蒼天のかけら 第六章 倉皇の迷宮
絡みつく
「行ってくる」と言って、彼らは出掛けていった。
共同生活を開始してから、今日で三日になる。
あの日以来、我がの家には常に人がいるようになった。
しばらくの間と銘打っていた共同生活であるが、開始早々に終わりが見えなくなってしまった。
たった三日の間で、乱闘が五件も発生したからである。
確実な荒みを見せている里の気配に、全員が長期戦を覚悟した。
"二の鐘の部"の五人は、座学が終わると同時に我が家にやってくる段取りとなっている。昼食を共にし。"三の鐘の部"が終わる頃に男達が学舎へ行き。そして、幼馴染の番と合流してから夕食の材料をとって一度帰ってくる。
ユーリを無事に家に連れ戻ったら。三人の娘を家に残して四人で修行場に向かう。
この一連の流れは、ジェダスの提案が採用されたものだ。"三の鐘の部"は、厳しい鍛錬を自身に課している者が多い。もちろんギャスパル達も例外ではない。次に接触してきた時のため。自分達も力を蓄えておくべきだろうと、全員が修業に励むこととなった。
天水は穏やかな真術が多いので、家にいながら修業が行える。しかし、燠火と蠱惑はそれが難しい。
そんな理由で男達は連日、修業場に顔を出している。
三人の娘達は、食卓の上に輝尚石と紐を並べて。それぞれの作業に集中している。自分とユーリは、青銀の真導士の助言に従い。"浄化の陣"を覚えるべく悪戦苦闘中だ。昨日まで根を詰めて修業していたティピアは、ひと息入れて休むことにしたらしい。そしてユーリから話を聞き、組み紐に興味を持ったようだ。彼女は六色の紐を食卓に並べ、腕飾りを作っている。
「上手くいかないよぉ……」
しょんぼりとしたユーリの声に引っ張られ、自分も思わず音を上げた。
「これは、難し過ぎますね」
青銀の真導士は簡単に言ってくれたものだが、"浄化の陣"は力の調整がとても難しいのだ。それもそのはず。"浄化の陣"は、教本の後方に掲載されている。本来であれば、習得は年の後半になるのだろう。
二人して、色香のかけらもない吐息を出した。
「たまには息抜きしたいねー。毎日毎日ずっと家の中じゃ、気が滅入っちゃう……」
桃の瞳が恨めしげに外の方を眺めた。
ぴたりと閉じた居間の扉からは物音一つしない。自分達が戻るまでは、窓掛けも上げるなと言われているので、夕方ではないのに少し薄暗い。元気な彼女にとって、密室と化した居間の中というのが我慢できないのだろう。
外出が得意ではない自分ですら、わずかに暗い気分になってきているのだ。無理もない。
連日のように起こっている揉め事の詳細は、男達しか見聞きしていない。彼らは自分達にそれを伝えないからだ。無駄に不安がらせないようとの配慮だと思うが、枠外に置かれているようで面白くない。
この時ばかりは、男女という越えられない壁の存在が、煙たく思える。
政に限らず。日常で発生した大概の事柄は、成人した男にしか参加する権利も。そして口を出す権利もない。女子供は、男が決定した事柄に粛々と従うだけなのだ。
同じように責任を割り振られる真導士の任務の方が、例外的であると言えよう。
「ねえ、少しだけ外に出てみない?」
食卓にうつ伏せているユーリが、まずいことを言い出した。
「駄目。危ないってジェダスが言ってた……」
組み紐から目を離さないまま、ティピアが釘を刺す。
一緒に過ごす時間が長くなったので、小さな彼女は人見知りをしなくなった。自分達限定であっても、大きな前進だ。
「次の休みには、聖都に遊びに行こうと約束しているのですから。もう少しだけ我慢しましょう」
それでも食卓の上でごろごろしているユーリは、不満そうに鼻を鳴らした。
「……だってずるいよ。どうして女だからって家に閉じこもってないといけないの? クルトだって外に出てるじゃない」
