蒼天のかけら 第四章 罪業の糸
奪われる心
広がるは光の嵐。
身をかばう術を有していない自分にとって。目の前で展開されている真術の応酬は、まさしく脅威だった。
これが、上位真導士の戦い。
真力と真術の余波が、呼吸すら容易に許してはくれない。荷箱に張り付くようにして身を支えていても、断じて動くことはできない。ましてや助力をするなど叶うはずもない。
輝く白は、融け合いながら力を爆発的に増やし、さらに大きな力となる。わかるのは冷たい真力が、怖気のする獣をじりじりと追い詰めていっていることだけ。
そして――バトを案ずる身の内の声。
(違う……)
違う、違う、違う。
わたしじゃない。
こんなのは、わたしの気持ちではないのに。
白が輝き。バトから苦痛の声が漏れるたびに、胸を焦がしていく感情。
「……いや」
あの人が血を流している。
それだけでこんなにも苦しい。ああ、何故わたしは"役立たず"なのだろう。
「……やめて」
何もできない、あの人の役にも立てない。
力を持たないわたし。彼を支えることができない、小さなわたし。
「……お願い、もう」
女神さま、許されるならこの身を――。
「いやだ……」
塗り替えられる。
重なる心が、声が。
意識を奪っていく。
気持ちを、奪われて……しまう。
違うの。
こんな気持ちは違う、わたしは、わたしの大切な人は――。
「や、だぁ……」
取られる心が叫びを上げる。
苦しくて悲しくて床に倒れ伏す。呼吸ができない。心臓が焼けて、千切れてしまいそうなほど痛い。
バト、バト――。
(怖い)
バトが……また血が――。
(助けて……)
絶え絶えに息をしていて、まったく気配が読めなかった。
床に伏していた顔に影が掛る。ぽたりぽたりと血が滴っている音がする。跳ね返ってきた赤の一部が、頬に飛んできた。指が勝手に動いて、ぬるい血を指で拭った。
影の正体を見極めようと、顔を上げ――腹部を固い足に蹴り上げられる。
「くぅっ……」
蹴り上げられた勢いのまま荷箱にぶつかり、その拍子でその一つが床に崩れた。
散らばる宝玉と装飾具。
ポケットに入れていたはずの輝尚石も、蹴られた衝撃で自分のローブから逃げ出してしまう。丸い水晶はよろよろと転がり、宝玉で埋め尽くされた床の一部となった。
奇妙な力を放つ、美しい宝物の数々。術具から真術の気配があふれている。
「こんなところでお昼寝かい? 導士のお嬢ちゃんに、社交界はまだ早かったようだねぇ」
髪も顔も。派手な外見の至るところに血を滲ませた獣が、獰猛な金の瞳を向けてきた。そして何を思ったか。鷹揚に身をかがめて宝物の一つを手に取り、自分の腕にはめる。
第三の視界が、ゆるくぼやけたように見えた。
「導士に手傷は負わされないだろうが。面倒を減らすに越したことはないからねぇ」
銀の腕輪を嵌められていく間も。苦しさから逃れられず、ぜいぜいと息をする。
つかまれた手を解く余裕は、皆無だ。
「ラーフハック…、貴様」
収束していく光の合間から、バトの声が飛んできた。
血塗られた険しい表情と焦燥混じりの声音に、心臓が軋む。
「おっと、動かないでおくれよ"鼠狩り"。君とまともにやり合うのは、さすがに分が悪いからねぇ。今日は見逃してもらうとしよう」
「何をふざけたことを。そいつを離せ」
「見逃してもらえるならば。……そこから動かないでもらおうか」
冴え冴えと輝く青銀の瞳が、自分を見て――幻を見る。
険しい表情に、苦悩が混ざって浮かび。さらに自分の心臓を焼いていく。
「おやおや、冷血で通っている"鼠狩り"が、このお嬢ちゃんには甘いようだ。……動くなと言っているだろう?」
「動けばそいつの命を奪うか。……やってみろ、その瞬間が貴様の終わりの時だ」
凍えた声は、ラーフハックを貫こうとしているかのようだった。激情で震えるバトの言葉に、胸の内の声が反応する。
「そう、それは残念だ。あまり使い道のないお嬢ちゃんということか。……でもねぇ、私はこう見えて細かい性格でね。ちゃあんと確認しないと気がすまないのだよ」
ラーフハックの宝玉に埋もれた指が、バトに向けられた。
輝く白が容赦なく放たれ、バトの右足を穿つ。
バト――!
鮮血を流す足を手で抑えつけ、膝を折らないままラーフハックを睨みつける青銀の真導士。
その姿を見て、心臓が灼熱に焼かれていく。
彼を案じる春の気配に塗り潰される。そこに確かにあるはずの気持ちが、共鳴してしまう。違うのだ、そうではないのだと嘆いても、女の叫び声が頭の芯に到達して、意識を奪う。
「どうやら意味はあるようだねぇ」
にんまりと満足げに笑った獣は、バトに向かって掲げている指先で、再び白く輝く円を生んだ。
無言で睨みつけ続ける青銀の真導士。
――愛しい愛しい、わたしのあの人。
「なあに。君が動かなくなったら、お嬢ちゃんだけは無事に返してあげよう」
――駄目、これ以上あの人を傷つけないで。
「覚悟おし"鼠狩り"」
――させない、それだけは絶対にさせない。
獣の指先で、白が膨れ上がる。
「死ね」
苦痛を越えて、腕が勝手に動き出した。
放たれた白。時を同じくして青銀の真導士を包み込む、別の光が生まれた。
「な……!?」
バトの周囲に展開された"守護の陣"。
冴えた瞳が、茫然とその光の膜を見つめ。そしてこちらを見る。――やっと、わたしを見てくれた。
"守護の陣"に妨害された光は、バトの手前で弾けて散った。
放った真術が、光の膜にかき消されたことを知った獣。ラーフハックは獰猛な金の瞳をぎらつかせながら、ついに牙を剥く。
「……先に、殺して欲しかったようだねぇ」
腕輪を嵌めた時からつかんだままの手に、力が込められる。
バトに向けていた指先が額に当てられる。ぼやけた視界で、白が集まりはじめたのが見えた。
「よせ、ラーフハック!」
あの人の声。
よかった、バトは無事。これでもう大丈夫――。
安堵して目を閉じる。
これでいい。
自分はどうなっても良かったのだから。大切なあの人を守れさえすれば、この身など……。
上げていた腕を緩慢に下ろし、終わりの時を静かに待つ。下ろした腕が、こつりと丸い何かに触れる。
何だろうこれは?
高い真力を感じる。バトの真力とは違う熱い気配。
わたしが知らないはずのその気配に、涙が勝手に溢れてくる。
知らないのに。
(返して……)
わたしの大切なバトとは遠い、この気配。
(わたしの気持ちを……)
大切な――。
(わたしの思いを、……返して!)