蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


映し出される世界


 妹が大嫌いだった。

 本当の父親は、ずっとずっと昔に死んでしまった。記憶は数えるほどしか残ってない。
 新しい父親と新しい妹に会ったのは、五つの時だ。
 同い年だから妹という感じはしなかった。わたしが春の生まれで、妹が夏の生まれ。
 それだけのことでわたしは姉となり、彼女は妹となった。
 初めて会った時から、ずっとずっと妹は気弱で、常に誰かに守られていた。
 ちょっと怖い親戚に会う時だって、彼女はいつもわたしの後ろに隠れる。助けてという目をしながら、弱々しく俯く。わたしだって怖いのに。先に隠れられては、会話の相手はどうしたってわたしになる。
 声には出さなかった。けれど、ずるいと思っていた。

 こんなこともあった。

 幼い時間を過ごしていた、あの日。おままごとの役の取り合いをしていた。妹はいつも"お母さん役"をやりたがった。もちろんわたしだって"お母さん役"がよかった。いつも譲っていたけど、今日だけは譲りたくないと決意した。
 妹はぐずった。泣きながらも"お母さん役"がつける、首飾りを抱きしめて離さなかった。妹はすぐに泣く。そうすれば誰かが来て「かわいそうだから」と、わたしを説得してくれると了解していたからだ。
 そうはさせてたまるかと、誰かが来る前に首飾りを取ろうとした。結果、引っ張り合いになり……首飾りは千切れてしまった。
 妹は大泣きして、母親の元へと駆けていった。『わたしのお母さん』に彼女はこう言ったのだ。
「お母さん、ディアが首飾りを千切っちゃった!」
 言い返す間もなく悪者にされ、わたしだけ暗い物置に閉じ込められた。妹は守られて、部屋の中でお菓子を与えられていた。いつもそんな感じだった。
 弱々しく大人しい妹が、悪い事をするはずがない。妹が泣くとすれば気が強いディアがいけないのだと、大人の誰もが信じていた。
 だからは妹が大嫌いだった。
 守られて、ちやほやとされて幸せを一人占めする妹。いつかいつか絶対に、手酷くやり返してやるんだと誓いを立てていた。
 そして成人となり、聖都ダールにやってきた。両親と妹も一緒だったけれど、一人で宿を出てきた。
 妹の世話係なんてお断りだった。
 たまには一人で……わたしを盾にしないで、怖い思いをして傷つけばいいのだと思っていた。
 選定の結果、選ばれて真導士になった。
 天に舞い上がる気分だった。妹から離れ。何も見えていない両親から離れ。わたしの世界がやっとはじまると、希望を胸で膨らませていた。

 ――それなのに、あの娘がいた。

 弱々しそうに俯き。周りのすべてに怯えた一人の娘。あまりにも妹に重なる、嫌な娘。
 見ただけで嫌いになった。あの娘も妹のように、憎たらしいに決まっている。都合がいいことに、周囲にもあの娘に嫌悪を持っているものがいた。

(今度こそ)

 今度こそ"そっち"が傷つく番だ。
 わたしはもうたくさん傷ついたから。同じ分だけ味わえばいいんだ。

(大嫌い)

 妹なんて。貴女なんて。

 ――大嫌い!






 起こそうと思って、肩に手を掛けたのだ。
 そうしたら唐突に思考が流れ込んできた。思考。いや、これは夢か? ディアが見ている夢だろう。
 何をしたわけでもない。触っただけなのに、自分の中へと流れ込んできた夢。思わず茫として……むっとした。
 そんな理由だったのか。
 全然、自分には関係がない話だ。八つ当たりにもほどがある。
 いきなりはじまった過去の物語。性質は夢と同じだろう。自分の察知能力はここまで高くなっていたらしい。無防備な状態の相手ならば夢を抜き取れるようだ。
 うれしくない事実に、むっとしたまま腕を組んで厳めしい顔を作った。
 眠りの病についている間に見た夢も。たったいまディアから抜き取った夢も。人の過去を盗み見ているようで気分が悪い。
 明かされた真実に、むうと唸っている自分の目の前。夢を抜かれたことなど知りもしないディアが、呑気に気絶をしていた。肩に触れる前よりも、表情が柔らかくなっているのは目の錯覚だろうか。
 人に嫌な記憶と感情を押しつけて、のんびりと眠っていると思え。ますます気分が悪かった。
 肺いっぱいに大気を取り込む。
 嫌な気分を丸ごと。
 それから胸の奥でくすぶっていた真っ黒い記憶を盛大に解き放つ。
「ディアの――馬鹿!!」



