蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


敵対


 休暇の二日目である今日は、七人で集まることになった。

 待ち合わせ場所である喫茶室には、誰よりも先にヤクスが到着していて。七人分の席を確保していた。相棒がまだ帰還していない長身の友人は、暇を持て余してしまっているらしい。
 喫茶室に足を踏み入れた途端、大喜びで手を振って招いてくれた。
「や、お二人さん。今日もあついね」
 天気の話なのか、からかいなのか判断しづらい。
 悶々と考えている横で、ローグがにやりと笑ったのを見て「これはからかいである」と判断した。
 二人の関係が明確になったことは、今日集まる七人全員が知るところとなっていた。めずらしく連絡係をかって出たローグが、各家を回るついでに報告したらしいのだ。
 彼は自分の気持ちを隠したりはしない。その真っ直ぐさがうれしいような、迷惑なような……微妙な気分のままお茶を注文した。
「夏も近いからな。他の奴らは?」
 ローグが余裕の表情で問えば。半目になったヤクスが、もう少しで来ると返事をする。

 喫茶室に入るのは久しぶりだ。
 里に来たばかりの頃は、何度か訪れていた。しかしローグが席を外した際、周囲から嘲笑を浴びせられたことがあった。すぐに戻ってきたローグに現場を見られ、有無を言わさず連れ帰られて以降。一度も足を踏み入れていなかった。
 季節が変わったせいだろうか。
 内装が様変わりしているようだ。ガラスでできた卓は前と同じである。けれども、入口や注文台に飾ってある花や敷かれている絨毯が、夏向けの爽やかな色合いのものになっていた。

「思ったより短期決戦だったね」
「ヤクスの勘はあてにならない」
「言ってくれるなー。……サキちゃん、ローグのことで困ったことがあったら、相談においで。鎮静剤とか睡眠剤とかだったらいつでも処方するからさ」
 鎮静剤と睡眠剤が必要になる理由は不明だった。だけど、自分のためを思って言っているのはわかった。ヤクスの心配りに、お礼だけは伝えておいた。
 三人でお茶をすすっている内に、残りの四人が喫茶室にやってきた。
 幼馴染の番は、昨日の出来事を吹っ切った様子。元気なユーリと気だるそうなクルトに、ちゃんと戻っていた。とりあえずよかったと安堵してもいいだろう。
「今日の茶会は豪華ですね」
「お嬢さん方が来てくれたから。やっぱり男だけじゃ華がない……」
 全員分のお茶が届き。茶会がはじまったところで、ポケットの中から包みを取り出した。
「ユーリ、これでいいでしょうか」
「もう作ってくれたの? ありがとう、サキちゃん」
 約束の物をユーリに渡せば、何が入っているのかと全員に覗き込まれた。
「組み紐……ですか」
 ジェダスがつぶやく。ジェダスのつぶやきを聞いたクルトが、ああそれかと納得したような顔になった。
「"三の鐘の部"で流行っているんだ。願いが叶うだとか、そういう触れ込みだったな」
 包みを開けたユーリは、五色の紐で編まれたそれを腕に通した。にこにことご満悦なユーリの横で、ティピアが興味深げに眺めている。
「サキちゃんの組み紐なら、効き目ありそうだからね。わたしも聖華祭までに、絶対に運命の人と出会うんだー」
 ユーリの発言に、クルト以外の三人の男が首を傾げた。
「組み紐と出会いが、どう繋がる」
「女の好きな"おまじない"って奴だ。恋人がいる友人に組み紐を編んでもらうと、自分にも恋人ができるってな。……どうして女はこういう迷信が好きなんだか。オレには、さっぱりわからない」
 恋人と、はっきり言われるのは恥ずかしい。
 卓の下で、白のローブの膝元を握り締めた。横目で窺ったローグの表情は、ちっとも変わっていない。自分だけ恥ずかしい気分でいるのは、何だか不公平なようにすら思えた。
 自分の羞恥に勘付いたらしいジェダスが、話題の矛先を変えようとしてくれる。
「昨日は大変だったようですね。皆さん大丈夫だったのですか」
 乱闘の件はジェダスの耳に入っていたようだ。とても不思議なのだけれど、ジェダスは里の情報を手に入れるのが早い。どこで見聞きしているのかは絶対に教えてくれないので、情報源はいまだ謎のままだ。
「大丈夫だ。怪我は治ったし、処罰もないみたいだからな」
「今回もローグに全部持っていかれたけどね。一人で六人も投げ飛ばしてたから周囲が引いちゃってさ。もう誰も貴族だと勘違いしないと思うよ」
 やはり色々と、派手に立ち回っていたらしい。
 そろそろローグの心配より、相手の心配に比重を置いた方がいいのかもしれない。

