蒼天のかけら  第五章  邂逅の歯車


立ち向かう


「……サキ、……サキ。返事をしろ!」

 耳元から聞こえる声で、一気に覚醒をした。
 目覚めたばかりの自分の目に。まず真っ先に飛び込んできたのは、静かに煌めき続けている星の姿だった。
「……う」
 見張り台に倒れ込んでいた身体を、ゆっくりと起こした。
 強くぶつけたらしい。左腕が持ち上がらないほど痛む。どうにか動いている右腕を伸ばして、輝尚石を手の平に収めた。
「……バト、さん」
 輝尚石越しに、息を吸い込む音が通り抜けてきた。
「生きていたか」
 冷徹な声に、薄い安堵が混ざっている。
「……はい」
 それだけ伝えて、痛みに呻いた。
 呼吸を整えようとしても。吸い込むたびに激痛が走ってしまい、上手くいきそうにない。
「状況を報告しろ」
 短く簡潔な指令に応答しようと、つかえながらも報告をする。
 隠れ潜んでいたらしい片生の数は十五。島から船の真上に渡り、こちらを一気に潰そうとしてきたのだろう。
「他の奴らはどうした……」
 立ち上がろうとし、間違えて左手を動かしてしまった。耐えがたい激痛が全身に流れて、残された力を削っていくようだった。
「……動けないのか。じきに戻る、そこで待っていろ」
「だい、じょうぶです……いま、確認を」
「サキ、無理をするな」
 バトの制止を受けても、身体は勝手に動いていた。右肩を見張り台の壁に擦りつけて、少しずつ足に力を加えて上を目指す。
 右手にある輝尚石は、絶対に手放せない。
 これは自分の仕事。託された真導士としての任務を放棄はできない。
 輝尚石を握り締めている右手が、見張り台の縁に掛った。飛び出ていた木の破片が、皮膚に食い込んで痛んだけれど、そのまま身体を引き上げた。
 見張り台の上から上半身を出して、甲板を窺う。ざっと吹いてきた潮風に添え髪が弄ばれて、視界を遮った。邪魔な薄い金の隙間に、白く咲く花の姿がぽつり、ぽつりと浮かんでくる。
 焦る気持ちを抑えながら両足に力を込めて支え、右手の輝尚石を大きく回した。
 暗く深く広がる海の間に浮かぶ船影。
 船首から光の渦が返ってきたのが見え、そして――船尾からも同じように光の渦が生まれたのを見た。
 目の奥が熱くて、喉が引き攣れそうだった。
 もう一度だけ大きく回してから、輝尚石を口元に戻す。
「バトさん。皆……無事です」
「そうか……、報告ご苦労。こちらの狩りも終わった。調査をしてから帰還するが、それまでお前はもう動くな」
「……はい」
 背中を壁につけながら、ずるずると座り込む。
 胸に湧き上がる歓喜が目からこぼれている。こぼれ落ちた跡を潮風が撫でていく。
 熱さと寒さが入り混じった奇妙な感覚が、どこか面白くて一人で小さく笑ってしまった。






 四人で見張り台から見える、白く輝く合図を眺めていた。
「無事だったようだ」
「ええ……、本当によかった」
 船首の方からも同じ光が返ってきている。
「導士だけでも、意外と何とかなるものだな」
 言いながらも、視線は見張り台から離せない。どこか不格好に回っていた光に、一抹の不安を覚えてしまう。様子を見に行きたい。だが、いまは任務中だから持ち場を離れられない。またサキを怒らせてしまったら大変だ。
 いまは彼女と自分の勘を信じて、任務を続行しよう。
 改めて覚悟を決めていれば、ひくり、ひくりというか細い声が下方から聞こえてきた。視線をやれば、山吹色の髪を揺らした小さな友が、泣きじゃくっている姿が見える。
「……ティピア、やるではないか」
 それだけ言うと、泣きじゃくりながらも頭が上下に揺れた。

 上空に現れた敵影に向かって炎豪を放った。ところが敵の間隔が広過ぎて、すべてに行き渡ってくれなかった。ヤクスが三人、ジェダスが二人を削って、それでも最後に一人残ってしまった。
 避けることができないほど間近で打ち込まれた炎から、三人を守り抜いたのはティピア。
 泣きながら。そして震えながら全力で展開していた"守護の陣"。彼女が敵の先制攻撃を防いだところで再び真術を展開し、ようやく難を逃れることができた。
 "守護の陣"が展開された時は、まさかサキではと思ってしまったけれど。蜜色の相棒は、自分の身を守ることに専念してくれたようだ。サキは俺を、……俺達を信じ抜いてくれたのだろう。
 一緒に帰ると約束をした。
 それは互いのどちらも決して失わないという約束。
 どちらを欠いても空を行けなくなってしまうのであれば、両方を守る必要がある。自分を守ることは、相手を守ることに繋がっていく。
 彼女の出した結論は、何とも頼もしいものであった。
(成長し過ぎではないか……?)
 自分の影で守っていたはずの彼女は、いつの間にか影から出て、自分を守り導く位置にいた。
 奔放で伸び盛りな彼女は、やはり自分の思い通りにはなってくれないようだ。寂しいような。うれしいような。何とも表現が難しい気分に陥る。

