蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


勃発


 "三の鐘の部"の座学は、もう少しで終わる。
 学舎の門で集合という約束になっているので、最も近いヤクスの家でだらだらとしていた。

 ジェダスとクルトの家の浄化は、今朝の内にやっておいたと報告がきた。
 四人とも霧の脅威には気づいておらず、暑さを凌ごうと窓を開け放っていたという。
「朝起きて、どうもだるいというか……、気力が整っていない感じがしたのですが。霧の影響だったのでしょうかね」
 ジェダス、ティピア、ユーリの三人は、同じような気だるさを覚えていたと証言していた。
 クルトは船の実習で感じていた通り、朝に弱い人であったようだ。毎朝だるいのでよくわからないと、参考にならない発言をしていたらしい。
「霧のせいだと思って用心しておけ。"浄化の陣"を覚えるのは、しばらく厳しいだろう。窓を開けないようにするか、"守護の陣"を展開するかだな」
「これから夏だというのに、迷惑な話ですね」
 項垂れたジェダスに、悪徳商人殿が黒い笑いを浮かべた。
「夏がくるから……だ。窓を開ける家が増える」
 目的も目標も見えてこないけれど、自分達を蝕もうとしている脅威がある。この見解に否定の声は上がらなかった。
 だが、自分達だけでできることなど知れている。
 まずは正師への報告。
 それに適しているのが色紐である。現物が手元にあるのだから説明にはもってこいだ。霧の件は、報告さえしておけば。次に発生した時にでも調査をしてくれるだろう。
「とにかく報告をして、原因を調査してもらうようにする。これだけ奇妙な現象が起きているんだ、他にも何かあると思って警戒は続けておこう」
「ねえ、ローグ。他の人達に知らせないのですか」
「それも考えたけどな……。俺達が言うよりも、正師達に伝えてもらった方が通りやすい」
 彼の提案に、長身の友人が物言いたげな視線を飛ばしてきた。
 何だろうと思ってそちらを見たら、紫紺の瞳が逸れて行ってしまう。おや、と思ってローグに視線を戻せば、ローグにも視線を逸らされた。そういえば、昨夜の議論中にも、同じようなことが何度かあった。これは、自分に聞かせたくない話と解釈するべきであろう。
 男達の間だけで何かが成立している。
 誰よりも鋭敏な自分の勘が、せっせと働き出した。
 嘘を言ってはいない。ただし、全部を言ってもいない。なるほど、悪徳商人殿の話術に阻まれたのは、ヤクスだけではなかったようだ。思い出してみれば、青銀の真導士も同じようなことをしていた。女子供を除者にする、男達の常套手段なのだ。
 警戒対象が増えてしまったではないか。まったく面倒なことである。

 悶々としていれば、家の外から賑やかな声が響いてきた。
 "三の鐘の部"が終わったのだろう。
 約束の刻限がきたと、全員が外に出て門へと向かう。学舎と中央棟の位置は近い。しかし壁で区切られているので、ぐるりと回り込むしか道がない。
 正師達は転送で行き来している。転送が使えない導士達は遠回りをすることになる。
 中央棟への道は見回りが少ない道だ。できれば通りたくなかったのだけれど、今日ばかりは仕方ない。

 門で待っていれば、幼馴染の番がすぐにやってきた。
 明るい赤毛が背後を気にして歩いている。それがどうにも引っ掛かった。
「どうしましたか?」
「早く中央棟へ。また揉め事が起こりそうだ」
 ローグが歩き出したのに合わせ、複数の人影が門から離れて道を行く。
「ギャスパル達か?」
「いや、違う。あいつら今日は座学に顔を出さなかった……」
 歩む速度が上がった。
 否応なく息も上がる。遅れるものかと必死になって足を進める。
「それは、まずいですね」
 ちりりと左肩が熱を帯びた。咄嗟に真眼を開いてその方角を視る。
 ジェダスが言う「まずい」の意味が理解できた。ギャスパル達が座学に来ないということは、学舎に姿がないということ。

