蒼天のかけら  第四章  罪業の糸


苛立つ背中


 苛立ちを隠そうともしない背中を、小走りで追いかけていく。
 整えられた道ではあるが、先を行く足が早過ぎる。

 ずっとこの調子で進んでいたので、すっかりと息が上がってきた。
「もうへばったのか。使えない小娘だな」
 背中と同じように苛立っている声が、ただ詰る。
「……まだ、歩けます。大丈夫です」
 強がりだ。
 そんなことはわかっている。だとしても、強がらなければならない時だってある。
 ちっ、と舌打ちが聞こえてきた。
 何度も聞いていた不穏な音には、慣れが生じはじめていた。

 同行というよりも行軍と表現した方が正しそうな歩みは、昼前から続けられている。そろそろ"三の鐘"が鳴る頃合いだろうか。頂点にある日の光は、白の人影を明るく照らしていた。

 慧師の出した結論は、誰もが驚く内容だった。
 バト高士とともに任務につき、察知能力が使えるものであると証明して来い……と、尊大に言い放ったのである。
 任務が成功し。察知能力が実用に耐えられると証明できれば、今回の件は不問とする。だが、その力が意味を成さないものであれば、記憶を消して真導士の里から追放する。
 選べる道は一つしかなかった。迷うことなくそれを選び、無茶苦茶な話を押しつけられた不機嫌極まりない男の背中を、追いかけるはめになっている。

「おい、ここで止まれ。気配を辿ってみろ」
 冷たい指令に、肩を竦ませながらも素直に従う。真眼を開いて白の世界を注視する。……何もない。
「ここにはありません」
 言い切った自分を、訝しげな顔のバトが問い詰める。
「本当だろうな」
「はい……」
 この問答を何回しただろうか。
 飽きるほど繰り返されている二人のやり取り。その目的は、何の因果かまたもや術具の捜索だ。ただ、今度は違法術具ではない。真導士の里が造り出した、正規の術具を探している。
 昨夜、荷を乗せた馬車が賊に襲われ、運搬していた術具をすべて盗まれたという事件が起きたらしい。依頼主の詳細は明かされていない。自分達は盗まれた術具を探し出し、回収することを目標としていた。
 慧師の有無を言わさぬ命令を受けた直後。苛立ち続けるバト高士に飛ばされて、とある町の寂れた一角を歩かされている。目の前を行くバト高士の、早く終わりにしたいと言わんばかりの態度を見て、こっそりと息を吐く。聞きたいことはたくさんあったが、お前は知らんでもいいと一蹴されてしまい。結局、この町がどこなのかもわからない。
 ドルトラント王国のどこかではあると思う。けれど、町の様相から場所を特定するための知見を、自分は持ち合わせていない。
 こんな時に、彼が居てくれれば……。
 欺いてしまった、黒髪の相棒を思い浮かべる。
 都合がいい身勝手な甘えだ。心底嫌気が差す。本当に情けない。こんな風だから天罰が下されるのだ。

「……何をぼけっとしているのだ」

 凍える叱責を受けて、現実に立ち戻る。
「お前にそんな余裕はないはず。俺は報告に斟酌などせぬ。とっとと察知能力とやらを使わねば追放だ。忘れるなよ」
「はい、わかっています」
 追放と言われる度に、怖くて泣きそうになる。
 それだけは無理だ。
 すべての記憶を失って。『選定の儀』に向かう前夜のような、先行きが見えない場所に独り戻されてしまったら……。
 首を振って、思考の中から灰色の気分を追い出す。暗闇ばかり覗き込んでいては、そちらに進んで行ってしまう。進みたい希望の光こそ、心に強く描くべきだ。
 深呼吸をして、ローグの瞳を思い出す。思い出すのはいつもあの瞳。彼の強さと温かさを象徴する、真っ直ぐな黒の眼差し。
(ローグ――)
 何度も心で呼んできた。いまだに恥ずかしくて呼べずにいる、大切な人の名前。思うだけでよみがえる寂しさも、岐路に立たされている自分にとっては大切な感情だ。
 息を整えている間だけは何も言われない。
 やはりこの男も真導士なのだ。真力と気力を整えている最中に、集中を途切れさせるような行いはしてこない。
 呼吸を一つするたび、町の中の大気が入りこんでくるようだ。聖都ダールには、それこそ頭が一杯になってしまうほどの。とても目まぐるしい大気で満ちていた。この町はその対極にある。
 暗く、重々しく、とても静か――。