「クルトさんは、男の人ですから」
当たり前のことなのに、ユーリはとても不満そうだ。
「何よ、成人したらいきなり大人ぶっちゃってさ。昔は一緒に文句言ってたのに、十五になった途端、お父さんやおじさんと同じこと言い出して。わたしばっかり除者にするんだから……」
いじける彼女を慰めようとしたのに、意に反して苦笑がこぼれてしまった。
どうやら、大人の男として在ろうと背伸びをしているのは、うちの相棒だけではなかったらしい。
「最近のクルトは変過ぎるの。ちょっと前まで、いたずらばっかりしてたのに急に常識人になっちゃって。あいつには全然、似合わないよ」
幼馴染とは、皆このように悩むのだろうか。桃色の娘は、幼馴染に置いていかれたように思っているのだと、容易く想像がついてしまった。留守番を命じられ、悲しげに鳴くジュジュのようで愛らしい。
「……男の子はそういうものだって、お姉ちゃんが言ってた」
小さな友人の発言も、慰めにはならなかった模様である。
「ティピアちゃんまで、うちのお母さんと同じこと言わないでー」
くすくすという笑いが居間に満ちていく。
自分では得られなかったもの。手にすることが叶わないものでも、その一端に触れるくらいは許されるらしい。広がり続ける女神の世界は、やはりとても美しい。
つと顔を上げる。
耳に詰まりを感じて真眼を開いた。道の角に、いやな気配が留まっている。
「サキちゃん?」
「……どうしたの」
二人に向かって、動かないでと合図をする。
両手をこめかみに置き。意識を真眼に集めて世界を視る。
ティピアが小さく「抑えて」と言霊を出した。食卓の上に点っていたランプが消え、部屋に影が落ちる。
真眼を半分だけ開いている気配。片生とは違い、確かな力を有する真導士を追うのは簡単だ。
人数は三人。劫火の本体ではないようだ。しかし、皆が皆して似たような気配をまとっていた。
家に――向かってきている。
急いで自室とローグの部屋を確認する。
大丈夫、窓は開けていない。
真術で構築された樫の家は、外への道が開かれていなければ要塞のように安全だ。窓を割ることもできないし、火で燃えることも無い。真術の炎ならば燃やせることもあるが、そのためには真術を施した真導士の力量を、上回る必要がある。
正師の力を上回る導士など、いるはずもない。
鉄壁の守りの中、娘達は息を潜めて外を窺う。家路を進んで来る三つの足音が、耳に届くまで近づいてきた。
我が家は、居住地の外れ。
近隣に家はない。二人に用事がある者以外、道を辿ってくることはないはずだ。窓掛けの隙間から、人影を示す灰色がゆれる。
……中を、見ようとしている。
手荒に扉を叩く音がした。居留守を決め込もうかとも思ったが、真眼を開いている状態では誤魔化せない。
扉から一定の距離を保ったところで、訪問者へ声を掛ける。
「どちら様ですか」
「ローグレストはいるか」
名乗らないまま要件だけ伝えて来るのは、穏やかとは言い難い。火傷しそうな気配に向かって意地を張る。
「どちら様でしょうか」
返答に腹を立てた訪問者が、大きく扉を蹴ったようだ。樫の扉が激しく音を立て、軋む。
「ローグレストは、いるのかって聞いてるんだ」
「出掛けています。用事があるなら伝えておきます。……名乗っていただけますか」
威嚇するような罵声が飛んできた。樫の扉を通しているせいで鈍い音となり耳に届く。声から推察するに、喫茶室で邂逅した男達だ。
外に出て来いと言ってきたけれど、断固として拒否を返す。
乱暴者の前に、のこのこ姿をあらわすなど誰がするものか。意味のない押し問答を繰り返し。男達が立ち去った時に、膝から崩れ落ちてしまった。
手の平の汗が、べったりと床に張り付く。
