蒼天のかけら  第六章  倉皇の迷宮


真導士の自覚


 辿りついた中央棟では、内勤の高士達が忙しなく働いていた。
 里の中で発生している乱闘の収束。および報告のため、方々へ駆けずり回っているらしい。
 キクリ正師は、すぐに見つかった。
 正師も忙しそうにしていた。でも、自分達の緊張を覚ってもらえたようで、キクリ正師の個室に通してもらえた。

「この紐がそうなのか」
 疲れた紺碧が問う。
 ローグに預けていた色紐は、いま正師の手の中に収められている。
「ええ。ベロマの時と同じような気配がしたので、下に真術が籠められているのだと思いまして」
 自分が答えた後、キクリ正師は真円を描いた。
 知らない真術の気配。"隠匿の陣"を確認するならば、"探索の陣"を展開しているのだろう。
 覚えておきたいと気配を記憶に刻む。少しずつ増えてきた真術の知識を、どこかに書き留めておいた方がよさそうだ。頭の中だけに仕舞っていると、いつか限界がきて破裂してしまいそうだった。
「確かに"隠匿の陣"だ。よく気がついたな……」
 感心半分、呆れ半分。そんな配分で構成されている正師の言葉に、身の置き所がわからなくなる。
 本に記載されていた通り、"隠匿の陣"を真術抜きで読めることはないのだろう。あまり吹聴しない方がよさそうだ。過ぎた力は危険としか思えない。
 キクリ正師は"隠匿の陣"を弾けさせ、下の真術を検分している。
「正師、これは何という名の真術なのですか」
 じれったくなって声を出してしまった。"隠匿の陣"が弾け、真術本来の気配が伝わってきている。
 こめかみに汗が流れた。真術の気配はとても薄い。
 これから真導士の特徴を知ることは難しいように思う。
「幻惑と増幅と……何だろうな。薄くて読み取りづらい。いくつかの真術を組み合わせて、編まれている。名前などなかろう。個人で編み上げた真術だ」
「個人で……」
「真術は組み合わせ次第で、効用の幅を無限に広げられる。座学で教えている真術は基本中の基本のみ。基本を押さえれば、誰にでも新たな真術を編み上げることができる。上位真術は、そうやって編み上げられてきたものだ。この真術も多分、誰かが編み上げたものだろう」
「つまり名前もなく、効果のほどもわからないと……そういうことですか」
 ローグの質問に、正師が首を振った。
「名前などはどうでもいいのだ。編み上げた者が好きな名前をつけるのだから。効果、効用については調べよう。蠱惑の真術は種類が多くてな。組み合わせから効果を推察するのに、時間が掛ってしまう」
 これは預からせてもらうと、渡した紐はすべて回収された。
 霧の真術についても相談をしてみたのに。相わかった、調査をしようと約束されただけで終わってしまった。
 ようやっと辿りついた中央棟の面談は、何の収獲も得られないまま……。どうにも釈然としない思いを抱えた一行は、重い足取りで我が家に集まったのだった。



「拍子抜けしちゃったね……」
 ぼんやりとしたユーリの発言に対して。座り込んでいる面々から、抜けた返事が飛んでいく。
 驚くほど呆気なく終わった面談。下問もない。追及もされない。かといって邪険にされるでもない。何もかもが半端な反応であった。自分達が大げさに騒ぎ過ぎていたのかと、恥じ入ってしまいそうな気分になる。
 正師に色紐を渡せば、曖昧模糊とした不安を解決してもらえる。そんな風に思い込んでいた。ギャスパル達のことだって、注意や指導くらいは入ると思ったのに……。全部が全部、相わかったで済まされたのだ。
「キクリ正師、冷たいなー」
 いじけ声のユーリに、ティピアだけが返事をした。いい正師だと思っていたのに、がっかりだと声が言っている。
「これから、どうしましょうね? 打つ手がなくなってしまいましたが」
 彷徨いの迷宮で、唯一の手掛かりを失った。
 行くのか戻るのかすら、判断ができなくなった。
 長椅子の上に腰かけながら、隣で同じように座っている相棒を眺める。帰ってきてから一言も言葉を発しない彼は、床の一点を見つめ、右手で顎を擦っていた。
「ローグ……」
 気配からも表情からも、感情が読めない。考え込んでいる内容はさっぱりわからないけれど。これからのことを思案しているに違いない。放っておけば一人で進んで行ってしまいそうな彼を、呼んで振り返らせる。

