蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


聖地の秘密


 横たわる遺体。
 血の気を失った手にそっと触れた。
 不自由な両手で流れた涙の筋をやさしく拭い。乱れた髪を整えてから、永久の眠りが安らかであることを祈る。

 連れてこられた祭壇の間。
 悲しい犠牲者が、さらに増えてしまった。

「この娘も駄目だったか……」

 不気味な金の仮面が言う。
 呪われた儀式には条件がある。儀式を成功させるためには、条件を満たす生贄を捧げなければならない。
 彼女はそれを知っていた。
 知っているがゆえに、惨劇を目の当たりにしても一人沈黙を守っている。

 つい、いましがた事切れた娘の夢を見ていたはずだった。
 少なくとも自分はそう了解をしていた。
 それなのに途中から違う娘に意識が移ったのだ。強引に引っ張り込まれたと言ってもいいかもしれない。
 途轍もなく強い力をもって、彼女の領域に投げ入れられた。
 涙こそ流しているけれど、娘は強靭な精神を持っていた。一人だけ凛と顔を上げ、すべてを視野に収めている彼女の決意はゆるぎない。
 無意味な殺戮の渦中。憐れにも捧げられてしまった女達の遺体。悲しい遺体が敷き詰められた祭壇の間でただ一人、未来を描いている彼女。

(早く、早く――)
(ここよ。わたしはここよ――)
(気づかれる前に。すべてがこの者達に露見する前に――)

 彼女の思考に触れている自分は、この娘が儀式の鍵になっていると悟った。
 数日の内に、幾度となく見て来た悪夢の正体。残忍な儀式のその意味を、そういえば知らなかったのだと思い至る。
 何せ生贄として殺されてばかりだったのだ。
 夢に見てきた彼女達が死んでしまった後の時間は、どうしたって知ることはできない。
 ぼんやりとしていたものだと、自分の情けなさをしばし味わった。

「次はお前だ」
 死の宣告。
 ついに彼女にも順番がきてしまった。しかし彼女の意識は、恐怖よりも焦りだけを色濃く発している。

 いけない。
 このままでは条件が揃うことになる。
 そうしたら、この地が闇に染まってしまう。

(お願い、どうか間に合って)

 焦る彼女の思考には、たくさんの知識が埋まっている。
 前後のない情報の中、拙いながらも必死になって答えの破片を掻き集めた。
 呪われた儀式によって"あれ"が蘇る。
 祭壇の間は、封印の間。幾重にも編まれた封印によって"あれ"を眠りの中に沈めている。
 封印を解く鍵を、決して悪しきものに渡してはならない。
 そうやって一心に祈る彼女は、誰かを待ち焦がれていた。縄に括られた両手を握りしめる。祭壇の上に乗せられ、跪き、それでも一縷の望みをかけて祈るのだ。

(ここよ)
(どうか、どうか間に合って)
(早く……、早く――!)



「――く」
 声が出た。
 覚醒だろうか? まだ途中だ。もう少しで真実に到達できそうだというのに、何と間の悪いことだろう。
 人が望まない時は、強引に引きずりこむ癖に。夢を見ていたいと願えば、今度は現実に戻される。
 理不尽が過ぎると憤りを覚えた。
 浮遊感がして、耳が周囲の音を拾いはじめる。
 白くまぶしい世界が広がっているから、目をぎゅっと瞑った。
 拾い集めているはずの音が遠い。耳の奥で脈が響いていて、周囲のそれらを遮っている。
 閉じた視界は相変わらずまぶしいまま。どうにか右手を動かそうとして、痺れを感じる。指一つ動かないというほどではない。でも、何とも感覚が鈍いのだ。
 あれ、またおかしいと。そんなことをのんびりと考えていれば、さらに浮遊感が高まる。
 高まっていく浮遊感と一緒に、嘔吐感まで出てきた。
 ぐらりと頭が揺れる。
 吐き気を誤魔化そうと、こまめに呼吸をしてみても、胸のむかつきはさらに強烈に存在を主張する。
 感覚の覚醒が加速していく。
 夢の世界が遠のいたことが悔しくて、何とか眠りに落ちようと瞼に力を入れる。

