蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


廻り出した歯車


 甲板の上で大きく背伸びをする。

 座ったまま眠ってたので、骨が固く凝ってしまっていた。
 真夜中の海は、遠くまで広がる大地のようにも見える。冷たく流れる潮風を浴びながら、果てを見つめた。
 初めての海。
 想像していた通り。どこまでも深く広がっている情景は、ぬくもりはないものの彼の気配とそっくりであった。
「海が怖いか」
 低い声がやさしく問う。
「いいえ。真眼を開いているので暗さも感じませんし。……本当に大きいのですね。こんなに遠くまで見渡したことなどありませんでした」
 細められた黒に笑みを返す。
 潮風に弄ばれて散っている黒髪を見て、名付けたばかりの感情が胸の内で膨らんだ。
 もう少しだけ待ってて欲しい。家に帰ったらちゃんと外に出してあげるから。
「晴れている時はいい。でも嵐の時は大変だ。目も開けられないからな」
 港育ちのローグは、久々の潮風を満喫しているようだった。
「ローグ、これを」
 海を見つめていた彼に輝尚石を手渡した。
 癒しと守護の輝尚石。ローグのために籠めた自分の真術。
「帰ったらいいものがあります」
 内緒にしていた秘密を、笑いながら打ち明ける。
「いいもの?」
「リズベリーを冷やしてきました」
 ローグが破顔した。大好物の果実が家にあるとは知らなかったのだろう。
 食いしん坊の相棒に見つからないよう、自分だけの秘密の棚に隠しておいたのだ。
「帰ったら食べましょうね」
 それは、約束。
「そうだな。一緒に食べよう」
 二人の先に続いていく、穏やかな時間への確約。
「ええ、一緒に……」
 だから絶対に、一緒に家に帰ろう。



 海の上に、黒く小さな山が見える。
 ここだ――。
 暗雲の島が、ついに眼前に姿を現した。
 甲板には十四人の真導士。
 アナベルは甲板の中心に跪いた。祈りを捧げるような姿勢で真力を放つ。
 一瞬の後、船全体に白の膜が施される。
 開戦の時が近づき、鼓動が早く高くなっていく。三人の高士達は、導士達には目もくれないで島を見ている。
 セルゲイの瞳を確認したいと思ったけれど、背を向けている状態では不可能そうだ。

「指示したことは覚えているな」
 青銀の真導士の声に、強く肯きだけを送る。
 相談の結果、一組目は船首の方へ。二組目は船尾の方へ分かれて布陣することになった。島に対して船を平行に配置するので、危険度は変わりがない。
 自分はただ一人で見張り台に上がり、バトとの通信を行うことになっている。守護の膜にぎりぎり入っているその場所から、すべてを視て戦況を報告するという任務。
 こなせるだろうか。……いや、こなしてみせる。
 大丈夫だ、今度もきっと大丈夫。

 暗雲の気配にに覆われている黒い島には、小さな白の光がいくつもいくつも輝いている。
 害意を帯びた白の光。
 自分達を害そうとする光の奥に、大きなものが詰められているかのような強い光がある。こめかみが、ぎりと痛みを発した。患部を抑えながら、青銀の真導士に告げる。
「バトさん。島の中心によくないものがあります」
 凍えた瞳が静かにこちらを見た。
「視ているだけで、痛むのです。何かが詰め込まれているような感じがします。……できればもう視たくないくらい嫌な気配です」
 バトが、自分の発した警告を確かめるように島を見据えた。
「変化があればすぐに報告を」
「はい」
 その会話を最後に、バトが消えた。青銀の真導士の転送の気配を追いかけるように、甲板の上で"転送の陣"が三つ展開される。
 導士達が散開する。
 走って担当の場所へと向かう途中、一度だけ黒の瞳と交わった。お互いに何も言わず駆けていく。
 言葉はいらなかった。重なった気持ちを信じて、先に進むと決めていた。
 見張り台に上がってすぐ、島から光が飛び立ち船に向かってきたのが見えた。直後、鮮烈な光が暗雲の中に白く咲き誇る。

 ――開戦。

 離れていてもあの人だとわかる凍えた真力を受けて、"黙契の陣"を展開する。
「バトさん」
 うるみながら輝く小さな水晶から、冷徹な声が聞こえてきた。
「……全部は仕留めていない。構えろ」
 言葉の通り。収束した白の合間から、複数の光が船に向かって飛んできた。
「来ます!」
 自分の声に呼応して。船首と船尾で大きく真円が描かれた。
 真力だけで言えばローグの方が圧倒的。けれど、大きさだけならば二人ともほぼ同じ。
 熱く激しい海の気配と、鮮やかに育まれている草原の気配。
 ローグとイクサの真術が同時に展開された。
「放て!」
 夜の海に、燃えて広がる苛烈な炎。二本の巨大な火柱が、飛びながら向かって来ていた小さな白の光を飲み込んでいく。
 火の粉のように散って落ちる、白の光。
 光景の意味は。誰が見ても明らかだった。だが、甲板の上にある気配はほとんどぶれていない。

 後だ。
 悔むのも悲しむのも、すべてを通り抜けてから。

 きんと高い耳鳴りがした。
 とても顕著な危機の兆候。海に島にと視線を飛ばす。どちらの兆候か見極めようと集中し。
 息を吸い込み、警告を叫ぶ。
「――バトさん!」
 叫んだ瞬間に、島の方で巨大な竜巻が発生した。海の中に敷かれていたのと同じ真術の風。
 渦巻く風に取り込まれ、暗い空に舞い上げられる六つの光の粒を見た。何ということを。片生達は互いの身すらも食い潰し合っている。
「サキ、上出来だ」
 荒い呼吸音が聞こえる。冷や汗が背中を流れ、足元から震えが走ってきた。
「バトさん、無事ですか?」
「無論。どうやら割れはじめたな。……警戒を強めろ。頭目を狩ったせいで統率が失われた。船を強奪しに向かっている」
「はい!」

 甲板に向かって声を張り上げる。
 了承の合図は決めていなかったのだけど、船首と船尾からうるんで輝く白が、ぐるぐると回っているのが見えた。
 誰かが機転を利かせてくれていたらしい。ローグだろうか? イクサだろうか? ヤクスのような気もする。頼もしい同期の面々を思い浮かべてから、呼吸を整えた。
(大丈夫だ……)
 戦える。
 雛であろうとも自分達はサガノトスの真導士。
 奇跡の証を身にまとい。神鳥の紋章を掲げている限り、この誇りを心に有しているべきだ。


 きらりきらりと輝く、害意の光を睨み据え。"第三の視界"を限界まで開く。
 島からの高く甲高い悲鳴に、何かが廻り出したような擦れた音が付け足されて、耳に届いてきた。

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