蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


油断


 インク壺に蓋をする。
 できた。
 文字は読むことも書くことも苦手だが、どうにか完成してくれた。

 問題は、ここからだ。

 完成した手紙は、送らなければ意味がない。しかし、しかしだ。
 送るという行為が問題だった。
 眠りの病が発症している自分は、外出ができない。できたとしても付き添いが必要だ。ギャスパル達のこともあり、天水だけで出掛けるのは約束違反だった。出掛けるとなれば男の誰かに付き添ってもらう必要がある。
 まず、ローグは駄目だ。
 あの人への手紙を出したいなどと言えはしない。一方的に郵送物が届くことだけは、何とか了承してもらえた。
 だが自分から何かを送るとなれば、また大きな誤解をさせてしまう。
 これ以上、誤解が深まるのはお断りである。
 ローグが駄目ならば、ヤクスも駄目だ。
 二人が何かを明言していることはないけれど、ヤクスはローグにとって。そしてローグはヤクスにとって一番の友人である。人がいい長身の友人は、親友を裏切るような行いはしないだろう。
 そうとくればジェダスもクルトも駄目だ。男達は、友人の恋路を邪魔しない。それが世の常識というものだった。
(どうしよう……)
 八方塞がりだ。
 出せない手紙を握り締めて、うんうんと唸る。
 倉庫に行って、設置されている窓口に「お願いします」と出してくる。たったそれだけなのに、途方もなく困難だ。
 文机の前で、悩んでいる自分の足元にジュジュが寄ってきた。
 同じように眠りの病に伏せていた白の獣は、自分と同じ時に目を覚ます。ぱっちりと開いたつぶらな瞳を見て、妙案が出た。
「ジュジュ、おつかいを頼まれてくれませんか?」
 小さな鳴き声がした。行ってくれるらしい。
 ジュジュは倉庫にいる人達に可愛がられている。自分の後ろを歩くジュジュを、賢いと褒めてくれていた。彼等ならジュジュが持っていけば、おつかいだとわかってくれるはず。
 眠気は、まだ息を潜めていた。
 いまならジュジュも眠らないだろう。期待を込めて手紙と、証明用の輝尚石を包んだ袋。そして宛先を書いた紙の切れ端を、ジュジュに括った。
 ……うむ、ちょっと重そうだ。
 心配だけど、行ってもらうことにする。自室の窓を開放し、ジュジュを抱きかかえ外へと出した。
「開けておきますから、真っ直ぐに帰ってくるのですよ」
 外に出た白い獣は、一度だけ振り向き小さく鳴いて走っていく。輝尚石の袋が重いのか、ふらふらと走っている。
 ふらふらとしているけれど、道の角までどうにか辿り着いたらしい。
 あの調子ならば、大丈夫だろう……きっと。
 親馬鹿な自分は、かわいい子が消えていった道の角を、しばらくの間そうして眺めていた。






「ローグレスト、最低」
 小さな友人の、あんまりな詰りに沈黙を返した。
 自宅の居間には真導士達の姿がある。
 入れようと思えば何とか入るものだ。男八人、娘二人。計十人の導士が並んでいる。内の約半分は、自分を非難する視線を送ってきている。堪ったものではない。
「信頼されてねえな、オレら……」
「ねー……」
 幼馴染の番が、ここぞとばかりに息を合わせる。迷惑な、と思ってはみるものの反論できる雰囲気ではない。
「ローグレスト殿の抱え癖は、まったく困ったものですね」
 しれっと言ってきたジェダス。
 これにも反論はできない。……まいったな、本当に今日はやりづらい。
「悪かった。いくらでも何度でも謝る。だから話を進めさせてはくれないか」
 非難の視線を受けながら本題へと流れを変える。ちらと視線を送ったが、紫紺の瞳もまた冷たい。

 ――サキの不調は"呪い"が原因であるらしい。

 打ち明けた瞬間から、居間は険悪な雰囲気に染まってしまった。嫌味の一つや二つは頂戴すると思っていたが、ここまで言われるとは。
 信頼が薄いわけではない。しかし、こいつらにはそう思われてもおかしくない行為であったようだ。
 失った信用は、回復させるのが難しい。
 さんざん親兄弟に叩き込まれてきたというのに、本当の意味で身についていなかったのか。
 人生は経験と反省の繰り返しだ。
 うれしくはない真実が、じわじわと沁みて痛痒い。
「まあ、ローグも反省してるみたいだし。サキちゃんの件は早く解決してあげた方がいいから、協力してくれないかな」
「……協力はするけどよ。まだ何か隠してるように思えちまうな」
 自分の信用がなくなった影響か。はたまた自身が持つ勘なのか。赤毛の友人はヤクスと同じことを言い出した。
 これはもう誤魔化しが利かないかもな。
 青については誰にも言いたくなかったというのに。

