蒼天のかけら 第七章 旋廻の地
憂いの果実
何かに集中していなければ、いてもたってもいられない。
眠る彼女のたまに確認しながら、古ぼけた紙に記された黒の文字を視線でなぞる。
削除された十二年前。
消されている情報を、復活させることなど不可能だ。ならば、他の手段であぶり出してやろう。
歴史と言えども人の手で作られてきたものだ。神々が関わっているならまだしも、人が関わっている事柄で、唐突に何かが生まれたりはしない。同じように何かが消えたりもできない。
必ず影響が残る。その影響から情報をあぶり出す。
十三年前と、十一年前以降を比較すれば可能。そして実際に、必要な断片が集まってきている。
まずは、サガノトスの構成。
内勤の高士の数と割り当てが、大きく変わっているのだ。やたらと歴史書や古文書を管理、解読する部門への登用が増加している。
さらに、見回り部隊の変化。里内部の平穏を維持する自警団の部隊。かつては大半が燠火で構成されていた。
しかし、いま現在は燠火と蠱惑の数が拮抗している。
蠱惑の扱いという部分は、変化の軸になっているように思えた。登用されている高士のほとんどは、結界の真術の使い手だ。結界を張ることを得意とする高士ばかりを、集められるだけ集めたという印象を受ける。
キクリ正師の抜擢もこれの影響だろう。
十代で正師となったのは、サガノトスの歴史上でキクリ正師のみ。誰よりも若くして正師となった人は、蠱惑の真導士。さらに結界の使い手でもある。
そして居住区の整備。
かつて里の西側に高士地区が、東側に導士地区があったらしい。いまではどちらも空白地帯となっている。
最後に……高士の数が減っている。
サガノトスの名簿上では、事件や事故、任務中の死であれば"死亡"と記され。老衰や病死であれば"除籍"と記されている。
この規則に則って言えば、十三年前のサガノトスでの死亡者は二人だ。
だが、十一年以降は様相が一変する。
若い世代を中心に、高士の死亡者が増えていた。
死因については何も書かれていない。事件、事故、任務中の死亡であれば、詳細が個別に記されているはず。だが、彼らの死因は定かにされていないのだ。
不自然に増えた死者。彼等はそもそも里に居住していないような、任務に対する意識が低い者達に多く。シュタイン慧師が就任してから輪をかけて増加している。
見逃せない大きな要因だ。
散らばる歴史の断片と格闘する。これらを繋げられれば、十二年前のことがわかってきそうなのだが……。
ふと風が入り込んできて、本の頁をぱらりとめくった。
夜が降りてきた大気は、昼間より幾分過ごしやすい。風をもう少し味わっていたかったが、そろそろ窓を閉めた方がよさそうだ。
霧が出る頃合いがある。まったく出ない時もあるが、出る時はいつも同じ頃合いだ。
部屋の窓を閉め、窓掛けを下ろす。真術で造られた家は、どの部屋も構造が一緒だった。一連の作業は自室であっても居間であっても変わらない。
もちろん彼女の部屋であっても、だ。
窓を閉め、枕元近くに設置した椅子に座る。眠る彼女の表情はわずかに険しい。
夢の中で何か起こっているのかはわからない。表情から推察するしかできないのだ。無駄だと知ってはいても、彼女の頬に触れ、慈しむ。
束の間、滑らかな肌の確かな感触を味わう。
寝ている時は気配が薄い。真眼を閉じ切っているから、さらに薄いと感じてしまう。真眼の隙間からこぼれている清涼な風を感じ、目を閉じた。
「どうして、お前なのだろうな……」
いつもだ。
いつもいつも、何故か彼女ばかりが狙われ、巻き込まれる。
囲いを作って隠していても、息を詰めて潜ませていても、災いの渦は、目敏く彼女を見つけて追い込んでいく。
「どうして……」
眠る彼女に問い続ける。
追放される条件に記憶の削除が入ってなければ、喜んでサキと共に追放されただろう。一度手にした力を失うのはきっと不便だ。それでも彼女を危険から遠ざけられるなら、一も二もなく選んだというのに。
「俺から……離れるなよ」
繰り返し、繰り返して願う。言えないままの本心は、自分の中でしっかりと根付いていた。
消えてしまいそうだ。
大気に溶けて混ざってしまいそうだ。何者かに奪われて離れていきそうなのだ。
掠めた思考を、強制的に排除する。