「静か……過ぎる?」

 大気から感じ取れた気配に、引っ掛かりを覚える。昼前から歩きまわっている町は、結構な広さがあるはずだ。
 道は整えられていて、建物も多い。ダールとは比較にもならないが、ベロマくらいは発展していそうな町。それなのに大気に混ざる気配が、あまりに静かだった。
「気づいたか」
 冷たい声が、抱いた違和感を肯定した。
「気配に敏いというのは、本当のようだな」
「バト高士、この町は?」
「お前はどう見る。辿った気配を言ってみろ」
 試すような問い。正確な言葉を探して、ゆっくり当てはめていく。
「……町は大きいはずです。建物もしっかりしていますし、道も広くてきれいです。それなのに、人が……少ない。大きな町にあるはずの活気がないのです」
 当てはめた言葉を伝えて、青銀の瞳を見る。
 冷たく輝く瞳には、言葉への否定が浮かんでいない。男から同意を得ていることを確認して、冷え切っていた指先に力を込める。
「気配はあるので、人がいないわけではないと思います。だけど町の規模に合っていません。この町に入ってから、まだ誰ともすれ違っていない……」
 失われた郷里を思い出す。あんなに小さな村でも、道に誰一人いないということはなかった。
 冬ならば人影が減っていても納得できる。でもいまは、一年の中でもっとも過ごしやすい季節。
 違和感が、重なっていく。
「誰とも会えないというより、わたし達を避けて迂回しているような……」
 そう、きっとこれが一番正しい表現だ。近くまで行けばふわりと飛んで、遠くに流れる。
 寄られることを厭う、そんな気配。
「……ほう。お前にも一応は使い道があるようだな」
 口調は厳しいまま。だがしかし、苛立ちがわずかに薄れてきた。
「術具の気配は辿れているか」
「いえ」
 目的の気配は辿れていなかった。ベロマで感じたような水の感触も、甘い匂いも一切しない。
 返答を受けて、男が歩き出した。慌てて遠ざかっていく背中を追いかける。今度は少し走っただけで追いついたので助かった。どうも、歩みをゆるめてくれたらしい。男の背中を見ながら歩いていく。
「里に持ち込まれた事案は、すべての高士に情報が回る」
 いきなり語りはじめた男。
 どうもこの人は、気配も行動も読みづらい。
「ベロマでの一件も、当然情報が回ってきている。違法術具の捜索中、隠されていた過去の術具を導士達が発見した。……"隠匿の陣"が敷かれていた先に、人知れず眠っていた大戦中の遺品を掘り起こした、とな」
 "隠匿の陣"。
 聞いた記憶はなかった。不気味な模様の気配を消していた、ひっそりとした真術のことだろうか。途中で質問などしたら、話すのを辞められてしまいそうな気がした。静かに黙って、話の先を待つ。
「"隠匿の陣"は、術具にも籠められていたのか」
「いいえ。……"転送の陣"だけに敷かれていました。果物の術具には、成長を促す真術しか籠められていませんでしたから」
 答えながら、去来した悲しみを胸の中で封じ込める。
 助けてあげられなかった子供達。泣き叫ぶ幼い声は、まだ耳に残っていた。
「その果物の術具は、どれほどの距離で気づいた」
 何を聞こうとしているのか、流れがまったく読めない。
 しかし、運命の糸を握る男に逆らうなど不可能だ。問われるまま質問に答え続ける。
「聖都ダールを出てすぐに。馬車で移動している最中には気配がありました」
 鈍色に広がる沼地のような気配。あの日、最初に感じたのはそれだった。

「止まれ」

 制止を受けて、従順な犬のようにぴたりと止まった。
 男も同じような感想を抱いたらしい。ちらりと自分を見て、動物のようだなと一言漏らした。
「そういう話ならば歩き回る必要もないか。無駄なことをしたものだ」
 雑談……とはとても言えないが、言葉を交わせないほどの拒絶感が薄れてきた。いまなら教えてもらえそうだと、そう思った。
「あの、バト高士」
「尊称はいらぬ。気位が高い連中と、同じように括られるのは嫌いでな。……バトと呼べ」
 予想もしなかった反応に、目を丸くする。
 男は、きょとんとした自分の顔をちらと見て。本当に動物のようだと、先ほどと同じ感想を呆れ声で漏らした。
「バトさん……。この町は何なのでしょうか?」
 納得がいかない。
 大きくてきれいなこの町は、やはり人気がなさ過ぎる。
「張りぼてだ」
「張りぼて? この、町が……ですか」
「そうだ。町の形はあれど中身を伴っておらぬ。かなり前から国も調査をしていたらしいが、なかなか尻尾を見せずにいた。真導士の里としても、独自の調査を重ねていた場所ではある」
 男は静かに語り。周囲の建物を冷たい視線で撫でていく。
「町長もいる。住民の登録もあるが極端に数が少ない。その状態であるのに税はきちんと納めている上、町の整備も行き届いている。だが儲かるような生業を持っているわけでもない。……そもそも怪し過ぎるのだ」
 国に納める税は、住民の数と生業の種類。土地の広さによって変化する。ここまで広い土地を、少ない住民で支えるのはとても無理な話だと思えた。
 違和感だらけのこの町。この男は、奇妙な町の正体を知っている。正体を知りながら言わなかったのだ。察知能力の真贋を見極めるために。
「真実を知りたいか」
 興味本位だけで肯けない。威圧を多分に含んだ声が落ちてくる。
 耳の奥で高い音がした。予感が、する……。
 重い意味を有している言葉。この任務だけではない。これからのすべてに連なる覚悟を問われているのだと、一瞬で理解した。

「――はい、お願いします」
 迷うことなく返事をした。自分を見つめる瞳に、幻の光が一度だけ宿ったのが見えた。

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