蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


娘と男と理不尽と


 拠点に戻った時、すでに男達は帰還していた。
 あちらも何だか疲れ切った様子だった。セルゲイに絡まれでもしたのかと心配になる。

 拠点には、九人分の昼食が用意されていた。
 お前達はここで食事を取るように。高慢な監督官がとても偉そうに指示を出す。自分達高士は、特別室で食事を済ましてくる。揉め事など起こさぬようと、反り返りながら言い。長々と無意味な注意事項を述べた後、眉間にしわを寄せたアナベルと共に出て行った。
 新米高士達の足音を確認し。十分距離を取ったところで娘達が動く。ポケットから手布を取り出し、ぱんぱんと二回音を立てる。洗濯物を広げるようなこの仕草は、年頃の娘がする特有の所作。

 貴方なんてお断りという合図である。

 しつこく家に通ってくる男に対し、意志がないことを伝えるため。手布を自室の窓に干したのがはじまりと言われている。一度はやってみたいと、機会を狙っている娘も多いのだが。自分達はついに機会を与えられたようだ。
「あー、すっきりした!」
 ユーリの一声をきっかけに、目を丸くしながら事態を見守っていた男達が笑い出した。
「初めて見たなー。なかなか壮観な眺めだね」
 そう言われると少し誇らしい。ユーリとディアはやりそうだと思っていたけれど、まさかティピアまでやるとは思っていなかった。小さな彼女に芽生えはじめた自立心を、ジェダスが笑顔で歓迎している。
「さて、お嬢さん方。どうか機嫌を直して、我々の昼食会にご参加いただけませんか?」
 ヤクスは何て気が利くのだろう。
 丁寧なお誘いを受け、恥らいの心を取り戻す。そして自分達は、貴族の令嬢の如く、とても優雅に食卓に着いたのだった。

「そりゃあ、しんどいな……」
「でしょ、でしょ! ほんっとうに最悪だったの」
 食事を取りながら、倉庫で行われていた暴挙をこんこんと語り。重ねて激しい感情を訴え続けるユーリに、娘達が無言の肯定を送る。
 だるそうであっても、クルトは意外と聞き上手だ。彼は一通りの話を聞いてから、一言このような感想を述べた。
 聞いているだけで、げんなりとしたクルトの表情を見て。ユーリは何とか溜飲を下げたようだ。
「どうりで疲れた表情をしていると思ったよ。お疲れ様だったね」
 柔らかな笑顔の中に、気遣いを浮かべ。イクサが労いを口にした。
 素直に喜んだユーリを、ディアが睨みつけているけれど。彼女が気づく様子はない。
 招待を受けた昼食会。元気なユーリのおかげで、ベロマの時よりも数段明るい時間となっている。人見知りなど絶対にしないであろう彼女の元気を、少し分けて欲しいくらいだ。
 ユーリの声を聞きながら肩をすぼませ、手元の皿にあるスープをすくっては喉に流し込んでいく。濃い味のスープは自分の好みではある。でも、どうしてか全部飲む気にはなれない。そっとスプーンを卓に置いて、水に手を伸ばす。
「サキ、どうした。もう食べないのか?」
「ええ……」
 自分の皿は、半分も料理が残ってしまっている。
 いつもならもう少し食べられる。しかし、今日はお腹がいっぱいになってしまった。
「サキちゃん、船酔いの薬ならあるけど」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます……」
 二人は困ったように顔を見合わせる。心配をさせているのはわかっていても、とても食べられそうにはなかった。
 胃がじくじくと痛む。主菜である魚の焼き物は、匂いだけできつい。手の込んだ主菜は遠い位置に置かれたまま、すっかり冷え切っていた。
「サキちゃんは集中的にやられたからね。気力の方は大丈夫そう?」
 ユーリに言われて、あいまいに笑顔を返す。
「何があった」
 しかめっ面になった黒髪の相棒は、普段よりも低い声で聞いてくる。しかし、かぶりを振って返答を拒否した。
「思い出したくありません……」
 とにかく忘れてしまいたい。
 例え女神の試練だとしても、セルゲイの言葉に身になるような知恵は無かった。
 暴言によって引きずり出された醜い感情は、とても外に出せるような代物ではない。素直に伝えれば、向かいの席にいるローグが真力を荒らしていく。
「ローグ、お前まで荒んでどうする」
 真眼を開いた状態で。彼ほどの真力を持つ者が感情を高ぶらせれば、誰にでも察知ができてしまう。さすがにヤクスが忠告してくれたけども、いまの彼に効果はないようだ。
「これで荒まない方がどうかしている」
 友人達以外の人がいる場で、ローグがここまで激情を露わにしたのは初めてだ。自分がそうさせていると思うと、すごく心が苦しい。
「ローグ、大丈夫ですから……」
「大丈夫ではなさそうだから心配している。サキは我慢をし過ぎなんだ」
 彼のその発言を聞いて、自分の横に並んでいるユーリが溜息を吐いた。
「どうしたんだよ。……まさかお前まで具合悪くしてるんじゃねえだろうな?」
 突如、クルトが慌て出す。そんな彼に、ぷくと膨れた彼女が不満そうに答えた。
「何よそれ、どういう意味よ?」
「お前が溜息を吐くだけなんて、絶対におかしいだろ。何でーとか、ずるいーとか、言い出すのが普通なんだから……。ユーリがそんなんだと、こっちも調子が狂ってきちまう」
 ユーリとローグを見比べていたクルトが、変な顔をしてそう言った。
 今朝のユーリの調子から考えれば。自分ですらそうだと思える。彼女の幼馴染は、出会いを探して元気に跳ね回る娘に、いまの態度が不似合いだと言いたいのだろう。
「だって、見込みないのに追いかけてもしょうがないもん……。あーあ。わたしもサキちゃんみたいに、誰かに想われてみたいなあ」
 ユーリの言葉を最後に、全員が口を噤んだ。

