蒼天のかけら  第二章  鼎の道


紫炎


 ――真眼を閉じる。

 それは真導士にとって、まったくの無防備になれと言っているようなものだった。
 真眼を開いていれば真力が勝手にあふれてくる。真円や真術を展開しなくても、わずかな守りの膜ができているのだ。大した効果は期待できないとは聞いた。しかし多量に放っておけば、衝撃だけでなく真術を防ぐこともできる。

「サキちゃん……、閉じるな」
 掠れる警告は、すぐ鈍い音に押し潰された。
「やめて。閉じるから、やめてください」
 こんな男に乞う――。
 嘔吐感はひどくなる一方だ。それでも、ヤクスのためだと自分に言い聞かせた。

 額に念じる。
 そして、世界から白が消えていく。
 開眼をしたら、それ以降は完全に閉じることはできない。けれど男達の額からこぼれていた白が、よく見なければわからないほどの、ごく薄い光になったことを確認した。
「いい子だ」
 下卑た笑いが、心にある憎しみを煽っていく。
 リーガの手に白い円が描かれた。左へ右へと流れを変えて旋回する真円。
(蠱惑の、真導士)
 キクリ正師と同じだ。だがこの男には、まだ実物を構築することはできないだろう。
 使える真術は、幻影、幻視、幻惑――その内の、どれか。

「真導士の里にも、一応規則があるらしいからな。喧嘩ぐらいなら処罰はされないと聞いたが、無理やり女に手を出せば下手をすると追放だってよ」
 もう出しているではないか。
 この男達が追放されるなら、自身の犠牲も無駄ではないと震えながら思った。
「ばれなけりゃいいって考え方もある。でもまあ、真術が使えるならもっと賢いやり方がある」
 真円に、真力が注がれていく。
 この男の真力は、どうしてこんなにも淀んでいるのだろう。満たされるというより、沈殿していくと表現した方が正しそうだ。
「女の方から誘ってきたとなれば、話はまったく別だ。そう思うだろ?」
 真円の中で、紫炎が立ち昇る。
 雷雨を呼ぶ雲のような炎。その気配が気持ち悪く、肌の粟立ちを止められない。
「ほら、この炎を見てみろ。……絶対に目を逸らすなよ」
 本能が拒絶する炎を、意志の力で視界に入れる。眉間の辺りから頭の中心に向かって、じわじわと毒を入れられている気分だ。
 紫炎が思考を焼き尽くしていく。
「本当にできるのか」
「しっ、だまって見ていろよ」

 声が遠い。水の中から会話を聞いているように音が低い。
 震えと耳鳴りが急速に治まっていく。何だろう。とても身体がだるい。頭が重くて首で支えているのが難しい。紫炎を見ていなければと思うのに、油断すると頭が下がってしまう。目を開けているのが、とても辛い。
「効いてきたな」
 リーガの声だ。
 他の声はすべて遠い。低く反響している音があるように思うのだが、頭の中に留めておくことができない。
「おい、俺の言葉は聞こえているだろうな?」
 問われて、かくりと肯く。

 聞こえている。

 リーガの言っていることは、ちゃんとわかる。
 さっきよりも大きく反響する音があったが、もう聞きたいとは思わなかった。

「試してみるか。……ローブを脱いで俺に渡せ」

 ローブ。
 導士のローブ。
 いま羽織っている真っ白な上着。ボタンは五つしかない。上から順番に外していく。
 指に力が入らなくて、うまく外せない。
 外せた。
 肩から落として腕を抜く。やっと脱げたのでリーガに手渡した。

「上出来だ」

 また他の音が聞こえる。
 これは何だろう、とても耳障りだ。リーガの声が聞こえなくなってしまう。

「どうした……。うわ、何だこいつ!」

 リーガの声。指示じゃない。
 だから動けない。
 うごけな――。

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