 紅玉が落ちそうなほど大きく見開かれている。
 自分の大声にびっくりした。言われた暴言にびっくりした。自分達が檻の中で捕らわれている事実にびっくりした。
 三種類の驚きが、彼女から言葉を奪っているのだ。
 ぼんやりとしたディアを、口を尖らせたまま見守る。
「ちょっと……これ、何よ」
「見てわかりませんか? ……檻です」
「何で、檻に入れられているのよ?」
「そんなこと、知っているわけないでしょう」
 気がついたらこの状態だった。
 鳥かごのような檻の中に、二人して放りこまれている。奇抜な装飾をほどこした台の上に、鉄でできた檻。
 苔と黴で汚された壁と、床一面に敷き詰められた鏡。
 見覚えがある場所。自分にとっては見慣れてしまった場所である。
 光源はあった。
 頭上から強い光が差し込んできていた。そして……。
「ここ、……神殿なの?」
 周囲を見渡したディアは、苔のむした白の壁に目を留めて言った。
 苔の合間から、ほのかに光を放っている白楼岩の壁。白楼岩が使われているということは、ここは神殿か、それに準ずる場所であるはずだ。
 白楼岩は、天上から落ちてきたと伝えられている岩。他の岩と比べてはるかに硬く、闇の中におけば星の如く光を放つ。真力とは違う密やかな奇跡。それゆえに聖なる場を構築する際に使われるのだ。



「――そうだ」
 くぐもった声が、薄汚れた神殿の一間に響く。
 一間に繋がる唯一の回廊から、不気味な金の仮面が現れた。
 角を生やした先頭の仮面に続き、ぞろぞろと八つの金。鏡に跳ね返った色がまぶしくて、無意識に目を細めてしまう。
「ここは、聖なる力が封印された場。世の邪悪を掃うため、女神が降臨された聖地である」
 神官のように朗々と言い放った金の仮面。
 身にまとうは導士のローブ。右手には一振りの短剣が握られていた。
 口調は厳かであるのに、慧師のような重みがない。取ってつけたような神官ぶりだと、心の中でつぶやいておいた。今日は、はしたない真似をし過ぎてしまった。これ以上は止めておかねばと、場の緊張にそぐわないことを考える。
「何よ、気持ち悪い仮面被って。ここから出しなさいよ!」
 もっともな意見だ。
 遠くで自分の思考が流れた。ふいに視界がぼやけて、視界が切り替わる。

 真っ白に輝く白楼岩の壁と、同じように輝く鏡の床。鏡の上に座らされて悄然と頭を垂れている女達。
 鈍くなりかけた頭を、左右に激しく振って視界を取り戻そうとする。

 強引な覚醒に焦れた夢が、現実に食い込みはじめている。
 背中に一筋の汗が伝っていった。
 焦りが胸に充満していく。ここで眠ったら終わりだと本能が警告を発しているけれど、勝率は低そうである。
 瞬きのたびに、視界が切り替わる。
 白い壁とすすり泣きの過去。苔に覆われた薄闇の現実。
 ここは紛れもなく生贄達の墓場だ。真導士の里ができる以前の……大昔の世界。
 過去の世界では、誰もが真眼を開いている。大小入り混じった真力の気配は、恐怖と悲哀を訴えていた。女達の真力に乗って感情が流れてくる。

(もう、終わりだ)
(帰れない)
(お父さん、お母さん……)
(せめてこの子だけでも)
(殺される……殺されてしまう!)

 真眼を閉じているのに、彼女達の叫びが頭の中で鳴り響く。

(来て)

 凛とした声が、耳の近くでした。閉じかけていた瞼をはっと見開く。
 悲しみの濁流の中、一つだけ違う気配が存在していた。彼女の声が、力強く響いて覚醒を促す。
(来て。早く……早く。わたしは、ここよ)
 女の心は折れていない。折れて崩れた女達の気配の中にあって一人だけ、意志を持ちすくと立っていた。

「出して欲しいか」
「当然じゃない、ふざけたことを言わないでよ!」
 角の仮面とディアの会話が近づいてくる。待ちかねていた覚醒の予感に、意識が高ぶっていく。
 自分を確保しようと没頭している中、理解できないことを角の仮面が言った。

「では、出してやろう」

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