蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


既視感と予感


 ムイ正師の転送により飛ばされた先は、古びた船の甲板であった。

 船に乗ったのは初めてだったので、思わず周囲を見渡してしまった。
 この船はすでに出港しているらしい。遠目に港町らしき影が小さく見えている。

 甲板の上には自分達の他に、白のローブを着た三人の男女が立っていた。
 その内の一人。
 くすんだ栗色の髪を持つ女が、色香のある声で話しかけてきた。
「いらっしゃったのね」
 ローブの丈を見て高士であるとわかり、導士全員が一礼をする。
 高士よりも上位であるムイ正師は、高士三人の顔を見比べながら何かに気づいた。
「お一人、足りないようですが」
「彼なら下で船員と話をしていますわ。込み入った話になるから、私達で応対しておくよう言われていますので」
 ムイ正師に返事をしながら導士の顔を見渡し、興味深そうに笑む。
「今日は彼らですの? 久々の豊作だと聞いたけれど本当に人数が多いのね」
「ええ。お手数をお掛けしますがお願いいたします」
 正師はやんわりと話してから高士との会話を打ち切り、導士達に向き直った。
「皆さん、これより実習に入ります。本日はこちらにいらっしゃる高士の方々に、直接ご指導いただくことになります」

 真剣な気配をただよわせながら、話に聞き入る導士達。
 他の人達は、高士と会うのは初めてに違いない。自分だけ少し事情が違う。それでもやはり緊張してしまう。
 背をぴんと伸ばしながら、三人の高士達を見つめる。全員フードを被ってはいた。ただ、日の光に照らされているおかげで、人相を把握することができた。
 妖艶な女の後ろに控えている男は、腕を組み、半笑いをしながら導士達を眺めている。横には、男の様子にはらはらとしながらも、居心地が悪そうに佇んでいる娘がいた。妖艶な高士とは違い、後方の二人は自分達と年が近そうに思える。

「今回の任務は、この商船の護衛です。各々の役割については高士からご指示いただきます。ちゃんとお話を聞いて、お勤めを果たしてくださいね。明日の朝、港に到着したらまた迎えに来ます」
 問答無用のムイ正師は、高士達に向かって「よろしくお願いします」と声を掛け。すぐさま里へ戻ってしまった。転送の直前。ムイ正師に礼をしていた妖艶な高士が、残された導士達に向かって語り出す。
「まず名乗っておきましょうか。私はフィオラよ、よろしくね雛鳥さん達。それから後ろにいる二人はセルゲイと、アナベル。高士になったばかりだから、あなた達のちょうど一年先輩ってことになるわね。あともう一人は来たら紹介するわ」
 こちらに歩み寄りながら、高士陣の紹介を終えたフィオラ。彼女は「それにしても」と小さく呟き、イクサとローグの肩に手を置いた。
 触れられたローグを見て、胸の奥がちくりと痛む。
「今年は将来が有望そうな子が多いわね。今回の実習は楽しくなりそうだわ」
 どうやら目立つ男二人は、妖艶な高士から評価を得たようだ。
 あだっぽく笑い掛けられている二人の奥。ディアとユーリの視線が鋭くなったのを確認した。やきもきした二人の様相とは逆に、金と黒の導士は表情をちらとも変えずに立っている。
 本当に豪胆な二人だ。
 ここぞという時に出される二人の仮面は、ちょっとやそっとでは外れないのだろう。
 三人の様子を見ながらも、後方で控えていたセルゲイと呼ばれた高士が、やや尖った声音でフィオラに話しかけてきた。

「フィオラ高士。この人数を指導するので?」
 妖艶な高士は、やっと二人から手を離してセルゲイ達を振り返る。
「そうよ、お二人さんにとっては高士の初仕事になるわ。先輩としてちゃんと導いてあげなさい」
 フィオラに言われ、セルゲイは優越感を隠そうともしない笑顔を浮かべた。
 男の様子に嫌な予感を覚えたので、口をきゅっと結んで俯く。
 目を合わせたくないと願ったのも虚しく。じろじろと遠慮なく導士達を眺めていたセルゲイに、見つかってしまった。
「おい、お前。実習だというのに真眼を完全に開いていないのか」
 白く輝く真眼が見えないわけはないだろうに。実に愉快そうな、わざとらしい声音で問い掛けてくる。
「……いえ、ちゃんと開いています」
 答えれば、大げさに驚き嘲笑を浮かべた。
 隣にいるローグの気配が、徐々に高く波打っていくのを感じる。
「真力が低過ぎはしないか? それでよく真導士となれたものだ……」
 久々の苦痛。
 この位のならよくあると言える範囲だった。それでもローグの。そして、友人達の前で言われるのが辛い。一人でいる時に嘲笑される方が、まだましだった。
 辛くて思わず気力が乱されそうになる。やめて欲しいと訴えたくとも、導士である自分では抗議ができない。ただ黙って、時が流れていくのを待つことにした。
「……いい加減にして、セルゲイ」
 延々と続きそうな暴言を止めたのは、先ほどまで居心地悪そうに佇んでいたアナベルだった。
「聞いているこっちの気分が悪くなる。どうして貴方はいつもそうなのかしら。相棒を組んでいるのが恥ずかしい。もうやめてよ」
「またかアナベル……。いい子ぶるのがそんなに楽しいのか? まったくいい趣味をしているな。だがお前の趣味に巻き込むなよ。真導士は実力がすべてだ。仲良く横並びにという考え方は、まかり通らない」
 この二人は相棒らしい。
 とても仲がいいとは言えない雰囲気の二人。相棒にも色々な形があるようだ。

