蒼天のかけら  第三章  咎の果実


隠された倉庫


 地下の食堂が揺れる。
「地震か!?」
 狼狽えた声が、導士達から漏れる。
 いまや食堂は、立っていることが不可能なほどの揺れに包まれていた。食卓の皿が滑り落ちて割れ、飛び散る音に娘達の悲鳴が混ざる。破片を避けようと、それぞれが壁に寄っていく。自分もローグにかばわれながら、模様があった場所とは反対の位置にある壁へと張り付いた。
 食卓の向こうで、ディアがイクサに腕を引かれ、模様の傍から遠ざけられたのが見える。
 揺れが最高潮に達した時、白い光が食堂に満ちた。
「真術だ!」
 これだけの導士がいて。誰も気づけないくらい密やかに敷かれていた真術が、力強く展開を開始する。
 真円が重ねて描かれ、目を開けられないほど強い白が輝きだす。無情な光の帯に飲み込まれ、身体が浮いたような感覚がした。次の瞬間、爆発するような白に溶かされたと、頭が勝手に思い込んでしまった。
 意識を取り戻した時、十人の導士達は薄暗い、石造りの小部屋に落とされていた。ランプもないその部屋の天井には、濃く真円が描かれており、真術の気配が濃密に感じ取れる。
「大丈夫か」
 低い問いかけがきて、彼が無事であることを知った。
「……はい、ここは?」
「わからない。全員まんまと落し込まれたみたいだな」
 互いの無事を確認し合う声が、いくつか上がった。全員無事であることだけは確かなようだ。

 小部屋には真円と、下に潜るための急な階段が見えるだけ。他には何も存在していない。
 風も通らない黴臭い場所であるというのに、自分には別の気配が強く感じ取れた。甲高い声に似た耳鳴りと、泥水のような感触。酸味を持った甘い匂い――。
「ここです……」
 馬車の中からも感じられていた鈍色の場所は、あの不気味な模様の先に存在していたのだ。
「ああ、ようやく俺にもわかった。この気配……なんだろうな」
 いたた、という声が近くから聞こえた。
「首席殿達もご無事で……」
 ジェダスはどうも腰を打ったようで、痛そうに摩りながら問いかけてきた。彼の隣には娘の導士がいて、痛がるジェダスの様子を心配そうに見つめている。
「俺達はな。お前の相棒は?」
 ローグの低い声に、娘が息を吸い込んだ。
 背丈がサキよりずっと小さいその人は、さらに小さくなってジェダスの影に隠れようとする。
「ティピアも無事です。すみませんね、彼女は人見知りが酷くて。……悪気がないのでご勘弁を」
 ティピアと呼ばれた娘は、そうっと下からこちらを窺っている。紅水晶のように薄い色の瞳と、山吹色の添え髪が、小さく震えていた。
「……人見知りね。気にするな、俺は慣れている。うちもかなり酷いからな」
 喉で笑いながらローグが返答した。黒の瞳がからかうようにサキを見ている。言わなくてもいいことだ。最近はかなり改善されてきている。思わず抗議の眼差しを送れば、さらに楽しそうに目元が笑う。
 楽しそうなローグとむくれたサキを見比べて、ジェダスが破顔した。何だ。この人、普通に笑えるのか。あんな胡散臭い笑いよりも、こちらの方がずっと親しみが持てる。

「全員、無事かい?」
 イクサの声が小部屋に響いた。輝く真円の真下に金の眩い輝きがあった。
「ええ、無事ですよ。イクサ殿、あれは何だったのでしょうか」
 ジェダスの質問にイクサが首を振る。わからないと言いたいのだろう。
 それも仕方ないこと。
 十人の導士達が、誰一人その気配に気づかなかったのだ。そして展開された真術の、幾重にも重ねられた真円。あれは、上位の真導士しか行えない芸当だ。
 真術の強さを上げる方法は二種類しかない。大量の真力を注ぐか。もしくは真円を幾重にも重ねるか。大量の真力を注ぐという手法は非効率的だ。上位の真導士はいくつもの真円を重ねて、真術を練り上げていく。
 真円を同時に複数展開するには、たくさんの経験と、確かな気力が要求される。あれだけの真術を展開した真導士なら、真術を敷く際にもその気配を辿られないよう、強固な偽装真術を施していてもおかしくはない。

「ここは何だろうね。倉庫の一部だろうか……」
 一人言のようにつぶやいてから、イクサがローグを見た。
「ローグレスト、君はどう思う?」
「何故、俺に聞く」
 笑いをすっかり引っ込めて、彼は無表情のままイクサに問いかける。
 ううむ、やはり苦手なのだろうか。ジェダスですら気さくに話をしていた様子だったのに。
「君は、商家の出なのだろう。倉庫の時も慣れた様子だったからね。こういう場所は詳しいのだと思って」
 イクサはちゃんと見ていたのだ。彼の誰にでも与えられる気遣いは、その観察眼に裏打ちされているのかもしれない。
 問われたローグは少しの間だけ黙りこみ、近くにある壁を撫でた。撫でながら右手は顎をさすっている。久々に見た彼の癖は、きちんと考えているという事実だけ伝えている。
「普通、こういった場所は倉庫には向かない。そこの階段は搬入口としては狭すぎるし、何より角度が急だ。荷を運び入れるのに適していない。それに、この黴ではな。……湿気と黴は商品管理の大敵。好んでこんな場所を使う商店はない」
「そうか、では何だろう。知られていない地下通路か遺跡か……」
「いや、違う」
 彼は撫でていた壁から手を離して、腰に当てた。
「あれだけでかい倉庫だ。建てた時にそうとう深く掘り下げるはず。柱がきちんとしていないと積み荷を支えられないだろう。それで地下にある何かを見逃すとは考えづらい。あと……この部屋の壁は食堂と同じ造り。倉庫と同じ時に、ここもできたと見るほうが妥当だ」
 ローグを見るイクサの瞳は真剣だ。
「ならばここは?」
「普通ではない倉庫。つまり隠し倉庫だな。湿気と黴、商品管理の面を捨ててでも、人の目から隠しておきたい商品を置いてある。こんな場所を使わないという常識を逆手にとって、あえて作ってあると見た」
 イクサは深く肯いて、階段を見た。
「そうだとすればこの先には、その隠しておきたい商品が眠っているわけだね」
 隠しておきたい商品。
 それはきっと――。
「法に触れる何か……。例えば違法術具とかかな」
 イクサの声が小部屋に広がる。

 やっぱり帰れなかったと、胸の内で何かがささやいた。

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