 ――つまり、居場所がわからないということだ。

「ローグ!」
 彼を呼ぶ。
 黒の瞳が自分を見て。そして視線の先を辿っていく。
 サガノトスには樹木が多い。道と建物と湖の他は、すべて樹木だと言ってもいいくらい。
 門から中央棟に行くための道の脇。緑で覆い尽くされた林の奥から、すべてを焼き尽くそうと狙う劫火の気配。
「走れ!」
 低い声の号令に、全員が駆け出した。門から中央棟までは、まだまだ道が続いている。劫火の気配からは距離があった。こちらが駆け出しても歩調は変わらずだ。
 先頭を歩いていたローグが、走りながら自分の位置を最後方に下げた。代わって先頭をクルトが行く。
(変……)
 待ち伏せしていただろう劫火は、真力を発しながら焦っていなかった。自分達が駆け出した後も、ゆっくりと歩いている。
 これだけの人数……しかもローグがいるのだ。自分達の移動速度は、認識しているだろう。
 足は進み続ける。
 まるで悪夢の出来事に当てはめたようだ。劫火から逃れんがために、足を止められない。
 ギャスパルの気配を視て、位置を確認して――叫んだ。
「クルトさん、横!」
 林の奥から撃ち込まれた白が、大地を擦りながら飛んできている。
「放てっ」
 ユーリの守護で弾き飛ばされた風は。道に沿って作られている壁に、吸い込まれて消えた。
「挟み撃ちか……。面倒くせえ奴らだな」
 後ろからギャスパルの気配。
 クルトの横から、劫火に"共鳴"した五つの気配が視えている。
「サキ、何人来ている?」
「後ろから一人、横から五人です……」
 六対七。
 数的には、自分達の方が有利。ただ、こちらには天水が三人もいる。
「六人って、喫茶室で会った人達と同じかな」
「わかりません。真力が"共鳴"していて、見分けがつけにくい」
 微々たる差はあれど、どの気配も劫火に飲み込まれていた。そのせいで個体差が隠されてしまっている。ギャスパルの真力も相当高いという証拠だ。
「あの六人だとしたら、燠火が三人と蠱惑が三人……」
「ギャスパルは」
「燠火だ。どうする、ユーリ達だけでも先に行かせるか?」
 クルトが真円を描く。左右に規則正しく旋回する、白の円。
 問われたローグは、まだ答えない。後方を睨みながら思案をしている。
「わたし達、中央棟までだったら走っていけるよ」
 クルトの言を後押ししようと、ユーリが元気な声で請け負った。
 そうこうしている内に、林から人影があらわれる。間を空けて隠れ潜んでいるのか。姿を現したのは三人だけだ。
「やっと出てきたか。逃げ回ってばかりで、揃いも揃って腑抜けらしいな」
 くすんだ金の髪の男が、挑発的な口調で言う。
 好戦的なように思えるのは、本人の気質か。はたまたギャスパルの影響なのか。判別がつかないほどにまで、炎で染められている。
「お前らに構う時間がもったいねえ。陣取り合戦なら、餓鬼の頃に卒業しておけよ」
 クルトの足元で真円が広がる。
 七人がすっぽりと入る大きさにまでなった、蠱惑の真円。クルトは何を狙っているのだろう。蠱惑の真術は種類が多過ぎて、見当もつかない。
「腹が立つな、この赤毛野郎。どれがお前の女だったか……。真っ先に髪を刈り取ってやるよ」
 男は、三人の娘をそれぞれ指差し、最後に肩口で髪を落とす仕草をした。
 顔を傷つけることと、髪を切り落とすことは。女に対する最大の侮辱行為だ。卑劣極まりないと評していい。
「ギャスパルは、下衆しか飼ってないのか? 趣味が悪いったらねえな」
 クルトはそれに乗らず、再び挑発を返した。
 気力を乱した方が負け。戦いは、もうはじまっている。
 男とクルトがやり合っている影で、ジェダスがティピアに何かを囁いた。ティピアの頭が小さく上下にゆれる。
 蠱惑の二人は、何かを仕掛けようとしているらしい。
 備えて呼吸を調整していたら、林の中で白が生まれる姿を視た。
「撃ってきます!」
 警告への返答は、旋風で示された。
 目の前に立つ三人の脇をすり抜け。飛んできた炎とローグの旋風が、正面からぶつかり合う。勝敗は喫した。真術の炎は、蝋燭を吹き消すかのように、揉まれて消失していった。
 ざっと流れる風の中。仲間の攻撃が消されたというのに、三人の男達は笑んだ。
 劫火の気配が、男達の間で燃え広がる。
「この声だ……。あいつが家にいた女。ローグレストの相棒――見つけたぞ"落ちこぼれ"!」
 ローグから、熱い海の真力が放出される。傍で立っていると足が掬われそうなほど、強く強く押し出される真力。
 彼を援護しようと真円を描く途中。いきなりヤクスに腕を取られた。ぐいと引かれて、ジェダスとクルトの後ろに配される。

 クルトの真円が展開を開始する。大きく描かれた真円から、白く輝く水蒸気が放たれた。水蒸気に紛れて、ジェダスも真術を展開する。赤毛の導士の後方で、小さい真円がいくつも展開されていく。
 目を凝らして見ていれば、真円から人影が出てきた。自分とユーリとティピア。三人の娘に似せた、いくつもの影。
 ジェダスが言霊を発すると同時に、真円から生まれた人影が、駆け出していく。
 幾人も生み出された人影は道を行き。道を戻り。林へと勢いよく走り去る。

「行け!」

 クルトの声に合わせて、ユーリが駆け出す。一目散に前方へと向かう彼女の背を、ティピアが追いかけていく。陽動している白の影に紛れ。脱出しようとの試みだと理解し、二人の背中を追って自分も駆け出した。
 背後でローグの真術が展開される。
 馴染み深い波が、熱い風を巻き起こした。真術の水蒸気が一面に広がり、さらに視界を遮る幕となる。クルトとジェダスの真力、そしてローグの圧倒的な真力が地を這い、まとわりつきながら場に満ちる。

 真術の煙幕を抜けて、駆けながら道を振り返れば。濃密な気配の中から喧騒が聞こえてきた。こちらへ向かってくる気配がないと確認して、中央棟へとひた走る。
 祈りは捧げなかった。
 加護よりも先に、信じたい力が自分にはある。

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