蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


分かつ力


 熱くて、痛くて溶けてしまいそうだ。
 荒く呼吸を繰り返す。痛みを逃そうと息を吐き、吸い込むたび激痛に見舞われる。

「あ……っ」

 耳鳴りが激しくて、周囲の音がすべて遮断されてしまっている。
 ぼやける視界の中で、葡萄色の人影が金に抑えつけられているのが見えた。
 刺さった矢は、肉付きの薄い肩をあっけなく突き破っている。背中側に飛び出した銀の矢尻。矢尻からあふれる血を見て、嘔吐感がこみ上げた。
 左肩からやってくる激痛と、息苦しさ。
 涙が勝手に流れ出た。
 おかしなほどに胸が苦しい。吸い込んでも息苦しさから抜け出せないのだ。大きな何かに圧し掛かられているかのように、肺が潰されている。狭く、小さな肺にやっとの思いで大気を吸い込み、どうにか生きながらえる。
 外に出たい。
 ここではちゃんと息ができない。
 地上に出て、新鮮な大気を胸一杯に取り込みたい。どうにもならない願望に押され、鉄の檻に手を掛けた。
 震える右手で握った錆ついた鉄は、枯れた樹木のようにぼろぼろと皮を落とし、それでも道を開けはしないでいる。

(助けて)

 瞼の裏に潜む過去の世界と、自分がいる現実の世界。
 何が違うというのだろう。
 生きながら刺し貫かれ、縮む命脈を繋ぐことができないのだから。

(助けて、死にたくない)

 過去に摘まれて散っていた生贄達の声が、自分に覆いかぶさってくる。
 自分に重なり、凭れかかってくる声に恐怖を覚えた。
 この感覚は、あの時の恐怖とまったく同じだ。

 数多の声が自分の上に降り積もり、皮膚を通り抜けて身体に侵入し。侵略していく。

 嫌だ。
 わたしは、わたしだ。
 誰にも渡したくない。誰にも乗っ取られたくない。

 自分の輪郭がぼやける。
 確かに保っていた"サキ"という娘が、少しずつ薄められているようで、恐怖のまま泣き叫んだ。
 満足な呼吸もできない中、吐き出された叫びは。滑稽なほど掠れていた。
 霞みがかった視界の中、金の仮面が笑っている。
 もがき苦しんでいる自分を見て、楽しそうに笑っている。

 そんなにも、うれしいか。
 人の苦しみが。人の痛みが。そんなにも喜ばしいものか。
 そこまで自分が……、史上最低の真導士が死に行くことが望ましいのか。

 混濁しきった思考は、見当違いな怒りに染まりつつある。
 予感がした。
 このまま死ねば、自分もここに"残される"のだろう。いまこの胸に抱いている負の感情と、矮小な真力を以って、サガノトスにこびりつくのだ。

「邪悪なる使徒よ」
 角の仮面の声が間近で轟く。
「呪われし娘よ。……惜しかったな。邪神の力をもってしても、真導士を騙すことはできなかったのだ」
 騙す?
 仮面は何を言っているのか。貫禄のない空虚な神官が、自身の言動に酔いながら虚しい言葉を連ねた。
「ここは聖地。女神が降臨されし、清浄なる場所。貴様が穢して良い場所ではないのだ」
 霞む世界を睨んだ。
 苦痛を背負った身体を無視して、全身で嫌悪を現す。
 角の仮面が檻の前でしゃがみ込んできた。目の前に、不気味な笑顔がやってくる。
「里の者達はちゃんと知っていた。貴様が邪神の手先であることを。儚げな娘を演じていればわからないとでも思ったか。我々がそれを察知できないと思っていたのか」
 角の仮面が、錆びた鉄を掴んでいたサキの右手を引いた。
 鉄棒から外された手だけ、檻の外に引き出される。
 右手を掴んでいる手は、氷のように冷たい。生きている人の手だとは信じられないくらい、熱が失われていた。
「貴様を討ち、聖なる大地を守護するために封印されていた力を……この地に掛る邪悪を、掃うための力を蘇らせる。呪われた身でも、女神の意志を全うできるのだ。感謝するがいい」
 右手が返され、手首に短剣が当てられる。
 痛めつけられるであろう手首を、ひたすらに見つめた。
 矢に付き破られた肩は、痛みと共に燃えるような熱を発している。相変わらず呼気は整わない。気力を保とうと吸っては吐き出すが、深い呼吸が行えない。
 走り過ぎた犬のように、浅い息を繰り返していく。
「効いているようだな」
 仮面の下から響く声に笑いが混じった。
 瞬きを一つ。
 世界が過去に切り換わり。そこでも血が流れはじめていた。
 悲鳴とすすり泣きの世界。
 一つだけ響く、凛とした女の声。被さってきている女達の声を、難なく通り抜けて。身の内に入り込もうとしてくる。
「……い、や」
 声を振り払おうと頭だけでもがいた。
 いつの間にか、全身から力が抜けている。もはや抵抗は不可能だった。
 痛みを受けている自分と。浸食されて消えかけている自分と。冷静に理解する自分と。
 本当の"わたし"はどれなのだろう?

 名前を呼んで欲しい。
 一人では自分を上手く描けない。
 一緒にいないと駄目なのに。駄目、なのに……。

 手首に刃が立てられた。
 叫んでいるのは自分か、別の誰かか。

 もう、よくわからなかった。

Next  >>


Back  |  NovelTop  |  SiteTop
inserted by FC2 system