蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


娘と昼下がり


 男三人は、中央棟に出かけることになった。乱闘の件を、キクリ正師に報告に行くためだ。
 正師から依頼されていた手前もあるが。巻き込まれただけのクルトが処罰されないよう、嘆願しに向かったのである。

「二人は家にいてくれ。何があっても誰が来ても、絶対に扉を開けるな。乱闘が終わったと言っても、興奮している奴はいるだろうからな」
「はい。……あ、でも昼食用の食材が足りないのですが」
「俺が帰りに取ってくる。ユーリ、サキのこと頼んだぞ」
「うん、まかしておいて。三人とも気をつけてね」

 三人を見送ってから、自分達はお茶を楽しむことにした。
 泣いてばかりであったユーリは、部屋から顔を出したジュジュに夢中だ。かわいい、かわいいと背中を撫で、ジュジュとじゃれ合っている。ジュジュはどうやら、涙の跡が見えるユーリを気遣っている様子で、抱き上げられても鳴き声一つ上げずに構われている。
 主人の心を汲み取ってくれるとは、何ていい子なのだろうか。
 ご褒美として、今日の餌には干し肉を混ぜてあげよう。
「ローグレストさんって、本当にサキちゃんのこと大好きなんだね」
 親馬鹿な満足を得ていたら、不意打ちで急所を打たれ。ついお茶で咽てしまった。
「き、急に何を言うのですか」
「だってさー、対応が全然違うもんね。さっきだって頼んだぞって念押ししてたし。……はあ、羨ましいなあ。かっこいいし、真力も高いし、強くて逞しくてやさしいだなんて、文句のつけようがないよね」
 いやいや、ユーリは恐怖のカルデス商人という要素を見逃してしまっている。さらに言えば、いたずら小僧で、時折いじけ虫に変化することを知らないのだ。
 照れを隠すため、ローグが隠しているあれこれを思い浮かべる。それでも喉の奥深くに吸い込んだお茶が、なかなか取れてくれない。ごほごほと咳き込んでしまって、涙が滲んできた。
 三人がいなくて助かった。最近の自分は、年頃の娘としてやってはいけないことばかりをしている。
 気を引き締めなくてはいけないと、一人猛省をした。
「ねえ、まだお返事しないの」
 今度は喉から変な音が出た。
 どうして彼女はここまで率直に聞いてくるのか。同じ十五の娘として、恥らいを持ってもらわなければ困る。
 しかし、友人である彼女とティピアには、報告くらいしておかねばと思っていた。話題を切り出してくれたことだけ感謝をして。現況を伝える。
「返事は、昨日出しました」
「ええ、そうなのっ。何て、何て言ったの?」
 桃色の瞳をきらきらとさせて、顔を覗き込んでくる。……恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
「その、お受けしますと……」
 好きですと、伝えた。そんなこと絶対に言えない。
 それは断じて口には出せない。口にしたら発熱して寝込んでしまいそうだ。
 目を逸らしたまま、床の木目を眺めていたら、ユーリから黄色い歓声が上がった。「やったあ」と叫んで立ち上がり、ジュジュを高く掲げてくるくると回り出す。
 突然、喜びの舞いの相方にさせられた白い獣は、ふわふわの尻尾をぴんと張りながら、一緒にくるくる回っている。
 助けてくれと、つぶらな瞳が訴えている。いまは我慢してもらおう。
「やったね! おめでとう、サキちゃん」
 我が事であるかのように喜ぶユーリに気押されて、恥らいの気持ちが薄れてきた。
 彼女の元気には到底敵わない。
 それから、船内でいた時のような花比べが再開された。
 彼女の追及はなかなか手厳しく、二人の出会いから、昨日までの一連の出来事を白状させられてしまった。
 人には聞かせられないような部分は、割愛しつつも。ユーリにすっかり乗せられた自分は、誰にも伝えなかった心を、いつしか進んで話すようになっていた。

