蒼天のかけら  第四章  罪業の糸


隠された影


「まずは確約してもらおう」

 冷たい声に、固く厳しい音が混ざる。
 バトの凍える青銀の瞳に、黒い影が広がった。闇を引き連れているような暗い輝き。真力を沈めた男の気配は、苛立ちを持っていた時とは、まったく違うものに変化していた。
 まるで、夜更けの静穏。これがこの男本来の気配なのだろう。
 ――静かで深い、真力の闇だ。
「真導士は、里に関わるすべての事柄を口外してはならない」
 それは知っている話だったので、こくりと肯いた。
「そして、任務によってはその事実を、里の中ですら完全に黙秘しなければならない」
 目を瞬く。
 正師から、その説明はされていない。
「本来なら導士に伝えるには早い。しかし俺と同行したからには、知らないですまされぬ事柄だ」
 俺と――高士と、ではないのか。
「高士の任務は多種多様。だが俺に割り振られる任務だけは、常に同じ傾向がある」
 そこまで言って、聞くかと問うてきた。
 いまならまだ間に合う、真実から逃げるならこの瞬間しかないと、暗に伝えてきている質問。
 問いを受け、ただ男を見つめた。
 この男も真導士ならば、自分の気配を読むはずだ。時として、言葉よりも確かに心を伝える真力の気配。自分の真力に――心の行方を託した。
 気配を読んだのだろう。男は重い口をとうとう開いた。
「俺の任務は、"鼠狩り"だ」
 鼠狩り。
 言葉そのままの意味でないことはわかった。その名称は、聞いているだけで不安な気持ちが湧き上がってくる。
「成人したての小娘とはいえ。富と権力が集まる場所が、平和な楽園でないことはわかるだろう」
 暗い輝きを持つ男の言葉が、あの日の彼の言葉と混ざっていく。

 ――噂通り、真導士の里はきな臭い。

「真導士は中立にして孤高。真導士の里以外のどこにも属さず、平和のためその力を使う。表向きはそうなっている。だが、実際は言うほど簡単ではない。四大国にある真導士の里は、どこも同じ問題を抱えている」
「……問題?」
「そうだ。里の配下から抜け出し、その力を自由に使おうとする"出奔者"。外から侵入し。真導士を独占している真導士の里を、内部から腐らせようとする"侵入者"。この二つはどの里でも、もっとも憂慮すべき問題として上層の頭を悩ませている」
 思わず目を見開いた。
 "出奔者"は、わからないでもない。
 稀有な力を、自分の欲のために使おうとする者はいるだろうし、決してそうなってはならないと座学でも教わった。しかし"侵入者"は、想像の中に入っていなかった。

 ぞわりと鳥肌が立つ。
 不吉な感じ。とても悪い何かがそこに在るという予感。

「こういう奴らを"鼠"と称している。俺の役目はその"鼠"共を見つけて駆逐すること。"鼠狩り"は里の暗部だ。ゆえに俺が抱える事案は、完全黙秘を前提としている」
 そう言って、喉に手を伸ばしてきた。急な接触に驚いて身体が硬直する。
 見上げた青銀の瞳は、静かに冴え冴えと輝いていた。
「確約しろ。今日ここで俺と見聞したすべてを、決して誰にも言わぬと。もし約せないと言うならば、この喉を潰して機密を守らせることになる」
 喉に触れている手は、その冷たい気配とは裏腹に、確かなあたたかさを宿している。
 ふいに、彼の手の熱を思い出してしまう。やはり他の人より体温が高いのだと、状況に合わないことを頭で考えた。

 思わず口角が上がった。
 彼を思い出すだけで幸せな気持ちがあふれてきて、どうしても頬が緩んでしまう。

 脅迫を受けて微笑んだ自分を、バトはどう見たのか。喉に添えていた手を離し、地震の首筋に当てて苦い声を出した。
「……お前、どのような神経をしているのだ。少しは娘らしく怯えたらどうだ」
「怯えさせたかったのですか?」
 確約をしろと言っていたはずなのに、何だか話がおかしくなっている。それとも自分が聞き逃しただけで、注意するべき隠れた要素があったのだろうか。勘には自信があったのに、この人は本当に読みづらい。
 小首を傾げながら悩んではみたものの、話の流れがどこで変化したのか、さっぱりわかりはしない。困って見上げたら、難しい顔をしたバトと目が合った。
「バトさん……」
 困惑を抱えながら呼べば、男は首に手を当てながら天を仰いだ。どこかで、この仕草を見たことがある。