 場の乱れを収束させるように、高く乾いた音が二回鳴り響いた。
 妖艶な高士が大きく手を打った音で、ようやく拷問の時間が終わったのだと悟る。
「ちょっとちょっと初任務で気が立っているのはわかるけれど、"つがい"が任務中に喧嘩なんてしないで頂戴。セルゲイ、貴方ずいぶんと入れ込んでいるみたいね。……でも、気力が高いのはいいことよ。頼りにしているのだから、いまは少し押さえておいて」
 妖艶な高士に言われて。高慢そうなこの男がすっかり舞い上がってしまったのは、誰の目にも明白であった。
「任務の説明をしたいところだけど、まだ時間がありそうね。いまの内に把握をしておきたいから、それぞれ"番"に分かれてくれるかしら。分かれたら名前と自分の系統を報告して頂戴」
「あの、フィオラ高士。一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
 手を上げたのはイクサだった。
 それを見てまた妖艶な笑みを浮かべた高士は、何を思ったかイクサと距離を縮めて傍に立つ。ディアとユーリの気配が、大きくゆれたのを感じる。しかし、イクサ自身は動揺の気配をおくびにも出さず、フィオラに質問をした。
「"番"とは何でしょうか。相棒と認識してかまいませんか」
「あら、ごめんなさい。貴方達は高士と任務に着くのが初めてだったわね。貴方の言う通りよ。相棒同士のことを"番"と呼ぶの。あとよく使う言葉は"翼"ね。相棒のことだけど、あえてこっちを使う人も多いのよ。真導士の里の紋章が"双頭の神鳥"だから、それに倣っているらしいわ」
 フィオラ高士の丁寧な回答を聞いて、イクサが紫の瞳を細めながら礼を伝えた。ディアの気配が、いっそう大きくゆれ動いた。ユーリの気配よりも活発で、激しいその動き。気配から彼女の内心がわかってしまった。

 ……ふむ、なるほど。そういうことだったのか。

 真導士とは、とても便利で不便な生き物だ。
 気配一つで心を通じ合わせたり。知られたくないことを知られてしまったりする。自分の気配は、自身で読めないというのもまた厄介。周りの真導士にどういう覚られ方をしているのか、想像もつかない。
 自分の気配が心配になって、とりあえず深呼吸をすることにした。
 ローグにかき回された気配を覚られるなんて、昨日の失態よりも恥ずかしいと思えてしまう。



「揃ったか」
 船内へ続く扉から、一人の真導士が姿を現した。
 男を見て。ほんの一瞬だけ、耳に入ってきていたすべての音が遮断された。
 限界まで開いた両の目が男の歩みを追う。一歩、また一歩と近づいてくるその足取りを。決して見逃さないようにと、瞬きの機能を欠如させた。背は特別高くもなく、そして特別低くもない。容貌も目を見張るところはなく、緑の髪と瞳だけが唯一の特徴とも言える。
 身にまとう白のローブと、先ほどのフィオラの言葉から、実習を担当する高士の一人だと推測できる。同期につられて自分も男に一礼をする。礼をしつつも男の姿を視界に入れていたくて、誰よりも早く顔を上げた。
 鋭敏な真眼の意志に従い、男の姿を捉え視線から外れないようにと絡ませる。そして男に絡めた視線と。自分の記憶とを同時に辿っていく。
 つかめそうでつかめない何かに、焦る気持ちが高まる。
 会ったことはない。顔を見たのも初めてだし、このようなめずらしい髪色をした人物に心当たりなどはない。
 それなのに"知っている"と思った。
 わたしは、この男を知っている。どこかで会ったはずだ。
 でも、どこで?

「お帰りなさい、ジーノ。航海の様子はどう?」
 フィオラが、男の名前を口にした。
 聞いたことがない名前だ。顔もじっくり見てみた。どこまで掘り下げても、記憶の中に埋没していなかった。
 ――初対面。
 そのはずなのに、既視感を否定できない。
「順調だよ。定期的に船長から報告を入れてくれるそうだ。席を外している時に来たら連絡をしてくれ」
「ええ、わかったわ」
 妖艶な高士の横に立ったジーノは、導士を見てわずかに驚いた表情をする。
「今年は本当に豊作だ。人数も多いが、高い真力を有している者も多い」
 言ってからローグに視線を移した。
 その情景を見て、足から力が抜けそうになった。貧血ではないのに立っていることが難しい。
「今年の選定で、史上最高値を叩き出したというのはお前だな」
「はい」
 ローグの情報を知っていたらしい男は、口元に笑む形を作った。
 湿気を帯びた風が、背中を撫でて過ぎ去っていく。暑さも寒さも受け取れないほどに集中している自分を。まるで嘲笑っているかのような湿気た風。既視感が高まっていく最中。鋭敏過ぎる第三の視界が、広がる海の果てに淀んだ雲を見つけた。

(またなの……)

 逃れられない不穏の兆しが、船の針路にある。
 この時ついに。大いなる女神パルシュナの試練が、決して絶えることはないのだと悟ったのだった。

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