駄目だ。
考えに飲まれるな。共に在ると決めた。二人で世界を駆けて行こうと約束をした。頬を染めて、楽しそうに未来を描いていたサキの笑顔を想う。
願いが通じたのだろうか。待ち望んだ瞳がこちらを見た。
「ローグ……」
夢から覚めたばかりのサキの瞼に、口付けを落とす。
唇から肌の冷えが伝わってきた。眠るサキの体温は低い。あたためてやろうと寝床に腰かけ、身体を起こしたついでに腕に収める。
難なくもげてきた白の果実。甘い香りが鼻腔をくすぐり、ささくれ立っていた心に癒しが与えられた。
「気分はどうだ?」
「大丈夫です。しばらくは起きていられそう……」
「倉庫から果物を貰ってきた。食べられるか」
脇机の上に用意した彩り鮮やかな果実。それを見て、サキの顔がほころんだ。
「一人占めしないで待っててくれたのですね」
くすりと笑った彼女。ランプに照らされた琥珀が蜜色に輝く。
まさに至福の一時だ。
きょとんとした表情のサキは、積まれた書物を見つめている。
「こんなに読めるのですか?」
「読む。意地で読んでやる。要点だけ抜き出せば何とかなる。どの書物に何の情報が載っているかを調べてから、緻密に読めばいい」
用意していた果実は、ぺろりと平らげられていた。
腹が減るよりも、喉の渇きが辛いらしい。夕飯というには軽目だが、いまのサキには最適な食事だったようだ。
二人して寝床に並んで腰かけている。無防備過ぎる彼女は、まったく疑問を抱いていない。信頼と信用を崩してはならんと、一人苦心をしている現状はわかってもらえていない。
サキがいいと思っているなら、それでも構わない。……ただ、この無防備さは考えものだ。
蜜色の相棒の自室に、自分の席を確保してからというもの。居間で過ごすよりも、こちらで過ごす時間が多くなってしまっている。
何せ起きる度に盛大に転ぶものだから、とても目が離せない。
「サキ。今日見た夢はどのようなものだ」
夢の話は遠ざけられるよりも、吐き出した方が楽になると彼女は言っていた。
吐き出させてやろうと、話題を振る。
「いままでで一番変な夢でした。金の仮面を被った人がたくさんいて……」
金の仮面――。
「それは夢ではない」
つい夢と現実を混同しているのだと思った。そうしたら彼女から強い否定が返る。
「違うのです。夢でも出てきて、それからこちらにも出てきたのです」
必死な様子で言葉を重ねるサキの瞳に、吸い寄せられていく。
「夢だと黒い衣装をまとっていました。夜で……何人かと一緒に逃げていたのです。でも、捕まってしまって。そこで目が覚めました。水が欲しくて居間に行って……。外から声をかけられました。扉を開けたら同じ金の仮面が並んでいて。最初はよくわからなかったから、夢の続きかと――」
早く全部を吐き出そうとしているかのように、しゃべり続ける。
蜜色の瞳がゆらゆらとゆれていた。まるで心の震えが瞳に出ているようだ。
「同じでした。まったく同じ仮面です……」
「そうか」
「捕まってから、また石の神殿に……。そこに一つだけ形が違う仮面がいました。大きく角を生やした」
「家に来た奴らの中にいたか?」
小さく首を左右に振る。
俯いたサキは、膝元の夜着を握り締めてこう言った。
「途中ですから。だからまた戻ることになります」
生贄として殺される夢の中に。
若草色の袖が首に絡まってきた。自ら抱きついてきたサキの身体に、動揺しつつも腕を回す。
無防備な恋人は、隠れた努力を無意識に踏んで歩く。
これは試練だ。
自分が持つ気力の底力が試されている。
「戻りたくない。ここにいたい。ずっと一人ぼっちで寂しい……」
心細さで染め上げられた悲しい声。華奢な身体を包んでいる腕に、力を込めた。
(どうして、サキなんだろうな……)
他の人間であったなら。
例えば自分がこの"呪い"を受けていたのなら、ここまで苦い気分を味わうことなどなかったろうに。
抱き締めている最中に、絡んでいた腕がずるりと落ちた。
「サキ……?」
顔を覗けば、眠りに落ちかけた琥珀が滲んでいる。
「ローグ、わたし……」
何かをつぶやいたけれど、大気で溶けて耳には入らなかった。腕の中で崩れ落ちた彼女を、想いごと抱きしめる。
ランプの炎が、自分の真力に反応して大きくゆらいで燃えていた。