蒼天のかけら  第二章  鼎の道


確実な一歩


 眼前の光景を見て思った。
 この光景のことを"血祭り"と呼ぶのだと。
 四人の男達は、それぞれに重い打撃を受けて地面に転がっている。呻き声を立てる気配すらない。

 残すはリーガばかりと、ローグが足を進めてきた。大柄な体躯の男は、逃げ道を探して周囲を見渡し、自分に目を留める。そして、こちらに一歩踏み出そうとしたところで、低い声に静止させられた。
「何度言えばわかる。俺の相棒から離れろ」
 ローグが、心底腹を立てているのがわかる。黒の瞳に、常にはない底冷えのする光が見えた。
「これ以上、サキに何かしてみろ。ただの怪我では済まさない」
 もはやリーガには、彼と対峙できるほどの気力は残っていなかった。
「わかった、俺が悪かった! もう何もしない」
 だから見逃してくれ、と言い募る。
 言いながら距離を取りつつ回り込み。仲間を見捨て。森道に向かって駆け出そうとした。

「待て」

 再びの静止に、リーガの肩が跳ね上がる。
「俺がいつ見逃してやると? ……"許さねえ"と言ったはずだ」
「何でだ。女には、もう手を出していないだろう!」
「ただの怪我では済まさないとは言った。約束を守ってくれた礼に、ただの怪我で済ましてやる」
 言うが早いか、いままでで一番強烈な一撃を、リーガの顎に打ち込んだ。もんどりを打った巨体は、地面に強く叩きつけられ、盛大に砂ぼこりを散らした。

 彼はリーガの無様な姿を認め、一仕事を終えたと両手を掃い、傍まで歩いてきた。
 途中、無造作に投げ出されている白いローブに目をやった。しかし、取りに行くことはせずローブを脱ぎ、そっと羽織らせてくれる。彼の体温を吸収しているローブは暖かく、まるで毛布のようだった。
 ローグが、茫然としている自分の頬を見る。腫れを確認し、盛大に顔をしかめたが何も言わず。いきなり身体を横抱きにされた。許容量を超えた思考は、働くことをとっくに止めていたので、羞恥はかけらも感じなかった。
 すたすたと歩いて行き、長身の導士の傍に立つ。
「なかなか気のきいた演出だったな、ヤクス」
「まさか、これほどとは。……ローグに喧嘩は売らないことにするよ」
「そうか? 鉄兜は調達してやるが」
「いい。とてもそんなんじゃ間に合いそうにない」
 軽口をたたき合う二人の笑い声に、少しずつ思考が戻ってくる。
 ふいに鳴き声が聞こえた。

「……ジュジュ」
 白い獣が呼んでいる。
 横抱きにされていた身体が、やさしく地面に下ろされた。勢いよく飛んできて、胸元にすり寄るジュジュを抱きしめ、撫でる。
「よかった。本当に……ごめんね、ジュジュ」
 小さな命をひとしきり撫でて、ヤクスと顔を合わせた。
「ヤクスさんも、ごめんなさい。……わたしのせいで」
「いやいや大丈夫、というかあまり役に立てず面目ない。どうにも昔から喧嘩は向いてなくてさー」
 それにしても、と半目になってローグを見上げる。
「参っちゃったよな、おいしいところを全部ローグに持って行かれた。二人でがんばってたのに、感謝して欲しいよ」
 ヤクスの言葉に首を傾げる。
「いや三人か? ジュジュも入れて。がんばってたもんなー、お前」
 そう言って、うりうりとジュジュの鼻先を指で突っついた。
「ローグだけの手柄にさせるのはもったいないから、四人で力を合わせてやっつけたってことにしよう」
「ヤクスさん?」
 きょとんとしていると、独特の人好きのする笑顔でどうしたの、と問われた。
 この人は何を言っているのか。
 自分は逃げて、暴れていただけだ。何も成さなかった自分が、どうして人数に入っているのだろう。

「わたし、何もできませんでした……」
 ヤクスも、ジュジュも、自分自身ですらも守ることはできず。
 結局また、何の役にも立たなかった。
「いやいや、そんなことはないよ。無茶だとわかってたのに、無理に走らせてごめんね。……ほっぺが腫れちゃってるな。ローグ、輝尚石もっとくれよ」
「もうない。サキに造ってもらったのはあれだけだ」
「そうか、サキちゃんは天水の真導士か。だったら輝尚石より自分で治した方が早そうだね。どうしたんだよ暗い顔してって……まあ、怖い思いをしたから当然か」
 そう言ってから、またもローグに苦情を申し立てた。
「次からはもっと早く来いよ。時間稼ぎだって楽じゃないんだからな」
「善処する」
「頼むよ、本当」
 軽い口調で、にこにこと話すヤクスと、彼の言葉に疑問を抱いていないローグ。
「あー、疲れたな。風も冷えてきたし、とっとと帰ろうか!」

 笑いかけられて、まとまらない思考のまま、笑顔を返そうとした。

「サキちゃん?」
 ぎょっとした様子で顔を覗き込まれる。瞬きをした拍子に、ぱたぱたと雫が落ちていった。
「も、もしかして、ほっぺ以外にどこか痛いの?」
 ふるふると首を振れば、涙が雨粒の如く土を濡らしていく。

 止め処なく流れる涙は弱さの証。
 大切な人達を守れない、守られてばかりの"役立たず"の証明。
 そのはずだった。

(時間稼ぎ、か……)

 何も成さないと思っていた自分の足掻きは、瑣末ながらも役に立っていたのか。
 皆で笑い合う、この時間を守る力添えになっていたのか。

 どうしてか涙が止まらない。

 ヤクスが心配しているのに、喜びがこみ上げてきて止まらない。
 行っては戻ってきていた道だった。確実な一歩を踏み込んだ安堵で、感情の箍が決壊してしまったらしい。
 両手で顔を覆う。
 泣きながら笑っている自分の顔はきっと変だから。世界から覆い隠しておきたい。
 大きめのローブ越しに、彼に抱き寄せられた。体温の高い胸に、顔を埋めさせられる。背後にある腕が頭を抱え込み、撫でてくれた。
「がんばったな」
 低い声に応えたくて、しゃくり上げながら返事をする。
 さらに強く抱き締められて、涙が彼の上着に染みを作った。

「あー……。オレってやっぱり、お邪魔だよな」
 どこか途方に暮れたヤクスの声が面白くて、くすりと笑い。顔を上げられない恥ずかしさに飲まれ、ローグの胸にしがみ付く。体重をかけてもびくともしない彼に、すべてを預けて寄りかかる。



 募る寂しさが、この瞬間だけ幸福に感じられて、ただ不思議だった。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system