「――サキ」

 呼ぶ声がする。やっぱり現実に帰ってきたらしい。
 強情に戻ろうとしていた眠りへの道を断念した。だってしょうがない。彼が呼んでいるのだから。
 返事をしたくて口を動かしてみた。上手く声が出ない。

「サキ。……サキ!」

 白い光の中を掻き分けて進む。終わりの見えない真力の海は、あたたかくて心地いい。いつまでも泳いでいたい気持ちになる。
 痺れた右手が握られた。
 熱く骨ばった手の感触を受けて、強く覚醒を求める。起きたい。もう起きないと、また心配させてしまうから。
 懸命に呼吸を整えていれば、複数の人の声が聞こえてきた。友人達の心配そうな声と、せっぱ詰まったローグの声。そこで忘れていた現実を思い出す。
 仮面達は、……ディアはどうなったのだろう。
 瞼を開いた。
 最初に光り輝く円を見る。真眼からあふれ出ている真力が世界をすべて塗り替えていた。
 白の世界の中、黒を発見する。
 漆黒の前髪の隙間から、大好きな黒の瞳を見つけて安堵した。
 傍に彼がいる。ローグがいてくれる。
 ならもう大丈夫。彼が居てくれるのなら、わたしはわたしでいられるから。だってほら、あんなにあった声が聞こえなくなっている。だからもう、大丈夫……。
「ロ……グ」
 黒の瞳が、痛みを堪えるように細められた。
 骨ばった手に連れられ、痺れ切っている右手が彼の口元にあてられる。あたたかさにうっとりとしてしまい、ついつい彼の身体に寄り添った。
 ふと彼の脇を見れば、苦笑しているヤクスと目が合った。
 あ……、と後悔しつつ、横へ横へと視線を滑らせていけば。真っ赤な顔で固まっているティピアと、きらきらと瞳を輝かせているユーリが。さらには変な方向へ視線を飛ばしているクルトと、おやおやと言いたそうなジェダスがいて。……耳を赤くしている例の四人までいた。
 くらりとまた視界がゆれる。
 気分の悪さは最高調だったけれど、いまのゆれには別の何かが含まれている。
 頭を抱えたくなるほどの羞恥を感じているというのに、黒髪の相棒は自分の手をそこから離してくれない。
 というより、もっと強く抱きしめてくる。
「ローグ。駄目……、は、離してください」
 嘆願はきれいさっぱり無視された。

 眠りたい。

 気を失っている間の事柄を、知る由もなかった自分は。この時、相棒の心情を顧みず勝手なことを思った。
「サキちゃん、気分は?」
 少しにやけ顔で問いかける長身の友人の言葉に、嘔吐感を思い出してしまう。
「……眩暈がして、気持ち悪いです」
 素直に答えたところで、自分を包む腕の力がまた強くなる。
 あたたかな腕の中は居心地がいいけれど、状況が状況だけに甘えられやしない。
 もっと言ってしまえば、見ている情景があちらこちらに行くものだから、さすがに記憶がまとまらなくなってきた。
 いま、自分がどこにいて。何をしているのか。
 ちょっとだけぼやけていて困惑をする。
「……おいおい、ローグ。いい加減離してやれって。それじゃ診察ができないし、サキちゃんが茹で上がっちゃうだろ」

 途端、友人達からこぼれる笑い声。恥ずかしさで極まりつつも安堵を深くする。
 何とか自分は助かったようだ。
 繰り返されなかった現実が素直にうれしい。

 抱きしめる力は緩めてくれたものの、ローグが自分を離すことはなかった。
 多量に失血したせいで、完全に貧血を起こしていたため。支えがなくては起きていられなくなっていたからだ。
 仕方ない。どうしようもないと、羞恥で染まり切った心を宥めて。直視しないよう気を使ってくれている友人達に囲まれて笑い合う。
 安息の時間に埋もれてしまおうと思っていた。
 だが、女神の試練は終わりではなかったのだ。この後すぐに、自分達は大いに思い知ることになる。

 ぴしりとひび割れる音がした。
 足元から何かが這い上がってくる。全身に粟立ちが出た。
 眩暈からではない耳鳴りが、高く高くこだましている。

 壁際でへたり込んでいたディアが警告を叫ぶ。
 頼りなくゆれる視界の中で、青白い顔をした男が立っている。
 男の周囲には九つの仮面。



 不気味な金が、宙を舞いながら自分達に笑いかけてきていた。

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