蒼天のかけら  第四章  罪業の糸


凍える出会い


 深呼吸を繰り返していく。
 緊張で喉がきつくなっているため、時間をかけて大気を取り込む。
 展開するのは"守護の陣"。
 怪我をしていない状態だと"癒しの陣"では効果が不明。"守護の陣"ならば膜が見えるので、こちらを選んだ。

 真眼を開く。
 白く輝く世界。いつも通りのまばゆい世界に目を細めた。
 見えている――真力も精霊も、苦もなく目で追うことができている。
(大丈夫)
 真円を描く。綻び一つない滑らかな曲線が、大地に美しく刻まれる。
 刻まれた真円を見て、その大きさに驚いた。数日前より格段に大きくなっている。気力は損なわれていない。その事実が不安で潰れそうな心に、力を与えてくれた。
(これなら、きっと)
 最後の仕上げだ。昨日もここで水晶が割れてしまった。覚悟を決めて勢いよく大気を吸った。
 真術を展開した、その一瞬。

 真眼が何かを捉えた。薄い気配が近くにいる。わかってはいたが展開を止めることは難しい。精霊達は力の解放を強く求めていた。
「放て!」
 白が爆発的に膨れ上がる。
 あまりの力に制御ができない。暴れ狂う白が、眼前で真円から外れていく。真術は真円の中でしか展開できないし、してはいけない。そうすることで力を制御しているのだ。
 もし、真円から外れてしまえばそれは忌憚すべき事柄。
 真導士が最も避けなければならない、惨事の兆候。

("暴走する"……!?)

 馬鹿な。
 自分の少ない真力で暴走など、そんなことはないはずだ。
 暴走は真円を正しく描けない者、もしくは真力が強い真導士が引き起こすことが多い。キクリ正師もそう言っていたのに。

(お願い、止まって!)

 精霊に語りかけた。だが彼らは自分の声に反応しない。ただただ、力の膨張に酔いしれている。
 収束しない白に、全身が巻き込まれていく。
 危険だ。
 これ以上、展開させてはいけない。鋭敏な察知能力が、自分の危機を知らせてきている。それなのに暴れる力を抑えられない。
 もう無理だと諦めかけた時、男の声が近くで轟いた。

「何をしている!」

 白がまぶしくて、姿がおぼろげだ。
 苦戦しながら相手を探そうとしていたその一瞬。前方から激しい風を打ちつけられた。
 "暴走"しかけていた"守護の陣"が、激しい風に消されていく。
 桁外れの真術を正面から叩きつけられ、身体が後方へと飛ばされる。背中に激痛が走り、木の幹に沿ってずるずると落ちた。落ちた時に腕輪が抜ける。銅で作られているはずのそれが、割れて砕けた音がした。
 気力と揺さぶられた上、激痛まで加えられ。苦痛のあまり意識が飛ぶ。
 何も、見えない。

 崩れ落ちた自分に、向かってくる気配があった。
 強い真力――。
 そして激しい怒りと、凍てつく感情の気配。
「貴様、ここで何をしている」
 心まで凍らせるような、ひどく冷たい声音。相手を見つけなければと思うが、暗い眼前には何者も存在しない。
「……女? そのローブ、導士の小娘か」
 冷え冷えとした言葉だけが、耳に入ってくる。
 肩にきつい力を加えられた。
 骨を外そうとしているような力は、背中の痛みと連動し、さらなる苦痛を運んでくる。
「小娘。貴様、何をしたかわかっているのだろうな」
 かくりと首が折れて、顔が上向きになった。
 ぼやけた目に、日の光を背にした男の影が浮かんできた。

(ローグさん……?)

 彼ではない。真力も声音も。凍えるような男の気配も、彼の気配と逆の位置にある。
 それでも一瞬だけ、彼かと思ってしまった。
 黒く濡れた髪。朧な視界は、最初に色を捉えた。それを皮切りに、少しずつ焦点が合っていく。

(違う)

 黒髪かと思ったのは日の加減だったらしい。
 男は深い青の髪をしていた。真夜中の夜空に近い、濃い青の髪。そして長く伸ばされた前髪から覗く、冴え冴えとした青銀の瞳。
 冷徹な目と出会ってしまった。
 不機嫌そうな顔で自分を確かめていた男は、わずかに瞠目し息を飲んだ。
「サ……!」
 名を呼ぼうとして息を吸い込み、幻を確認するように覗き込んでくる。
「っ……」
 両肩に指が食い込んだ。痛みのせいで息が上手く吸えない。離してくださいと伝えたくとも声も出せない。痛みで呼吸すら止まりそうだ。しかし、相手はこの苦痛がわからないらしく、よりいっそう強い力が加えられる。
 幻を見続けている男。
 ようやく動かせるようになった腕で、男と距離を離すように精一杯腕を伸ばした。押し戻す力で我に返ったらしい。男は、肩にかけていた手をようやく離した。そして激情を含んだ冷徹な瞳で、ひたと睨みつけてきた。

 視線がもし形を持っていたのなら、冷徹な彼の瞳から放たれたそれは、自分の心臓を潰して息の根を止めていただろう。激しい感情を見知らぬ男に突きつけられ、痛みを訴える背中を木の幹に押し付けた。
 束の間、恐怖が痛みを凌駕した。
「小娘。己が何をしたかわかっているか」
 剣のように鋭い声音。身体が勝手に竦んでいく。
「っこのような場所で真術を暴走させおって。天水の真導士だからまだよかったものの。一歩間違えば大惨事だ。己の仕出かしたことを理解しているのか」
 歯の根が合わない。目の前で威嚇しているこの男が恐ろしい。
「間抜け面をさらすな。返事をしたらどうだ」
 無理だ。そんなに強く真力で圧されては、息をすることすら辛い。
 荒い呼吸が治まらないことに、ようやく気づいたらしい。男は舌打ちをしながら、周囲を威圧するように出していた真力を抑えた。
 圧されていた肺が楽になり、頭ががくりと倒れ込む。地面が近くなったので本能的に腕を前に出し、大地に手をつく。涙で滲んだ視界の中、鮮やかに照らされてるローブ。自分のものより長く伸ばされた白い布を確認して、目を瞬いた。

 高士――!

「顔を上げろ。状況を説明してもらおうか」
 サガノトスではじめて出会った高士は、冷酷無比な顔のまま自分を見据えていた。

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