊事場だけは居間にある一つしかない。使う場合の規則も二人で決めなさい」
 婚姻前の男女が、同じ家に住むことを想定しているのだろう。かなり親切な構造になっているらしい。
 家のすばらしさに感激していた自分は、最後にキクリ正師が出した余計な一言で我に返った。
「相棒は一生の縁だ。仲良くやるように。……ちなみに真導士の里では、真導士は真導士と婚姻することを推奨している。そうなる者も実に多い。中でも相棒同士というのが過半数だな。ということで仲良くなり過ぎて困ることはない」
 ではな、と言い置き、正師は"転送の陣"で消えてしまった。
 取り残された自分達は、おかげで何とも気まずい思いをしたのだった。



 あの時の羞恥が戻ってきて、頬に熱が生まれた。竈に向かいながら、時間をかけて鍋の具合を確認する。
 背後からは、絶え間なく二人の会話が聞こえてきていた。
「うらやましいな首席殿は。毎日これを食わしてもらっているのか」
「……だから、それはやめろ」
「あー、悪い悪い。ローグだったっけ? とにかくうらやましい。食堂の飯はどうにも甘ったるくて……。最近はさすがに胸やけしてきてさ」
「サガノトスとはいえダールだからな。"聖都ダールの甘ちゃん飯"ばかり食っていたらそうなる」
 会話の内容を聞いて、少し違和感を覚える。
 自分と話している時とは、ローグの口調が若干違う。少しぞんざいな気がする。男性同士だと、こういう会話になるのだろうか。
「甘ちゃん飯……。ローグって実家は商家か?」
「そうだ。見ればわかるだろう」
 やはり貨幣の額飾りの意味は、知っていて当たり前のことらしい。ヤクスはちゃんとそれを知っている。
 もっと知見を広げないと、と考えつつ、お皿に料理を盛りつけて居間に戻る。歩きながらヤクスの弱ったような声を聞いて、またも違和感を覚える。
「商人……。もしかして故郷はカルデス湾の近くか……?」
 さっきまで朗らかに語らっていたというのに、ヤクスの顔が少し怯えていた。
「よくわかったな」
 ヤクスの怯えを眺めつつ、ローグが不敵に笑う。最近はあまり見かけなかったのだが、悪徳商人殿はご健在のようだ。
 ローグの返事を聞いて、ヤクスが奇声を上げた。
「それを早く言ってくれっ。話かける前に鉄兜を用意しておくべきだった!」
 頭を抱え、食卓に突っ伏したヤクスを、ローグはただ面白そうに見ている。

 鉄兜?

「何だったら俺がいいのを調達してやろうか。そうだな、割引をしてやってもいい」
 ローグだけ、ひたすらに楽しそうだ。
「あの、何で鉄兜が必要なのですか」
「何でって、サキちゃん知らないの? カルデスの商人って言ったら悪名高いじゃない」
 ぱちりぱちりと目を瞬く。
 ローグの故郷の商人は、皆して悪徳商人なのだろうか。……それはちょっと怖いかもしれない。
「カルデス湾には商いの町が多い。船場が整備されているから大量の積み荷を捌きやすい。大型船もよく入ってくる」
 ローグは悪い笑顔をそのままに、詳しく説明をしてくれた。
 彼の説明にしてはめずらしく、詳細がまったく飲み込めない。
「サキちゃんには隠し通す気か。お前、汚いぞ。……あのね、カルデス湾の商人っていったら、喧嘩っぱやくて有名なんだ。いつも船乗りとやりあっているから、揃いも揃って大力無双なんだとか。カルデス商人と揉めたら、とにかく逃げろって言われてるくらいだよ」
 ローグが喧嘩っぱやい。
 納得がしづらい説明だったので、思わず小首を傾げる。

 自分にとってローグは、時として慌ててしまうほどやさしくて、とても穏やかな相棒だ。ごくたまに……いたずら小僧のような一面を覗かせるけど、不愉快な気分には決してならない。
 有体に言ってしまえば、とても出来た人という印象なのだ。
 荒くれ者だと言われても、納得ができない。

 その反応に、ヤクスがまた弱々しい声を上げる。
「サキちゃん、絶対騙されてるよ……。目を覚ましなよ……」
「ひどい言われようだ。サキにおかしなことを吹き込まないでくれ」
 ローグは喉で笑いながら、愉快そうにヤクスを眺めている。
 よくわからなかったが二人は気が合うのだなと思って、胸にぬくい気持ちを抱いた。

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