 深呼吸を一つして、真力と気力を整えた。
 胸に湧き上がる充足感に身を委ねたいとも思えども、どうにもまだ終わりそうにない。
 真導士の勘は実に厄介だ。
「何かありそうだ……」
 ひとり言めいた呟きに、ヤクスが応じる。
「やっぱりそう思う? 真導士って本当に嫌だね」
 軽い口調であっても、緊張感は失っていない様子だ。
 ちらりと見張り台に目をやる。見えていたはずの白のローブが、まったく見えなくなっていた。
「怪我でもしたかな……」
 同じように見張り台を見ていたヤクスが言う。
「いまは行けない。……三人とも油断するなよ。サキほどではないにしろ俺達にだって勘はある」
 怪我をしているか。気を失ってしまったか。それとも島の方に集中しているのか。状況を確かめる術はない。だが、それらはすべて同じ結果に繋がっている。

 夜の海を静かに見つめる。
 流した革袋の姿はまだ見え隠れしていた。正体はいまだ不明のまま。
 あれは何だと問おうとして、船が大きくゆれ動いた。
「来たぞ……!」
 暗い波間に白の光が輝いた。小さな光は海中にある何かに働きかけて、ゆっくりと沈んでいった。"片生の魔導士"が沈んでいった場所から、風の魔物が猛り狂いながら闇夜に舞い上がった。
「まだ残っていたのですか!?」
 ジェダスが焦りながら輝尚石を掲げる。
 "炎豪の陣"が籠められた輝尚石を放ち、風の真術に叩きつけた。
「やっぱり、初歩真術じゃ効いてくれないかな……」
 上位の真導士が、二人掛りで対抗していた真術だ。導士の真術では力を削るのも難しい。
 見張り台に視線を飛ばし、彼女の姿が見えないことを確認する。高士を一人でも呼び戻したい。しかし、信号が送れない。
 そうかといって、諦めるつもりもさらさらない。
 約束をした。
 一緒に帰る、と。
 両腕を前に構えて呼吸を整える。無駄だろうが何だろうが、持てる力のすべてで足掻く。
 活路はこの手で開いてやる。

「おおい!」
 またクルトの声が聞こえてきた。
「お前ら……」
 振り返ってみれば、船首にいた全員がこちらに向かって来ている。
「何をやっているんだ」
 駆け寄ってくる四人の導士。
「いいから来いよ。急げ! 仕掛けを使うんだ」
「仕掛け?」
 クルトの視線の先には、波間に浮かぶ革袋。あれが仕掛けだと言いたいようだ。
「クルト、あれはいったい何だ」
 促されて走りながらも疑問は募る。
 こいつら一体何をしようとしているのだ。
「船の中じゃ、試せなかったんだけど。理屈ではこれでいけるはずなんだよ」
 赤毛の同期は理解できないことを口走り、とにかく急げと八人の導士を等間隔に並ばせた。
 風の魔物は、そうしている間にも距離を縮めてきている。
「クルト、何をする気だ」
「あの中には輝尚石が入ってる。ローグレストとイクサが籠めた練習用。それから、実習のために持ってきた予備。燠火の真術を籠めた輝尚石を入れて、浮かせてある」
「何だって?」
 波間に浮かぶ革袋の中身は、すべて輝尚石だったらしい。さらにはあの男が籠めた、三重の輝尚石も浮かせてあるという。
「船の中では実験ができなかったけど、海の上なら試せる。とにかく全力で、どの袋でもいいから輝尚石を放て。同じような力が籠められているんだ。全力で解放すれば調整なんていらねえし、上手くいけば多重真円が作れるはずだ」
 自信ありげなクルトに、思わず感心してしまう。
「お前、なかなかやるな……」
「ローグレストさん、駄目だよ! クルトは昔からいたずらの天才なの。変な罠作って人に試してくるから、あんまり褒めないで」
 舌を出した赤毛の導士の横で、ユーリが困った顔をしている。
 こいつの実験台にされてきた様子だ。
「やってみようか。ディア、いけるね」
「うん」
 遠くで構えている番を見てから、共に駆けてきた友人達を振り返る。
「ティピア、まだできますか?」
「できる……。がんばる……」
 いつの間にか泣き止んできたティピアを見て、ジェダスが肯いた。
「よーし! 駄目でもともと。やってみるか」
 三人が構えたのを見て、自分も両腕を掲げた。
 だるそうな顔を、すっかり悪餓鬼の表情に塗り替えたクルトが合図を出す。
「せーの!」

「放て!!」

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system