 七人で談笑をしていると、喫茶室の気配が変化しはじめていることに気づいた。
 何だろう、この気配は。
 荒々しい炎の気配が近づいてくる。
 彼の包み込むような気配とは違う。触れれば火傷して、爛れてしまいそうな熱い気配だ。
「……奴か」
 クルトが眉間にしわを寄せた。ユーリは、ティピアの肩に手を置いている。小さな友人を慰めている彼女の表情も、どこか暗い。
 会話に興じていた他の卓からも、戸惑ったようなざわめきが聞こえてきた。入口の方から流れ込んでくる真力に、喫茶室の全員が身構えたのがわかる。
 とても高い真力。そしてかなり好戦的な真力だ。
 真眼を閉じて、鋭敏な感覚が鈍くあるように保つ。好んで触れていたい気配ではない。
 真眼を閉じたため、自身を守る真力の膜を失った。直に肌を撫でていく炎の気配。鳥肌が立ったけれど、真眼を通して気配を受け取るよりは、まだいいと思える。
 また、ティピアの様子を窺う。小さな彼女は震えながらも、平静であるよう努力をしている様子だった。
 船の実習で気力が鍛えられたのだろう。きゅっと結んだ唇に、意思が宿っている。

 炎の気配の主は、すべての視線が集中する喫茶室の入口に、その姿を見せた。
 背はヤクスとローグの間くらい。枯れ草色の髪と、猛禽類のように鋭い赤銅の瞳をしている。
 導士のローブを羽織っていても、前にあるボタンは留めていない。だらしなく着崩された格好が、荒んでいる男の気配を象徴しているように感じられる。
 男の後ろからは、五人の男が従って歩いてきていた。
 真導士の気配は一人一人違うはず。しかし男の気配に染められて、それぞれの気配がとても薄まっている。炎の男に"共鳴"していると思しき五人からも、似たような荒んだ気配が漏れていた。