「何ゆえこのような奴を拾ってしまったのだろうな、俺は……」

 天を眺め、考え始めた男を黙って見守る。
 何を考えているのか。その気配を辿ろうとしても、不明瞭なものしか感じられなかった。
 この沈黙は居心地が悪過ぎる。何故だか深く思考に陥ってしまったバトを、こちら側に呼び戻していいかがわからない。そもそも尊称を拒否したからといっても、この男は高士だ。里の常識で言えば、導士が気安く声を掛けていい相手ではない。
 思考から戻った瞬間に呼びかけてみよう。無難な結論を出して、真眼に集中していく。いくら気配に敏いとはいえ、相棒ではない相手の気配は、よくよく探らないと見えづらい。
 第三の視界を限界まで見開き、バトの気配を探る。冷たさに集中しようとした時。視界の端で、他の気になる気配をつかんでしまった。

 誰かいる。
 振り向いたら逃げてしまう予感がする。顔の位置を変えずに、真眼だけでその人物を追いかけてみる。こちらを見ている。確実に見られていると感じられる気配。違和感を生む町で、さらに強い違和感を感じさせる人物。
 真導士か。
 何だ、これは。真導士なのだろうか。
 白く輝く真力が見える。明らかに人が放っている真力だけど、真導士であると確信ができない。
 真力が、小さ過ぎる。
 もちろんバトの気配と比較してはいない。この人物とバトではあまりに落差がありすぎる。
 いまは自分と比較しているのだ。真導士として有する真力が、史上最も低いはずの自分。それなのに、こんなにも小さいと思える。抑えているようにはとても見えない。真眼の輝きは、はっきりと映っている。
(おかしい……)

「バトさん」
 堪らずバトに呼びかけた。相手が上位だのと言っている場合ではない。
 深い思考から目覚めたバトは、自分自身の行いを不快に思ったらしい。静まっていた表情が険しくなる。
「バトさん、誰かいます」
「何?」
 顔を固定したまま口だけを動かす。そちらを見たらきっと逃げる。せめてバトにそれを告げるまで、場に留まらせないと。
「真導士のように見えるのですが……真力が小さくて」
「どれほど小さい。正確に伝えろ」
 戻ってきた厳しい声音に逡巡する。どれくらいと言われても例えが出て来ない。
「すごく小さいんです。わたしよりもずっと……。真眼が開いているのが見えますから、きっと真力も抑えていません。何で……?」
 伝えづらくて、もどかしさに焦る。最後は自分への問いかけになってしまったが、バトはそれで飲み込んでくれたようだった。
「数は」
「一人です」
「方向はわかるか。顔を上げられぬならば指差せ」
 身体で隠しながら、胸元で小さく方向を示した。自分の身体で影になっていることを祈る。
 方向を確認したバトが、唐突に真力を解放した。凍えるような気配が広がり、驚いたように気配がふつりと消えた。真眼を閉じてしまったのか、これ以上は追いかけることができない。
「……消えました」
「こちらの気配を読むぐらいはできる、か」
 せっかく気配を辿っていたのに。威嚇して追い払った意味が理解できず、バトの顔を見つめる。
「話が途中になっていたな」
 読めない会話が舞い戻ってきた。
「確約をしろ。もう時間はそうない。悩むようなら任務の邪魔ゆえ転送して里に帰す」
 この時ばかりは、自分の身に降りかかっている天罰を忘れた。
 事態が動き出したのだ。
 追放されかけている自分は、それでもまだサガノトスの真導士。かけがえのない場所になりつつある里のため、働くことに躊躇いはなかった。
「確約します」
「よし――。行くぞ、付いてこい」
 表情を引き締めたバトの号令に従い、背中を追いかけていく。



 殺伐とした出会い方をしてしまった二人の奇妙な関係は、複雑に絡まりながらこの先へと流れる。
 そこに待ち受ける気配を、サキはまだ読み取ることすらできないでいた。

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