蒼天のかけら  第三章  咎の果実


熟れた果実


 深い。
 急な階段であるというのに、なかなか終わりに届かない。ようやく辿りついた場所は、横に二人並ぶのが精一杯という狭い通路であった。
「風があるね」
 イクサの声が前方から響いてくる。最後方にいる自分達にも、そのつぶやきが聞こえるほど、通路は声が反響しやすい。
 燠火の真導士の一人が、手の平に炎を展開しているので視界は確保できている。しかし、灯りがあるといっても。金と黒の目立つ二人の男以外は、全員すっかり怖気づいていた。
 かわいそうなのはティピアで、怯えて涙すら浮かべている。ジェダスはそれを気遣いながら、けれど決して嫌がる素振りだけは見せなかった。案外いい人なのかもしれないと思えてくるから、人の心は不思議である。

 しばらく歩いて行った先に、木目の扉があった。イクサが開けようと試みる。けれども、しっかりと鍵がかかっているようで、一向に開く様子はない。彼を助けようと男二人が加勢したが、三人で扉を押してもやはり鍵は外れない。
 前方の有様に、悪徳商人殿がしびれを切らしてしまった。ずんずんと人を掻き分けて、前方へ進んでいく。
「どけ」
 その一言で予感を覚えたので、咄嗟にティピアの耳を塞いだ。
 次の瞬間、耳をつんざく轟音が通路に反響し。憐れな扉は少し離れた床に、身体を張り付かせていた。
「……すごい力、だね」
「腕よりも、足の方が力が出るだろう」
 そういう問題ではないと言いたげな周りの沈黙。彼のことを貴族だと勘違いする者は、もうここにはいない。

 ローグが強引に開いたその場所は、家の居間ほどの大きさの部屋だった。
 部屋の隅から、鼠の鳴き声が聞こえる。鼠達は灯りから隠れるように、物影へと姿を消していった。
 正面にはまた扉。左手にはどこかへ続く通路がある。部屋の中にあるその扉は、先ほど蹴破られた扉とは違い、頑丈な鉄拵え。鍵がなければとても開きそうにない。
 だが幸運にも、鉄扉の手前にある机の上に鍵らしきものと、分厚い紙の束が見えた。

 誰も彼もが室内を見渡し、一か所で目を留める。右隅の方に、きっちりと積み上げられている荷箱。木と木の隙間から、白く淡い光がほろほろと零れている。額に冷たく感じる水の飛沫。酸味を帯びた甘い匂い。
 もはや疑いようはない。目の前にある荷箱がこの気配の原因だ。そして――。

 両手で耳を塞ぐ。
 反響しては返ってくるたくさんの声。耳を塞いでも意味はない。でも、そうしていないと気力が保てない。
 ……すすり泣き、叫ぶ、たくさんの子供の声。
 口々に出してと。帰りたいと親を呼ぶ、その幼い慟哭。
「サキ、しっかりしろ。……サキ!」
 ローグの声が遠い。こんなに近くで呼んでいるのに子供達の声に消されて、彼の言葉が届いてこない。立っているのもやっとの状態で、呼吸をただ繰り返す。
 イクサは迷うことなく足を進め、右隅に積んである荷箱の蓋を取り外した。部屋に広がる、毒々しいほど甘美な香り。
「何だ……これは」
 蓋を壁に掛け、中を丹念に覗き込んでいる。
「ローグレスト、ちょっと見てくれないか」
 イクサがローグを呼んでいる。
 構わず行ってくださいと伝えたいが、とても声が出せなかった。
「……わたし、サキさんのこと見てます」
 小さな小さなささやきが、近くで出された。
 ティピアの手が、自分の二の腕に触れたのを感じる。涙声のティピアの主張に、ジェダスも後押しをした。
「行ってください首席殿。貴方の知見が必要です」
 二人の言葉を受け取り、躊躇っていたローグが一つ肯く。そのまま裾を翻して荷箱に向かって行った。

 イクサに示され、箱の中を見た彼。
 中身を検分し、突如張り上げた驚倒の声が、部屋に大きく響く。その声に反応したのか、隅の方で鼠が蠢いている。
「……何故、こんなものが」
 あり得ない物を見た。
 声がそうと告げている。悲鳴にまとわりつかれながら、ローグの様子を窺う。
 彼がそこまで驚くことなどめったにない。何か尋常ではないことが起こっているのだと、不安に思った。

 ローグの手が、荷箱の中に差し入れられる。
 彼の手によって取り出されたのは、白く光を放つ――真っ赤に熟れた果実だった。

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