 やってきた男達は喫茶室を見渡し。すべての卓が埋まっていることを確認すると、苛立たしげな声を上げはじめた。
「あいつらのこと、知ってるの」
 小声で照会するヤクスに、クルトが同じような小声で回答した。
「ギャスパルと子分達。……関わらない方がいい。"三の鐘の部"での揉め事の大半は、あいつらが絡んでる」
 ギャスパルという名の炎の気配をまとう男は、入口近くの卓に座っている者達に、席を譲るよう強要し出した。
 荒れる気配が耐え難く、一刻も早くここから立ち去りたい気分に陥る。
「……場所を変えませんか」
 喫茶室には待ち合わせで来ただけだ。全員が集まったなら場所を変えてもいいだろう。提案は、至極あっさりと全員に受け入れられた。
「"風波亭"にでも下りようか」
「いいですね。そうしましょう」
 ジェダスが言ったのと同時に、全員が帰り支度をはじめる。
 七人掛けの席が空いたことを、目ざとく見つけたギャスパル達。彼等は不快な笑いを浮かべながら、こちらに向かってくる。
 それを見て、彼女達と一緒になって相棒の後ろへ回り込んだ。
 男達の壁に隠れながら、ゆっくりと。極力刺激しないよう歩く。
「気が利くじゃねえか」
 集団が交錯した時、ギャスパルから声が掛った。
 先頭にいたローグは何も答えない。代わりに後ろについていたヤクスが、特有の人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「待ち合わせだけだったからね。大人数で長居しても悪いと思ってさ」
 簡単な会話だけで済まそうとしていたのに。ギャスパルの方から、最後方にいたクルトに絡み出した。
「よお。同じ部なのに挨拶もなしか」
 威嚇するように、炎の気配が強くなる。しかし七人は、誰一人として怯みはしなかった。実習の成果がこんなところで発揮とは、誰も考えていなかっただろう。
「挨拶するような間柄じゃないだろ……」
 クルトがぼそりと言った。ギャスパルの不快な笑みがきつく刻まれていく。
「気に食わねぇな」
「お互い様だ」
 存外に負けん気が強い相棒の袖を、ユーリが必死になって引いていた。構わないで行こうと、懸命に訴える彼女。そんなユーリに向かって、控えていた一人の男が近寄ろうとしてきた。
 その動きに合わせるかのように、隣から膨大な真力が解放される。
 熱い海の真力は、充満していた不快な炎を飲み込みながら、喫茶室中にあふれていく。馴染み深いぬくもりに包まれて、いつからか詰めていた呼気を解放する。息苦しさが緩和され、ようやく鳥肌が治まってきた。
 真眼を見開きながら、真力を周囲に湛えさせているローグ。彼は一直線にギャスパルを見ている。一切の感情を落とした黒の眼差し。目に気高い強さを秘めたまま、荒々しい劫火に挑んでいた。
 ユーリに何かをしようとしていた男は、ローグの真力に気圧され、進めていた足をぎくしゃくと戻していく。
「席はあそこだ」
 ローグは感情を含んでいない低い声で言った。そして、先ほどまで自分達がいた場所を顎で示す。
 彼が注意を引きつけている間にと、ユーリとティピアが押し出されてくる。二人の手を取り、一緒にローグの後ろで隠れ潜むことにした。潜みながらも状況を見て、入口に向かおうと姿勢を整える。
「見ない顔だな」
 クルトからローグに関心が移ったギャスパルが、ヤクスを乱暴に除けて近寄ってきた。
「誰だ、お前」
「お前こそ誰だ。人に名を尋ねるならば、自らが先に名乗れ」
 ギャスパルの口元が歪んで、劫火の気配が強まる。
 挑発と受け取ったようだ。
 止めた方がいいだろうか。ギャスパルの視界に入らないよう動き、黒髪の相棒のローブに触れた。
 半身だけ男に身体を向けていたローグが、後ろ手で合図を出してきた。外に出ていろと伝えている動きを見て、触れたローブをそっと手放す。
 彼は冷静さを失っていない。ならば、キクリ正師に頼まれた手前、場を荒らすような真似はしないはず。
 面倒なことになる前に、自分達は退散した方がいい。
 ユーリとティピアの手を引き。そろりと一歩、入口に向かって後退をした。
 足を踏み出した瞬間。動きを感知したらしいギャスパルの目が、自分達を見る。理性が拒否をする視線に、身体が竦みそうになった。一切の動きが取れなくなる前に、白い背中が視線を断ってくれた。
 ローグが視線を塞いでいる間にと、息を整え。大急ぎで入口に走っていく。
 ギャスパル以外の男が、後ろで何か言っている。できる限り耳に入れないようにして外に出た。

 無事に脱出したものの、視線がどこまでも追ってきているような気がした。
 結局、三人とも落ち着きを取り戻せず。そこからまた走って、"転送の陣"の近くで四人を待つことにしたのだった。



「ローグレスト殿は、完全に目をつけられましたね」
 "風波亭"に着いてすぐ、ジェダスはそう言った。
 あれからいくらもしない内に、男達と合流することができた。あの後すぐ、ムイ正師が見回りに来たらしい。たまたまだったのか、それとも誰かから報告があったのかまでは不明だけど。本当によかったと胸を撫で下ろす。
「だからやめてって言ったのに……。クルトも短気なんだから」
「あそこで流したとしても、学舎で会うからな。いずれ絡まれることに変わりはねえだろ」
 幼馴染の番の証言によれば。ギャスパルという男は"三の鐘の部"で、際立って危険な人物らしい。
 誰かれ構わずに喧嘩を売っては、舎弟として組み込んでいる。
 ギャスパルの背後に控えていた男達は、そういう経緯で男に付き従うようになった者だという。
「俺は構わない。喧嘩を売ってきたら買ってやればいいさ」
 荒い場面に滅法強い悪徳商人殿は、周囲の心配をよそに、まるで天気の話をするかのように言い放った。
「ローグはいいかもしれないけど、お前だけで済まなかったらどうするんだ。……こういう場合、一番危険なのはサキちゃんだぞ?」
 友人の忠告に、黒の瞳が揺れる。