「気持ちはわかるなあ。相手が凄過ぎると、ちょっと自分じゃ無理かもなって思っちゃうよね」
「卑下するなって言われても難しくて……」
「でも、ローグレストさんの気持ちもわかるよ。サキちゃんって遠慮し過ぎだなって思うから」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。丁寧っていうか、間隔が空いてるっていうか。……"ユーリさん"だと、距離を置かれている気になるよね」
 ぱちり、ぱちりと瞬いた。
 ユーリは彼と同じことを言う。やはりこれも悪癖に入るのだろうか。
「悪くはないけど……。友達同士なんだから気楽にしようよって思うな。ねえ、"ユーリ"って呼んでみてよ」
 声に出さず、口の中だけで言葉を回してみる。
 ……何とかいけそうだ。
「ユーリ」
 桃色の瞳が、弧を描きながら細められた。
「普通に言えるじゃない。じゃあ決定ね。ユーリって呼んでくれないと返事しないから」
 友人の無茶なわがままが、何ともかわいく思え。くすくすと笑いが出てきた。
「後はティピアちゃんもね。サキちゃんも協力してよ、絶対に"ユーリ"って呼ばせるんだから」
「わかりました。……ユーリ、実はおいしい焼き菓子があるのですが、食べますか?」
 食べる! という元気な返事を受けて、炊事場に急ぐ。
 皿が入れてある棚の奥から、内緒にしていた焼き菓子を取り出した。
 ローグと食べようと思っていたけれど。リズベリーを食べてしまったいじけ虫への報復として、娘だけで食べてしまうことにする。中央棟から帰ってきた頃には、食べ終わった甘い匂いだけを味わうことになるだろう。
 焼き菓子の紙箱を持って、いそいそと食卓に戻る。
 戻りながらも、自分がいつになく浮き足立っているのを感じていた。同じ年の娘と、ここまで深い話をするのは初体験だ。ユーリと話をしているのがとても楽しい。娘の話は長話というのも納得できる。
 話しても話しても。語り合いたい気持ちが尽きはしないのだ。今度はティピアも呼んでお茶会をしようか。三人で焼き菓子を作るのもいいかもしれない。誰にも言えなかったけれど、娘同士の遊びを一回やってみたかった。
 村にいる時は、まったく羨ましくないと思っていた。しかしそれは、羨ましくないのではなく。羨ましいと言えなかっただけだと、やっと認められるようになった。
 ほこほことあたたかい心を抱えながら、二人で甘い焼き菓子を摘む。

 話題はいつしか、流行っているという"おまじない"に移っていった。
「わたしが作るのですか?」
「そうそう。願いが成就した人に作ってもらうといいんだって。恋人が欲しいなら、恋人ができた友達に編んでもらうと効くらしいよ。"三の鐘の部"の女の子は、みんな組み紐をしてるもん」
 娘の流行りに疎いため。ユーリが教えてくれた"おまじない"の仕組みが、いまいち理解できない。
「別に恋人のためだけじゃないの。苦手な真術を覚えたい時も。もう覚えた人から組み紐をもらうと、早く真術を習得できるようになるんだって」
「お守りのようなものでしょうか」
「近いかも。ちょっとした遊びだと思うよ。気になる人に、話しかける機会にしている人もいるけど」
「では、男の人も組み紐を編んでいるのですか?」
「編んでくれる人も多いらしいよ。女の頼みごとは断れないって、言い訳しているの聞いたもん」
 成人した男が、娘の遊びに付き合って紐編みをしている姿というのは、どこか想像したくないと思えた。
 黒髪の相棒であったら絶対にやってくれないだろう。
「ねえ、組み紐を編んでくれないかな? 今度お礼に、とっておきのお菓子屋さんでケーキ買ってくるから」
「おいしいのですか」
「すっごくおいしい。ほっぺた落っこちちゃう」
 それは楽しみだ。聖都ダールのお菓子は、どれもこれもおいしくて目移りしてしまう。村にいる時は、お菓子を食べるという習慣がなかったので、なおのことおいしく感じる。
 誘惑につられて快諾したところで、男達の声が道から聞こえてきた。

「ただいま」
 紙袋を抱えたローグを筆頭に、男達が居間になだれ込んでくる。
 人数が増えたことに驚いたらしいジュジュは、自分とローグの足元をうろうろとした挙句、自室に走って行ってしまった。ティピアの人見知りと一緒に、ジュジュの人見知りの改善もするべきだろうか。
「クルト、どうだった?」
「大丈夫。キクリ正師もわかってくれたし、オレ達以外にも報告しにいった奴がいたみたいだ」
 心配そうな声を出したユーリを、また一つ叩きながらクルトが言った。
 幼馴染だからなのか。二人は接触に、深い意味を抱いていない様子だ。成人したというのに、子供の頃の関係の延長にあるらしい。
 どうにも理解できない感覚だけれど、見ていると心が再びほこほこしてくる。ジュジュがお腹に乗っている時のような、柔いあたたかさを味わっていたら。ローグからずっしりとした紙袋を渡された。
「これでよかったか」
 紙袋を開いて中身を検分したところ、確かに注文した品々が入っていた。
 礼を述べようと彼を見上げれば、複雑な顔をしたまま食卓を見つめているローグがいた。
 視線の先には、すっかり平らげられた焼き菓子の箱が一つ。
 何かを言いたそうにしている黒の瞳に、悪い微笑みを返した。大人の男として在ろうとしている彼は、友人達の前で苦情を申し立てられないのだ。焼き菓子くらいで何と情けないと、そう思われることを恐れている。
 リズベリーの仇を取ったことを確認して、上機嫌のまま炊事場に入る。紙袋の中には、注文したよりも多く芋が入れられていた。好物が食べたいらしい彼のために、芋を揚げる支度からはじめることにした。

 一気に騒がしくなった居間に耳を傾けつつも、昼食を作っていく。
 ユーリが手伝いに参加してくれたので、五人分の昼食があっという間にできあがった。空腹を訴える三人の男達に急かされ、食卓に料理を運び。突然の昼食会が開催された。

 特別休暇の初日は、朝の内こそ大荒れであったが。その後は嘘のように穏やかな一日となったのである。

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