 背負い込まないでとお願いしたのに。
 ローグの悪い癖だ。

 漆黒の髪をさらりとゆらし顔を向けてきた相棒の顔は、拍子抜けした雰囲気などはない。
 引き締められた唇から、意志が生まるの待つ。
「乱闘も修業の内……か」
 低い声に、全員がばっとローグを見る。
 おいおいと言いながら、だるそうなクルトが赤毛を掻いている。
「まーた一人だけで、わけ知り顔になって。お前、ほんっとうに突っ走りやすいな。皆が納得できるように話せよ」
 うんうんと男達が肯いている。
 娘達が知らない間に、男達だけで議論を重ねていたのだろうか。ローグの背負い込み癖は、周知されているようである。
 悪いと、小さく笑ったローグは。脇机に置いていた手帳を開きながら、思案の結果を話しはじめた。
「正師の反応が鈍かった理由を考えていた。キクリ正師は三人の中で一番導士に近しい人。その人があの反応ならば。他の二人に相談しても、薄い反応しか返らないだろう」
 彼の声を背に受けながら、炊事場に向かう。
 長くなりそうだ。全員にお茶の用意をしておこう。
「乱闘の件も同様。真術を行使していたというのに、怪我人の有無と、怪我の程度しか聞かれなかった。処罰する姿勢とは思えない。例の……一件では、しつこいくらいの下問をされたし、慧師にまでお出ましいただいていたから。比較すると差は歴然だ」
 例の一件は、リーガ達のことだろう。
 報告はローグとヤクスだけが行ったので、場の状況を自分は知らない。当事者とはいえ寝込んでいたからだ。その後も、辛い話をさせないようにと気遣われ。今日に至るまで、事件への接触は避けられていた。
「首謀者は追放。しかし他の四人は謹慎。落差があり過ぎると思っていたのだが、こう考えれば納得ができる……。喧嘩くらいでは処罰されないという里の規律。これは多少の喧嘩だったら、修業の内だと割り切っているからではないか? 真術を使いこなすためには、経験を積んで慣れるしかない。しかし、修行場で練習しているのと、実戦の経験があるのでは質が違う」
「経験を積ませるために、喧嘩で慣れさせてるってことか?」
「多分な。命に関わるような大怪我でもない限り、癒しを掛ければすぐに治る。導士と導士の喧嘩ならば、被害もそう大きくないだろう」
「そんなもん、実習でやればいいじゃねえか。あれだって経験を積むためにやってるんだろ」

 鍋に立つ水泡の具合を確かめながら、耳だけで会話を追う。
 ぼんやりとした雰囲気が払拭されてきた居間に、各人の真力がただよっている。真眼を解放しての議論。互いに信頼をしていることの証明になるらしい。真導士の世界は、独自の様式が多くて困る。やはり自分用の手帳を、倉庫から貰ってこようと密かに決めた。
「実習は数が少ない上、活躍の場が制限されている。……真導士は希少だからな。経験は積ませたい。かといって、せっかくの真導士を削られたくないのだろう。片生の件は例外だと思った方がいい。あんなことばかりさせたら、雛の内に潰されてしまう」
 どきりとした。
 炊事場にいてよかったと、息を吐く。
 ローグは平然と確約を踏みにじった。生涯に渡ってと約させられていたのに……。カルデス商人の気風は、曲がることを知らないらしい。
「じゃあギャスパル達の行いを、里は止めてくれたり、仲裁してくれたりはないってことかな」
「ないだろうな。誰とやり合っていたのかと聞かれなかったろう。重大な怪我人が出ない限り、里が出てくることは期待できない。ギャスパル達の件は、自己防衛しろということだ」
 お茶を淹れて、居間に戻る。
 倦怠感が広がる食卓では。思い思いの格好で、議論に参加している面々がいた。
「では色紐と霧も、同じような対応になりそうですね。真術を使った心理戦だと、解釈できてしまいます」
 ジェダスの言葉に、ローグが首を振った。
「いや……。その二つは調査をするだろう。"隠匿の陣"は導士では扱えない。術具に籠めるとしても、里の許可が必要だ。里が関知していない物が、存在してはならないはず。……だが、時間は掛るだろうな。キクリ正師でも、すぐに読み切れなかったのだから」

