蒼天のかけら  第四章  罪業の糸


失われた加護


 ここまでくれば、誰にも会わないはず。
 周囲を忙しなく見渡して、人影がないことをもう一度確認した。
 怪しい。怪し過ぎる。
 自分でもよくわかっているが、怪しくないようにはできない。そもそもこんな場所に、導士がいること自体おかしい。

 真導士の里サガノトスは、聖都と同じ広さを有している。
 大きな場所なのに、伝説の域を出ないのには理由がある。四大国に五つある真導士の里は、どこも真円でぐるりと囲われていて、民の目から覆い隠されているのである。展開されている真術は、慧師のみが使える"禁術"の一つ。里の中心には慧師だけが入れる建物があり。中に設置されている大きな輝尚石に、この"禁術"が籠められている。
 聖都と同じ広さを囲めるほどの真円。それを描けることが慧師となる条件の一つだと聞いた。
 そうやって真円に囲まれている真導士の里は、大きく三つの区域に分けられている。
 一つは慧師や正師が居住している中心地区。もう一つが里の南に広がる学舎地区。導士達が居住しているのもこの場所だ。最後の一つが里の北に広がる高士地区。導士の修業を終えた高士達が、ここに居住していた。
 いま自分がいる場所は、そのどれにも当てはまらない里の西側。
 居住区でも修行場でもないこの場所に、人がいること自体おかしな話。雑木林が延々と広がるここに来たのは、絶対に誰もいない場所を選んだためだ。
 あまり一人になるなと、相棒と友人に注意されてはいる。しかしいまは緊急事態だ。



 罪悪感が胸の内を染めている。ローグが知ったらがっかりするだろう。
 頼りにして欲しいと彼は望んでいる。
 それでも自分は、絶望的な状況に独りで立ち向かおうとしていた。下された天罰を自力で乗り越えれば、女神も少しは認めてくださるのではと、淡い期待を抱いていたのだ。

 苦い気分を味わいながら、雑木林の気配を窺う。
 大丈夫。やはり誰もいない。
 胸を撫で下ろし、手頃な木の下に座り込む。そろそろ"二の鐘"が鳴る頃だ。朝の涼しさを残している木陰は、わずかに湿り気があった。
 ローブの袖で隠し続けていた荷物をゆっくり取り出し、膝の上に乗せる。包み込んでいる麻布を、これまたゆっくりと開いていく。
 ついに姿をあらわした赤銅の腕輪を、手に持って確認した。
 白の光をこぼしている腕輪。
 聖都ダールで買い求めてきたばかりの術具を、自分の左手首にそっとはめた。



 一睡もできないまま迎えた今日、学舎は休みである。だから聖都へと下りるには都合がよかった。
 朝。絶望に浸っていた自分は、外で遊ぶ小鳥の声で我に返った。現状を打開するべく入ったばかりの給金を握り締め、朝一番に家を脱出しようとしたのだ。
 気づかれないように静かに支度をしていたのに。居間の扉に手を掛けた瞬間、低い声に呼び止められて肩が跳ねた。
「どこに行く」
 こんなに朝早くからと匂わせて、問い詰めてきたのは黒髪の相棒。
 いつの間にと焦り。背中にびっしりと汗をかきながらも、小さく返事をした。
「聖都まで……買い物に行こうかと思いまして」
 完全に色を失った声を、ローグは不審に思っただろう。
 しかも昨日の今日なのだから、自分の行動がローグの神経を逆撫でしているのだと容易に想像ができた。誤解を与えるのに十分な行動だ。自分が彼を避けていると思われても仕方ない。
 嫌悪はないと知ってはいるだろう。けれど詳細な機微を把握するまでは、互いの真力が馴染みきってはいなかった。
「一人で、か?」
「まだ休んでいるかと思ってまして」
「もう起きている。ならば問題ないのだろう」
 遠まわしに一緒に行くと宣言されてしまい、窮地に陥る。

 このままでは、ばれてしまう。

 真術が使えないことをローグには相談しない。気づかれない内に自分で解決しようと、固く心に誓ったばかりだった。
「今日は、一人で行ってきますから」
「どうして? いつも一緒に下りているだろう。サキの荷物持ちだったら喜んでやる。俺を便利に使ってくれてもいいのに……なあ」
 背中を向け続けているのが危ないような気がして、くるりと振り返った。
 意図的なのか無意識なのか判別はできない。しかし、声に色が混じりはじめている。ローグに背中を取られてはいけないと勘が告げた。
 上目遣いで窺えば、拍子抜けしたような顔ををしていた。振り返ってよかった。やはり何か企んでいたようだ。
「……変なこと、しないでください」
「どういうことだろうな」
 とぼけても無駄だ。絶対に何か仕掛けようとしていた。
 大げさに息を吐いてみる。これで怯んでくれるとは考えづらい。けれど、多少の牽制くらいにはなるだろう。いまは心を乱されている場合ではない。
「今日は駄目です。重い荷物ではないので一人で行ってきますから」
「一緒にいたいと思っては駄目なのか」
 どうしてローグは、はっきりと言ってくれてしまうのか。喜びがあふれてくるのを強引に押し留めた。
 いけない。
 これ以上の僥倖に恵まれてしまったら、次こそは雷に打たれてしまう。何よりもまず、いま受けている天罰に許しを得ることが最優先。幸いなことに、自分の頬は勝手に熱くなりはじめている。どうにか誤魔化せるだろう。
「……本当に駄目なんです」
 念のため顔を俯かせる。素直だと言われる表情は、隠しておくに限る。
「わたしだって、女なのですから……。男性に知られたくない買い物だってあります」
 時が止まった。
 真力が揺れる気配だけが、彼から伝わってくる。
「……すまない。気が利かなかったな」
「いえ」
 嘘ついてごめんなさい。
 人知れず、自分の悪辣さ加減にぐったりとした。
 今日の夕飯は、ちょっと贅沢な献立にしよう。ローグが好きな揚げ芋も添えなければと、好ましい献立を思い浮かべる。
「それでは行ってきます。お昼は難しいと思います」
「わかった」
 言いながら彼は、ポケットに輝尚石を入れてくれた。念のためということらしい。
 感謝の言葉を述べて、足早に家から逃げてきた。そのまま急いでダールへ向かい、真導士の里が薦めている術具屋でこの腕輪を手に入れたのだ。

 初歩真術の領域にはない。天水の上位真術が込められた腕輪。
 まだ自分には真術の知識が圧倒的に足りない。だが、この一月で得た知識の中で、いつか必要なのではと思っていた真術がそれだった。
 その名も"激成の陣"。
 少ない真力でも、真術を展開できるように支えてくれる増加真術だ。底が浅い真力で、彼の巨大な真力に追いつくのは困難。常にある枯渇の危険を払拭するには、最適とも言える真術。
 この真術を通せば、目安として三分の一程度の真力を節約できると、高齢の店主が教えてくれた。左手首にはめた赤銅の腕輪には、その"激成の陣"が籠められている。
(これを使えば……)

 真術をまた扱えるようになる――。

 自分が出した結論は、真力の低下だった。
 もともと少ない真力が、昨日の件で大いに乱され、満足な力を保てなくなっている……そう考えた。
 さらには一時的なことだとも思っていた。真力と気力が整えば、またちゃんと扱えるようになる。それまでの補助として買い求めてきたのだ。
(大丈夫。今度もきっと大丈夫……)
 不安は消えない。それでも大丈夫と繰り返し、灰色の気分を塗り潰そうと試みる。

 昨日まで晴れ渡っていた空に、うっすらと雲が流れてきた。

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