 自分はグラスに口を付けようとした恰好のまま、呪われたように時を止めた。
 動けないというよりも、動きたくない。
「……ローグレスト、否定はしないのか?」
 長い沈黙のあと、だるそうな声に緊張を含ませながらクルトが聞いた。
 聞かれたローグは慌てもせず。騒ぎもせず。ごくごく当然であると言わんばかりの口調で答える。
「事実だからな」
 何とも素晴らしい胆力だ。
 ぶれることを知らないローグは、人前であっても自分の気持ちを貫いた。
 事情を知らなかったクルトとイクサが、そうだったのかと声を上げる。
「お前、恥ずかしくないのか」
「恥ずかしがれば、色よい返事がもらえると言うわけでもないだろう。それに……いまのところ手布は出てきていない」
 にやりと笑ったローグにつられて、拠点に笑い声が響く。
 この和やかな時間の後に波乱が起こるとは。この時、誰も予測してはいなかった。



 昼食を終えた新米高士達が、拠点に戻ってきた。
 セルゲイの姿を認めた途端。険悪な気配が導士達からただよい出す。しかし、どうにも気配に鈍いらしい高士は、自分がそこまで嫌われているとわかっていない様子であった。尊敬を集めているだろう自分に酔いしれながら、新たな指令を導士達に伝える。
 高慢な高士の指図により、やる気を失いつつある導士全員が、再び甲板へと上がることになった。
 甲板に上がってすぐ。待ちかねていた様子の妖艶な高士から、今夜の割り振りが言い渡される。商船の護衛任務は明朝まで。そのため一晩中交代で、船の見回りをしなければならない。
 事情はわかる……。
 一晩中の見回りにも否やはない。
 任務の割り振ることにも不満はないのだが、この組み分けは――。

「……質問をしても?」
 今朝と同じように、イクサがフィオラへ問い掛ける。相変わらず表情は変わらない。しかし、ただよう気配に変化が見えた。
 ローグほどでないにしろ、真力にゆれが生まれている。
「ええ、もちろんよ」
「これは、どういった理由での組み分けなのでしょうか」
 イクサの手元には一枚の紙。そして同じ紙を、導士達全員が手に持っている。
 書かれているのは見回りの順番と、組を構成している名前。
 組は高士一人と、導士二人で構成されている。
 この構成で問題は三つある。一つ目はフィオラが担当する組。これに当てられた導士はイクサとローグだ。
 そして他の二つには、共通して一人の高士の名が記されている。
 セルゲイとユーリ、ディア。……そしてセルゲイと、サキ、ティピア。
 自分の身体から血の気が引いたのがわかった。

 冗談ではない。
 まったくもって冗談ではない。

 組み分け表を見て憤っていない者は、場の中に一人もいなかった。
 あのヤクスですら気配を荒くゆらしている。ローグに至っては、膨大な怒りを真眼からあふれさせている。全員の気持ちを代弁するかのように、イクサが口火を切った。
「特性を重んじる鍛錬とは、とても思えませんが。これにはどのような狙いがあるのでしょうか」
 問い掛ける声音は柔らかい。
 けれども、そこにある固い感情を、イクサも誤魔化そうとしていなかった。
「お前、フィオラ高士に口答えするのか!」
 セルゲイの尖った声音を聞いても、イクサは引き下がらない。
「口答えではありませんよ。理由を知っていた方が実習の効果が出ると思い、窺ったまでです。組み分けにどのような真意があるのか把握しなければ、未熟な我々は機会を生かしきれませんので」
 反論だとは断じれない内容に、高慢な高士は悔しそうな表情を浮かべた。
 柔らかい光と、鋼の意志をたたえている紫の瞳は。セルゲイが何も言ってこないことを確認してから、フィオラへと向き直った。
 妖艶な高士は艶のある唇に、微笑みの形を作りながら答える。
「今年の雛は元気がいいわね。学ぼうとする姿勢はとても評価できるわ」
 フィオラの回答はこうだった。
 優秀な二人には、より高度な実践を積ませるため、数々の任務をこなしてきた熟練のフィオラが指導を担当する。
 さらに新米高士二人の指導力を育てなければならないので、それぞれをあえて違う系統の者と組ませる。
「セルゲイとアナベルには、二回見回りを担当してもらうことになるけど。高士になったのだし、甘やかしはよくないと思ったの。二人ともがんばってね」
 フィオラの励ましに、セルゲイが大きな声で快諾する。
 期待されている自分がとても誇らしく思えているのだと、表情を見ただけで理解した。

「把握できたかしら? それでは見回りの時間になるまで待機。必要があればセルゲイとアナベルに指導してもらいなさい。私はジーノと打ち合わせることがあるから、後はよろしくね」

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