「言わないでおきたいという気持ちもわかります。"呪い"とは穏やかではありませんからね」
 ジェダスの言葉に、視界の端で白がびくりとなった。
 おやと、視線を向ければ、クルトの影にユーリが隠れている。
「ユーリ?」
 青い顔で見返してきたユーリに疑問が募る。今日は妙に大人しい。さっきから気になってはいた。
「ああ、あれだ。気にしないでくれ。こいつ昔からその手の話が苦手でな」
 天水だから"浄化の陣"覚えれば対抗できるのに。
 真導士になったといえども、苦手は苦手であるらしい。
「お化けが出るんでしょ……?」
「出ねえよ。そもそも"呪い"は、真力と強烈な思念が混ざって"何か"にこびりついただけ。座学でも習っただろ。浄化が使えなくても、ヤクスがいれば飛ばせる」
「……でもでも。ひどい目にあっとか、辛い思いをした人が死んだ場所に残ってるんでしょ」
「そりゃまあ、その通りだけど」
 普段は元気な娘の目には、涙が滲んできている。
 心底怖がっているらしい。
「ユーリ、残るか」
 桃色の瞳が、縋るようにこちらを見た。
「あぅ、早く場所を見つけないとサキちゃんが……」
 残りたいが、サキのためにがんばりたい。
 板ばさみになっているようだ。
「いや、一人は残ってサキを見ていて欲しい。起きた時に誰かがいた方が安心するだろうし、寝起きで転ぶことがあるから。世話をしてもらえると助かる」
「うん。……あ、ティピアちゃんは?」
 肯きかけたユーリは、小さな友人を案じはじめた。
 忙しない奴だ。

「平気。怖くないから」

 一同の視線がティピアに集まる。
 場にいる全員が意外に思ったのだろう。
「知らない人の方が、もっと怖い。"呪い"だったら話さなくていいから、平気」
 小さなティピアにとって、知らない人間と話す方がずっと恐ろしいことであるようだ。
「じゃあ、早速……と言いたいところだけど、探す場所が広過ぎだよな」
 ヤクスがこちらを見た。
 つかんでいるなら伝えておけと言いたいらしい。
「場所の見当ならついている。……里の東側だ」
 かつて聖地であったサガノトス。聖地や神殿における祭壇の場所は、古の時代から決まっている。
 中心となる神殿から、東に設置されるのが常。
 サガノトスなら中央棟から向かって東側に、"呪い"の場があるはず。
「では、早速出かけましょうか」
「だな。……お前らもきびきび働けよ」
 クルトは、端の方で縮こまっていた四人に声を掛けた。
「もちろんです。サキさんのためなら何だってさせていただきます」
 ダリオが勢いよく請け負った。こいつらは、またとない機会が巡ってきたと思っているのだろう。
 ――名誉挽回。
 四人の瞳に、希望の光が強く映り込んでいる。
 各々が外出の支度をしている中、ユーリはサキの部屋へと向かった。扉を開けてやろうと思い、自分も一緒に部屋へと向かう。
「サキちゃんはいまも寝てるの?」
「たぶんな。いつ目を覚ますかわからんから、置いてある書物は好きに見ていい」
「えー、無理だよ。分厚くて難しいもん。小説なら読むんだけど」
 扉に手を掛けた。真力を感知した木の扉は、すっと部屋への道を開く。
「"銀縁"は借りてきていない。サキは本を読まないから」
 年頃の娘が好んで読む小説は"銀縁"と呼ばれる。本の背表紙が銀糸で縁取られているためだ。
 題材は高貴な身分の娘が主役の……いわゆる恋愛小説ばかり。稀に恋愛指南本もあるらしい。
 ユーリが残ることがわかっていれば、一冊くらいは借りてきたのだがと苦笑しつつ、部屋に友人を招く。
 寝床の傍に置いてある椅子を勧めようとして、瞠目した。

 いない。

 蜜色の相棒の姿と気配が、部屋の中から忽然と消えていた

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