蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


駆ける


(行ったか)

 暗い心地で、事実を噛みしめる。
 サキ達だけでも窮地を脱した。それなのに安らぎが湧いてこない。
 娘達だけでも中央棟に走らせる。理性が出した最善の策と、自身の勘とが上手く重なり合っていないように思える。
 ……これで、本当によかったのだろうか。

 前方から炎が上がった。すかさず、旋風をお見舞いしてやる。力量差は誰の目にも明らかだ。奴等にもわかっているだろうに、何度も飽きることなく撃ち返してくる。
 蒸気に満ちた場。
 せいぜい隣に立つ、ヤクスくらいしか視界に入らない。クルトとジェダスは近くにいる。自分が真術を展開すると気配が薄れるから、収束のたび位置を確認している。……真力が高いのも考えものだ。
「ローグ、やり過ぎるなよ」
「わかっている」
 喧嘩くらいなら処罰はされない。しかし真術を使って大怪我をさせたら、さすがに罰を免れないだろう。重くて謹慎程度だと聞いた。だが、自分が外に出られない状況を作りたくない。一人になったサキが狙われることなど、目に見えている。
 奴等に炎豪は使えない。導士相手に使う真術としては威力があり過ぎる。
 道の後方から進んで来る気配は、まだまだ遠い。奴が来るまでには場を抜け出せるだろう。
「おかしいですね」
 蒸気の向こうでジェダスが悩んでいる。
「誰も追いかけませんか。狙いはローグレスト殿一人……ということでしょうかね」
 白く濁っていた大気が晴れてきた。幻惑の蒸気が消えていく。
「いっそ、ローグレストを置いていくか」
 薄情な悪餓鬼が笑っている。
「それは名案だね、一人でも大丈夫そうだし。早くお嬢さん方を追いかけないと……」
「どいつもこいつも冷たいな。本格的に、友人の選び方を考え直すべきだろうか」
 喉で笑いを潰しながら、足元に真円を描いた。
 蒸気の役目は終わっている。視界を確保した方がいいと、そう判断した。
 旋風を展開する。
 白の竜巻が、蒸気と幻影を消し飛ばし。天空まで舞い上がっていった。
 確保した視界の中には五人の男。林の中でうろついていた奴等も姿をあらわしたようだ。
「クルト。どいつが燠火だ」
 燠火から潰していけば後が楽になる。放たれていた炎豪の威力を鑑みても、自分一人で二人までならば同時に相手ができる。
 奴が来る前に、余計な人間を片づけておきたい。
「おい」
 何故か、言葉に詰まっているクルトに催促をする。急ぎたいというのに、どうしたことだ。
「やりやがった……!」
 怒りを吐き出したクルトを見る。挑発を仕掛けてきていた男が、不愉快な高笑いをした。
「ローグレスト、罠だ。後ろの二人は喫茶室ではいなかった。それに……ギャスパルの相棒が来ていない!」
 視界が赤に染まる。
 自身の勘が発していた警告を、みすみす取りこぼしてしまった。自分の迂闊さを呪い。サキが駆けて行った道をいこうとして、二人の男に塞がれる。
 腹の底から出した咆哮と共に、輝く白を吐き出した。邪魔をする奴らを弾き飛ばしながら、ただそれだけを脳裏に描く。
 かけがえのない蜜色を求めて、今度こそ大地を駆けて飛んだ――。



「がんばって。もう少しっ」
 中央棟に向かう最後の角が見えてきた。
 石壁の角を越えれば、残すは直線のみ。中央棟の入口から、真っ直ぐに伸びている道。正面の大扉へと連なっている道まであと少し。
 遅れがちになってきたティピアの手を取り、ひたすらに駆ける。
(早く、早く……)
 先ほどから、耳の奥がきんきんと鳴っている。後方で展開されている真術の余波と――里のあちこちに視える白の光。
 学舎で。修業場で。同時に複数の乱闘が起きている。どうりで見回りと出くわさないはずだ。
 これもギャスパル達の作戦なのだろう。黒髪の相棒への異常な執念を感じて、嫌な汗が背中を伝っていった。
 中央棟に正師はいるだろうか。いや、三人の正師がいなくても慧師だけはいるはずだ。
 確信と希望が混ざり合った願いを抱えて、大地を駆けた。
 ずるりとティピアの手が落ちそうになる。
 躓いてしまった小さな友を振り返り。解けないように手の平を握り直して、前を向く。振り向いて見れば、十歩先を駆けていたユーリが立ち止まっていた。
 肩で息をしているユーリ。彼女の三つ編みが、肩越しの世界で震えている。
「やっと来ましたか。待ちくたびれましたよ」
 聞いたこともない金属質な男の声。声と一緒に目指していた角から、二人の男が姿を見せた。
「手際が悪くて参ってしまう。立てた作戦が失敗したかと、案じてしまうではないですか」
 男は手元にある文言を、すらすら読み上げているような口調で話す。
 耳の後ろで束ねている栗色の髪は、ゆるく波を打って左肩に流れていた。柔らかそうな髪と、釣り上がった細い目を持っている。そばかすが散った顔に、張りつけたような笑み。
 男の周囲にも、劫火の移り火が舞っている。
「エドガー、何で貴方がここにいるの?」
「何で……ですか。簡単に言ってしまえば待ち伏せです。思い通り過ぎて、張り合いがありませんが。まあ、作戦が失敗するよりはいいでしょう」
 さて、とつぶやいた男は、ポケットから一つの輝尚石を取り出した。
「ローグレストの相棒は、どちらですか」
 輝尚石を掲げながら、自分とティピアに問い掛ける。ティピアの手を引いて背にかばおうとしたところ、頑なな抵抗を受けた。
 自分の横に立つ小さな友人。彼女から真力の放出を感じ取り、自分の傲慢を胸の内で恥じ入った。
 自分も真導士なら、ティピアも真導士だ。
 友の勇気を傷つけてはいけないと、繋いでいた手を離す。

