蒼天のかけら 第四章 罪業の糸
過ぎた僥倖
ランプの灯りが部屋を照らしている。
いつもならもう寝ている頃合いだ。暗さが苦手なため、いつもランプを一つだけ残して就寝している。
天水の真導士は炎を操るのに向いていない。だからランプの輝尚石は、いつもローグが籠めてくれている。寝床の脇、枕元の小机の上をゆらゆらと揺れる輝尚石から、彼の真力が感じられる。
昨日まではランプからただようあたたかい真力に、眠気をもたらされていたのだが。いまの自分にとって、この真力は刺激が強すぎる。睡魔は一向に訪れる兆しがない。仕方なしに長い時間うるみながら輝く水晶を、じっと眺め続けている。
横になった時からお腹に乗っているジュジュは、とっくに寝てしまっていた。昼間あれだけ心配してくれていたのに……。ひどいではないかと、小さく拗ねている自分がいる。
あれからの時間をどう過ごしていたのか。気づけばいつの間にか夜になっていた。夕飯は作ったはずだけれど内容が思い出せない。焦がしてなければいいが。
彼からもらった想いと、言葉。
話の最後に、ずっと待っていると言われたのは覚えている。その時に見せた、照れ臭そうな顔が忘れられない。
想いを証明するように、たくさんの気持ちに触れさせてもらった。それなのに結局、胸に燻ぶる不安混じりの疑問は、さっぱり晴れてくれなかった。
(何故……?)
どうして自分なのか。
彼の気持ちは本物だ。それだけは疑いようがない。真力の海にある気配は、言葉と同じ想いを示していた。
しかしどうしてもわからない……。何故、自分を選ぶのだろうか。
そして――。
自分の気持ちはどうなのか。
彼は育っていないと言っていた。気持ちが育つとはどのような事柄を指しているのか、とても理解が難しい。
幸せであると確かにそう思った。だが怖いとも思ったのだ。相反する二つの思いは、心を千々に乱れさせていく。ぐるぐると回る思考の渦は、頼りない心をあちらへこちらへと忙しなく振り回す。
贈られた言葉と、その時に触れた彼の気配。それがまた自分を悩ませてくれていた。包み込むような熱い気配と、自分の中にずっとただよっている寂しさは、どうしても重なってくれはしない。
彼が自分に向ける想いと、自分が彼に向けている思いはひどく遠い。
相応しくない――。
すべてにおいて彼と釣り合えない、悲しい自分。
何か……何か一つでも理由を作ることができればいいのに。これがあるから彼は想ってくれるのだと自信を持てれば、こんなにも不安にならずに済む。
ああ、でもそれは嫌がるだろう。勝手に彼の気持ちを作ってはいけない。自分というものを明確に持っているローグは、それを一番嫌うのだ。
迷宮に落とされたような気分だった。
どこまでもどこまでも終わりが知れない場所で、行く先も戻る場所も見失って動きが取れない。
わかっているのは離れたくないということと、寂しいということだけ。
……情けない。本当に情けない。
相応しくない僥倖に、不安と恐怖がせり上がってくる。
負の感情を察知して、息を大きく吐き出した。
呼吸を正すための努力を重ねる。乱された真力と気力を正すには、呼吸を正すのが一番だ。
とにかく乱れた力を整えて眠ってしまおう。しっかり眠れば冴えた頭が、迷宮を抜け出す方法を見つけるかもしれない。
駆け出しとはいえ、自分は真導士。奇跡の力を信じて宿命の道を進んで行くのだ。この間の実習も、ちゃんとこなせたではないか。
あの時の諦めない心と、手に入れた新たな友情を心に描く。だが、なんともうかつなことに、連鎖的に繋いでいた彼の手を思い出してしまい、再び動揺が全身を駆け巡っていく。
困った……。
これでは眠れない。
誤魔化すように右手の甲を額に置く。鋭敏な真眼を塞いでみても、与えられた感触を身体が勝手に思い出してしまう。
頬と耳に触れていた手と、額のぬくもり、瞼に触れた唇――。
男の人に、はじめて口付けられた。
憧れはもちろんあった。自分だって年頃の娘だ。華やぎのある話に夢を抱いていたのは否定しない。でも、こんなに早くそれが訪れるとは思っていなかった。もっとずっと先の、まだ漠然としている未来を想定していたのに、まさか今日とは……。
ローグは――彼は唇まであたかかかった。
とんでもなく恥ずかしい記憶がよみがえる。音にならない悲鳴と共にがばりと起き上った。
お腹にいたジュジュがころころと寝床を転がり、何事かと態勢を立て直すのが見えたが、謝る余裕はない。
「嫌だ、もう……」
起き上って脱力し、盛大に乱れた毛布に顔を落とす。その拍子に、毛布の下で立てていた膝とぶつかり痛みを覚えた。
まったく落ち着けはしない。
何かしよう。そうだ何か行動しよう。
とにかく動きまわって身体を疲労させないと、永遠に睡魔などやってこない。
自分の異常な様相を見て、ジュジュはおろおろと近づいてくる。その頭を一つ撫で、いそいそと寝床から抜け出した。
部屋にはたったいま抜け出した寝床と、鏡台と、質素な棚が置かれている。足早に棚まで向かって行き、一番右上の引き出しから木箱を取り出す。取り出した木箱の蓋を開けば、輝尚石となる前の水晶が、八個ばかり納められている。
次の実習までに"癒しの陣"と"守護の陣"を籠めておこうと、倉庫からもらってきたばかりの水晶。どうせ眠れないなら、いまやってしまおう。
丸く透き通る水晶を一つ、箱から取り出した。
両手で囲み、真眼を開く。
すっかり慣れを覚えた動作。疑いを微塵も持たなかった。真円を描き、真力を注ぎ……そして精霊を呼ぶ。いつも通りの作業。
しかし、"癒しの陣"を籠めようと、額に強く念じて――予想もしなかった事態に出くわす。
こんなことはいままで一度もなかった。手の平にある、あまりに信じがたい光景を茫然と見つめる。
(嘘……)
真術が籠るはずだった丸い水晶は、青白い手の中で粉々に砕け散ってしまっていた。
輝尚石は、どの真導士でも造ることができる。真導士ならばできて当たり前。そうと言えてしまうほど、簡単な作業だ。
おかしい、こんなはずはない。
のぼせていた顔から、血の気が引いていくのがわかる。
操られるように木箱の水晶を取り、両手で囲んだ。今度はより慎重に作業を進めていく。丁寧に輝く円を描き、祈りを捧げながら真力を注ぐ。
そして、再びの破裂音。
冷たい手の中、針が刺さったような刺激を感知する。
「そんな……」
輝尚石が造れない。
真導士として、できて当然の奇跡を生み出せなくなっている。
真眼は開く。
真円も描けるし、真力を注ぐこともできる。
それなのに真術を展開させることだけができない。
「嘘、でしょう……?」
青ざめながらつぶやいた言葉は、目の前に横たわる事実を消してはくれなかった。
真術が――使えない。
奇跡の力が、この身から失われてしまっている。何もできない"役立たず"に逆戻りしてしまった。少しずつ積み上げてきた自信が、脆くも崩れ去っていく音がする。
過ぎた僥倖に、天罰が下った。
自室の床にへたり込み、放心したまま夜を過ごす。
朝になっても水晶のかけらは姿を残していて、非情な現実を伝えていた。