「サキ、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、ティピア。……ユーリ、真術の修業は終わりにしましょう。また彼らがきた時、他に人がいると悟られてしまう」
そうだねと応じたユーリは、輝尚石を箱に片付ける。片付けの様子を見ながらゆっくりと立ち、冷たい水を飲もうと炊事場に向かう。
自分達は、ここ数日で肝が据わってしまっていた。
実習を経験したのが大きかったのだろう。急速に真導士としての誇りと自覚が芽生えてきている。起きてしまった荒事は、男達が戻ってきてから報告すればいい。動揺して、不用意に動くのが一番危険だ。
落ち着こう。息をしっかり吸って、気力を整えよう。
炊事場で冷水を汲み、一息にあおってから深呼吸をする。
ローグに何の用だったのだろう……。ジェダスは、目をつけられたと言っていた。残念ながら予想が当たったらしい。
すべてを己の下に置こうとしている劫火の男にとって、ローグの存在は邪魔なのだ。今後も、同じようなことが起こると考えるのが賢明というもの。
幸い自分の察知能力は、ばれていない。上手く使えば、彼らと接触せずに済むはず。
彼は、傍から離れるなと言っていたけれど、彼こそ自分から離れない方がいい。
高い真力を有する彼は、他者の気配に鈍いのだ。
気力が整ったのを確認してから、食卓へと戻る。
ティピアとユーリは、組み紐を編みはじめていた。何かしら手を動かしていた方が、楽になれそうだ。
また訪問者が来た場合に備えて、真眼を開いたまま。急遽、紐編みに参加する。
たわいない話をしながら夢中で編んでいる内に、七本の腕飾りが完成した。
「ちょうど七本ですね」
「ねえ。せっかくだから真術を籠めて、本物のお守りにしようか」
それはいい考えだと、三人で"守護の陣"を籠めていく。真術を籠めるのは水晶が一番簡単。他の基礎は少し難しい。しかしこれも修業だ。お互いの失敗を笑って。励まし合いつつ七本の術具を造りあげた。帰ってきたら男達に渡してあげようと、卓に並べておく。
ヤクスとジェダスは素直に喜んでくれそうだ。しかし、背伸びをしているローグとクルトはどうだろう?
照れ臭がるかもと想像して、口元を緩める。もしローグが嫌がったら、皆が帰ってからお願いしよう。二人の時なら、きっと受け取ってくれるはずだ。
ユーリと一緒に、どの模様を誰に渡そうかと相談している横で。ティピアが新たな組み紐に取りかかった。
完全に嵌ったらしい。
次はもっと大きな図柄にしようと、小さな手で長めの紐を探している。
「なくなっちゃった」
寂しそうな声に二人して振り返った。ティピアが好んで使っていた、朱色の紐が底をついている。
「もっと貰ってくればよかった……」
「明日、座学の帰りにでも倉庫に寄りましょう。前よりも多めに貰ってきましょうね」
小さな肯きを見ていたユーリが、ごそごそとポケットを探し出した。
「ちょっと待って。他の子に貰った紐が残っているの」
あった、あったとポケットから出されたのは、朱色と黄色の長い紐。大喜びで礼を言うティピアに、朱色の紐が手渡される。
ぎり、とこめかみが痛んだ。
「待って」
桃と紅水晶の瞳が丸くなる。二人は紐を手渡した格好のまま、右手でこめかみを抑えている自分を、驚いた表情で見ている。
「その紐、貸してください」
「え……、うん……」
小さな手から受け取った朱色の紐。一見、何の変哲もないただの色紐を、第三の視界を見開いて観察する。
手に置かれた時に走った、ささやかな違和感。
何もないのにそこに有ると感じる、ぼやかされた気配。
自分はこれをよく知っている。
「――"隠匿の陣"」
何故、この真術が色紐に籠められているのか。
上位の真導士しか操れない。籠めるのにも里の許可が必要なほど、警戒されている真術なのに。
ローグの言葉から端を発した奇妙なそれらが。日を追うごとに繋がり、絡まっていく。