蒼天のかけら  第三章  咎の果実


灰泥の罠


「もう、いやよ……」
 娘が一人、泣き崩れた。

 限界。
 そんな言葉が脳裏をよぎる。
 彼女の声を皮きりに、それぞれが床に腰を下ろした。体力はまだ残されているはずだ。昼食も全員がとったし、"迷いの森"ほど歩きまわっているわけではない。
 問題は気力の方だ。
 あの残酷な光景は、そうそう忘れられはしない。その上、ここまで歩いて、出口に辿りつけないという徒労感が加わった。
 徒労感を否定したいがために、きっと出口はこの中にあるだろう。あるに決まっているという期待を抱き。その期待が、さらに心を蝕んでいく。
 憔悴して頭垂れる導士達の中。イクサは座る様子もなく、立ちながら目を閉じている。気を落ち着ける方法なのだろうか。ディアはそんなイクサを座りながら眺めている。どうやら彼女はまだ平気そうな様子だった。
 ジェダスとティピアも、大丈夫そうだ。腰を下ろし休息しているけれど、悲嘆している様子がない。
「ローグさん。わたし達も休みましょう」
「そうだな」
 ジェダス達の近くに、二人して座り込む。
「首席殿は、そのままですか」
「ああ。サキの気力を回復させたい。その方が後々、いい結果になるからな」
 いつの間にか気安い感じになっているローグとジェダスを、ティピアがそっと見つめている。変な組み合わせだ。実習がなかったら、絶対にこの光景は実現していなかったはずだ。
(不思議……)
 誰かと出会って。仲良くなったり。仲良くなれなかったり。
 幸せになったり、不幸になったり。
 そこまで大きな判断などしていないのに。するりするりと道が交差して、いつの間にか見える景色が変わっている。変化の乏しい一日を、安穏と過ごしていた自分にとって。サガノトスでの日々は、あまりにも騒々しく。辛くて、豊かな毎日だ。
 ジェダスと語り合っているローグを、そっと見つめる。
 サガノトスでの日々を一緒に過ごしてきた人――自分の大切な相棒。

(幸せ、かな……)

 そう、きっと幸せというのだ。この気持ちのことを。
 一緒にいられて。一緒に笑えて……それがすごく幸せなのだと素直に思える。
(女神さま、感謝します)
 状況に合っていない気持ちは、いったいどうしたことだろう。
 あたたかくて。やさしくて。幸せで、幸せで。微笑みを浮かべる。
 自分の中で、何かがまた動いた。大きな蓋で塞がれているそれは、もうすぐ開ききってしまう。
 それがうれしく、とても恐ろしい。
 目を閉じて、息を整える。白く包み込んでくる彼の気配。瞼の裏から感じられるその輝きに、懐かしい青が混ざるのが見えた。

 娘の高い奇声が響き、閉じていた瞼を急いで開く。
「ど、どうしましたか?」
「喧嘩、みたいだな」
 女同士の相棒が、小競り合いをしているようだ。しおしおと泣き崩れていたと思ったのに、どうしたのだろう。完全に感情的になっている二人は、いまにも取っ組み合いをはじめてしまいそうだ。
 またもや男達は、どうしたものかという顔でそれを見守っている。
「一回感情を爆発させてしまった方が、早く治まりそうですね」
 ジェダスは静観を決め込むことにしたらしい。その判断は正しいだろう。泣いて騒いですっきりする。気力は、否定や迷いによって大きく削られるのだ。それらを感情の炎で焼き払うというのもありだと、説教臭い本には書いてあった。
 彼女らの喧騒を、眺めている導士達。ふと隣の相棒を見やれば、彼だけがその様を鋭く観察している。
 吸い込まれそうな黒の瞳。
 普段は穏やかに静まっている。だがしかし、いまは風雨を受けているが如く、高く波打っていた。心情の揺れをあらわしているその波が、徐々に荒さを増していっている。
 彼が大きく、大気を吸い込んだ。

「――やめろ、模様に触るな!」

 揉み合っていた二人の内、一人の娘が倒れ込む。倒れた先には不気味な模様。充実に……ただ指示が下されるのを待ち続けていた過去の遺産。
 目の前で、白く真円が、強く強く輝き出してしまった。
「何てことをっ……」
「真円から離れろ。展開している!」
 無情なる白は、誰の手を借りるでもなく、円を描き。重ねていく。隠されていた真術の意図が、ようやく眼前に示された。
 圧倒的な――害意。

「罠だ!」

 イクサの叫びが、その気配の姿をくっきりと浮かび上がらせた。白の害意は、自身を抑えつけていた邪魔な蓋を、勢いよく吹き飛ばしていく。
 広間の天井に向かって噴水のように立ち昇り、跳ね返って広がっていく真術。地鳴りが聞こえ、足元が大きく揺らぎはじめる。

「天井が……崩れるぞ!」

 全員が天井を見上げた。
 天井にはすでに大きな亀裂が入っており。ぱらぱらと小石を落としはじめている。そして、見ている間にも稲妻のような裂け目が、さらに数を増していく。
「通路へ戻れ!」
 ローグの怒声と同時。稲妻に破壊された天井が、岩の雨となって降り注ぎだした。
 足を取られながら、全員が細い通路に向かって走り出す。岩の雨は容赦なく降り注ぎ、広間を塞ぎはじめた。ジェダスとティピアの背中を追いかけて、自分達も通路を目指す。
 通路の手前で、大きな岩がずるり下がってきたのが見えた。
 ジェダスが岩に気づき。勢いをつけてティピアを通路へと押し込んだ。その反動で足を縺れさせ、彼は通路の手前のところで転倒してしまう。
「……ジェダスっ」
 ティピアの細い叫びが響いた。
 相棒の元へ、這ってでも向かおうとした彼に、大きな岩が絶望の影を落とす。
「ジェダス!」
 場の全てを征圧する、強い熱が場に満ちた。比類なき真力を開放し。ローグが、広間の半分を覆うほどの真円を描き出した。
 強く、熱く、舞い上がり。跳ね上げる風。
 彼が展開した"旋風の陣"は、ジェダスを潰そうと狙っていた大きな岩を巻き込み、天井に向かって押し上げていく。
「ジェダスさん、通路へ!」
 茫然と岩を見上げていたジェダスは、戻ってしまった相棒によって引き起こされ、通路に入りこちらを窺う。真力を強く注ぎ込まれ、さらに力を増した風は、岩をそのまま壁へ叩きつけて散った。
「首席殿! サキ殿!」
「サキさん……!」
 広間に残されたのは、自分とローグのみ。
 互いに手を取り合い、再び駆けだした自分達に、岩の豪雨が降り注ぐ。あと十歩の距離で、通路への入口が完全に塞がれてしまった。
「くそっ!」
 再び真術を展開しようとしたローグは、一度天井を振り仰ぎ、目を見開いて自分を抱き寄せた。
 支える力を失った天井は、土砂となり広間を埋めていく。"旋風の陣"では、もう防ぎ切れない。彼にかばわれながら、自分のポケットを忙しなく探り、右手で丸い感触を確かめた。
 迷うことなくそれを取り出して、真術を展開させる。昨日籠めたばかりの"守護の陣"。すっかり気力を失ったいまの自分では、この場で真術を生み出せない。
 祈りを捧げながら、小さな水晶に奇跡を願う。
 轟音を響かせて、崩れ落ちてくる天井。白い膜が明滅しながら、その衝撃に耐えている。

(お願い!)

 ローグに抱き込まれ。身体を小さく折りながら、白い膜を見つめる。
 轟きが終息した時。どうやら自分達の命は、まだ続いているのだと息を吐いた。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system