 各人の前にお茶を配ってから、自分とローグの分を持って長椅子に向かう。
 議事の進行をはかっているローグは、ありがたそうにお茶を受け取った。瞳に疲労は浮かんでいない。まだ大丈夫そうだと、大人しく隣に座る。
 食卓で、クルトが難しそうな顔をしている。ヤクスはジェダスは平気そうだけれど、クルトは議論が苦手なのだろう。
「それならば、いま我々がやることは一つです。ギャスパル達の対策に集中しましょう。力を分散しなくて済みますから、昨日よりずっと楽になりましたね」
「ああ、今日の働きは無駄ではない。そう暗い顔をするな」
 ユーリとティピアが、顔を見合わせて笑う。
 気分が浮上してきたらしい娘達の微笑みに、居間の雰囲気が明るくなった。
 二人の笑顔で、ほっとした表情となった男達を見る。議論中まで娘を気遣うなど、男の人は本当に大変だ。
「ギャスパル達の目的は、同期で一番ってことだからね。目的はわかりやすいけど、手段が……ちょっと面倒だ」
 ヤクスが自分を見て、ユーリを見た。
「……何でわざわざ相棒を狙うんだ。ローグレストとオレに用があるなら、直接ふっかけて来いってんだ」
 クルトの気配が荒れてきた。
 カルデス商人と、負けず劣らず短気な彼は、頭から湯気が出そうになっている。
「"共鳴"を狙っているのでしょうね。配下に組み込んだ後、ギャスパルと"共鳴"させる拘りがあるようです。しかし、真力の高い者は、やすやすと"共鳴"をしません。真力の高い者に、もっとも簡単に影響を与えられるのは相棒。相棒を押さえて"共鳴"させてから、真力の高い者を"共鳴"させる。場合によっては人質としても使えますから、そういうことです」
「ローグやクルトだけじゃない。真力が高い人の相棒は、軒並み危ないよ」
 真力が高いと称されるのは、三つ目以降だ。
 この場で言えば、ローグとクルトとティピアがそれに当たる。
 ローグは五つ目、クルトは三つ半、ティピアは三つ目。ヤクスとユーリは二つ半で、ジェダスが二つ目、そして自分は選定線。値として言うなら零となる。
「ヤクスの相棒は、どのくらいあるんだ?」
「確かクルトと一緒。三つ半あったはず……。あれ、ということはオレが危ない?」
「それを言うならジェダスも危ない。ティピアにちゃんと守られておけ」
 面白そうに混ぜ返すローグの台詞に、男二人が苦笑した。やや胸を張ったティピアの姿が、さらに笑いを誘う。
 ギャスパルは四つ目まであるらしい。他者に"共鳴"を促すには十分な真力と言える。

「まずは守りを固めよう。一人にはならないことは徹底して続ける。あと天水では反撃ができないから、天水だけで固まらないように」
 黒の瞳が自分を見た。
 離れるなと言われた気がして、こくりと肯く。
「ギャスパル達の力を削げないものですかね。今日のように人数を掛けられると、さすがにやり難い。……彼らは人を増やし続けています。十人、二十人になると対抗できませんよ」
 沈黙……の間に、ローグとヤクスが目配せし合っている。
 どうも怪しい。クルトとジェダスには何の合図も出していない。……二人だけで何を企んでいるのだろう。
「少し考えておく。手段はあるはずだからな」

 この日の議論で決定されたのは、行動指針と修業方針。そして霧と色紐への警戒方法だ。
「霧には極力触れない。触れてしまったらヤクスに飛ばしてもらえ。色紐は貰うな。貰ったとしても使わないで取っておけ」
「色紐だけか? 他の術具があっておかしくねえぞ」
「そうだな。自分達で賄った物以外は、身に着けない方がいいだろう。確かな相手以外からの貰い物も着けない。もしくはサキに確認してもらってから着ける。これで怪しい術具は除けるはずだ。直接のやり取りでも、証明がないものは全部確認をする。念には念を、だ」
 責任重大。
 膝の上で拳を作って、気を引き締めた。
 真導士間の郵送は、証明を付ける決まりになっている。自身の真術を籠めた輝尚石を郵送物と一緒に送り、差出人の証明をするのだ。直接の手渡しなら必要ないはずだが、荒れた里の中では、出所がわからないすべてが危ない。
 ローグが、大きく息を吐き出した。
 長い議論が終着したのだ。ローグの後に続いて、方々から息が漏れていく。

 すっかり油断したユーリは、ぺたんと食卓にうつ伏せた。
「ねえ、これすごいね……」
「何が?」
 訝しそうな幼馴染に、桃の瞳が笑顔を向ける。
「巨大な謎と悪に立ち向かっていくなんて、本物の真導士みたいじゃない?」
 居間に笑いが満ちていく。
 いまさら何をと言ったクルトも、笑いを堪え切れていない。自分達は真導士だ。選定を越えて真眼を開いたその日から、定められている。
 しかし、真導士になることと、真導士であることは違うのだ。
 荒れ模様の里の中で、卵から孵り、すくすくと育っていた自分達。自分達はいったい何者であるのかと、命のすべてで理解した瞬間であった。

 我ら真導士。
 伝説のかの者の同胞にして、女神の大地の調停者――。
 神鳥よ。その二つの双眸でしかと見ていて欲しい。数多の困難に満ちた宿命であろうとも、我らは諦めない。
 羽ばたきを覚えた猛き雛達に、どうか愛と祝福を与えたまえ。

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