 四大国の因習。
 大戦から百年を数えているというのに、いまだ女の数が増えない一因。
 国家の正当な懲罰から個人的な復讐まで。没収され、傷つけられる対象財産に女が含まれている。
 国の刑罰ならば、妻との離縁や、娘を養子に出すという罰になる。それだけなら命が奪われることはない。
 しかし、個人的な復讐や私怨の対象となれば話が違う。妻や娘、恋人の殺害。もしくは人買いへの売却などが、国中で横行しているのだ。

「サキ殿だけでしょうかね。"三の鐘の部"にいる以上、クルト殿はいずれ絡まれていたと思いますし。そうなればユーリ殿も危ない。もちろんお二人と仲のいいティピアだって、いずれ目をつけられていたはずです。……ああいう輩は意外とねちっこいですから。親しげなら誰でも、という可能性も考慮しておくべきでは?」
 クルトが頭をがしがしと掻きながら、鬱陶しそうな表情を作った。
「……誰でも、が正解だ。奴は同期の連中を、片っぱしから舎弟にしようとしてるからな。"二の鐘の部"にまでは、手を伸ばしていないけど、そのうち喧嘩売りにいってただろうぜ」
 劫火の男が、はた迷惑な人物であることに間違いはないようだ。五十人ほどいる導士を、すべて自分の配下に組み込んでしまおうとしている。わずかに邂逅しただけの男は、呆れた征服欲の持ち主として、記憶に強く刻まれた。
「何のために、そのようなことをしているのでしょうか……」
 昨日のローグの発言が、喉の奥で引っ掛かり続けている。荒れ模様の里の空気と、自分が抱いてしまった不安を。どうにか結びつけようと働く力がある。繋がりを持たせないと、座りが悪いような気がしているのだ。
「自分の上に、誰かがいるのが目障りなんだとさ。全部下に置いておけば、邪魔にならないって理由だ」
「また、厄介だね」
 香ばしい料理が運ばれてきても、男達の食の進みが遅い。
 娘達の安全確保という部分で、抜かるわけにはいかないと考えている。……きっと、それもあるだろう。
 しかし、本音は違うと思った。
 ギャスパルを、無視できないのだ。激しい劫火の気配を持つ男に対して、警戒を怠るなと勘が告げている。
 自分達は、全員が真導士だ。
 身の危険に関しての勘は、どの真導士にも備わっている。

「提案がある」
 情報をやり取りしていた面々に向かって、ローグが言い出した。
 これはめずらしいと、六人の視線が彼に集中していく。
 黒髪の相棒は、集団で行動する時にあまり自主性を発揮しない。友人達の集いに関してはヤクスに任せきりであるし。実習においては、何もかもをイクサに押しつけていた。
「しばらくの間、集団で行動するようにしないか。番同士もいいが、二人だけでは心許ない。集められるだけの人数で、一か所に固まるようにする」
 ヤクスが笑った。
 笑顔の中に潜む好奇が、紫紺の瞳に見え隠れしていた。
「ローグがそんなこと言い出すなんてな。どういった風の吹き回しだ?」
 問われて、湖面のように静かな黒がヤクスを見た。長身の友人に返す笑みは、浮かぶ気配すらなかった。
「昨日から考えていた。いくら考えても妙だ。昨日といい今日といい、事が続き過ぎているようにも思う。臆病者だと思ってくれても構わないけどな、可能な事前策は打っておきたい」
 ひと息に言ってから黒の眼差しが自分を見た。
 どう思う、と。
「わたしですか?」
「そうだ。サキの勘が一番あてになるから、お窺いを立てておかないと」
 "お窺い"の部分にだけ、変に強調されたように聞こえた。まあ、信頼されているのは素直にうれしい。
 青銀の真導士から助言もいただいていたし、感情を放出させてもらうことにした。
「一か所に固まっていた方がいいかと思います。ばらばらでいると不安です。あの気配は荒過ぎる。傍に寄れば自分の真力も燃やされてしまいそうで、とても怖い」
 喫茶室にギャスパルが入ってきた瞬間「喰らわれる」と感じた。自分の真力を薪にされてしまうと錯覚して、真眼を閉じて防御したのだ。
 "共鳴などと、生易しい表現では追いつかない。

 自分の発言は、全員に受け入れられた。
 この日から、七人の奇妙な共同生活が開始されたのである。

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