「どちら、と聞いているのですが……。"落ちこぼれ"をかばっても、いいことなどありません」
 笑いながら問うエドガー。
 その後ろで、静かに黙っていた男が真円を描いた。描かれた燠火の真円に対抗して、三人で真円を描く。
「天水だけでは逃げ切れませんよ」
「やってみなければ、わからないじゃない!」
「わかります。……嫌だな、意味のないことは嫌いなのだけれど。答えないなら構いません、全員ギャスパルに従わせればいい。三人とも、僕の言う通りにしてください」
「誰が! あんな男に従うなんて、絶対にお断りよ」
 噛み合わない会話の外側で、自分のポケットを探った。
 丸い感触を確かめて、ぐっと握り……ローブの袖に隠して持つ。
「何が、目的ですか?」
 問い掛けた自分に、エドガーの目が向けられる。
「ギャスパルの下に入ってもらいたいのです。自分の相棒が下ったとなれば、ローグレストもギャスパルに逆らわないでしょう。後はクルトですかね。あれも真力が高いから、早いところ組み込んでしまいたい」
「クルトが、あんな男に従うわけない! わたしを利用しようが何しようが、あいつは人の下に入らない。それこそ意味がないわ」
 ユーリの必死な抗弁に、エドガーは乾燥した笑みを濃くしていく。
「意味はありますよ。真力が高ければ高いほど、相棒の意味が重くなる」
 口内を潤そうと、唾を飲み込んだ。
「……相棒の真力を、利用する気ですか?」
 エドガーからの返答はなかった。
 しかし、劫火の下にある真力が小さくゆれた。
「僕達についてきてください」
「嫌です、と言ったら……?」
「試したいのですか」
 物好きですねと言ったエドガーは、言霊も使わずに輝尚石を展開させた。
 瞬時に展開した三つの"守護の陣"を縫って、炎豪が駆け抜けていく。紛れもないギャスパルの気配。怖気のあまり、真眼を閉じてしまいそうになる。真術の炎よりも劫火の気配の方が、遥かに脅威だった。
 絶対に触れてはいけない。触れればそこから喰らわれて、飲み込まれてしまう。
 怯懦を振り払い。右手で隠し持っていた輝尚石を掲げる。
「放て!」
 熱い海の旋風を、全力で解放した。
 撒いて押し返していく風を、一心に掲げて伸ばす。
 旋風を放っている自分の横を、ユーリが駆けてティピアも続いた。後方の林に向かったのを見て、自分もそちらに走って向かう。
 ちらと見たら、エドガーともう一人の男が、旋風によって後方に飛ばされ。大地に倒れ込んでいた。すぐには起き上ってこないと踏んで、二つのローブに合流することを目指す。

「ユーリ、どこへ?」
「林に隠れながら、みんなのところへ戻るのっ。もしギャスパルが居たら少し奥に入って、迂回して家に帰ろうよ。クルトならそうしろって言うはずだから」
 ティピアと一緒に了と返して、林に入り込んだ。
「あの男は、誰なの……?」
 足音に紛れて響く小さな質問に、ユーリが答える。
「ギャスパルの相棒!」
 後方から劫火の気配がした。
「右へ――」
 左手後方に炎豪が着弾する。飛び散る火の粉と熱風が、守護を持たない娘の肌を照らした。道のある左手に向かって、執拗に炎が撃ち込まれる。合流を阻止しようとしているのだろうか。
 エドガー達が派手に真術を放っていれば、いずれ彼らが気づいてくれる。けれど、とても攻撃に耐え抜けない。
「奥へ行こう……」
 炎に炙られながら、林の奥に向かう。
 爆ぜる煙の臭いが喉について、息をするのも苦しかった。

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