蒼天のかけら  第七章  旋廻の地


覚醒


「……何だ?」

 ローグの怒りに気圧されていた面々の中、最初に気づいたのはヤクスだった。
 眩暈と耳鳴りにまとわりつかれている自分は、あたたかな腕の中で呼吸ができず苦心していた。
 床に散らばっていた色石が、かかたかたと震えている。震えは次第に大きくなり、赤黒い石がころりころりと四方八方に転がり出す。
「おい、これ……まずくねえか」
 床のひび割れは、いっそう細やかに刻まれていく。
 クルトは傍に立っていた幼馴染の腕をつかも、回廊の方へと後退を開始した。顔色を変えたジェダスが、打ちひしがれていた導士達に立つよう促して回る。
「逃げて……」
 耳の奥で、叫び続けている自分の本能を伝えた。
「ここから出るぞ!」
 ローグが風をまとう。
 肩を貸し合い、輝尚石を譲り合いながら、全員が同じように風をまとって飛び立つ。
 最後の一人が空を駆けた、まさにその時。生贄の間を長年見守っていた鏡が、呪われた一生を終えた。

 鏡の奥。
 地の奥底から、咆哮が聞こえた。

「急げ!」
 勘に導かれるまま、空をひた走る。
 赤紫の……毒色の瘴気が、割れた鏡から放出された。
「何なんだ、いったい!?」
「わっかんないよっ。とにかく逃げよう。あれは、めちゃくちゃまずそうだ!!」
 クルトとヤクスのやり取りが聞こえる。
 大気を走る風の中、ローグの首にしがみついた。
 漆黒の髪の隙間から覗いた世界。毒色の瘴気が立ち昇り、次第に意思を持ち蠢きだしたのが見えた。
 無数に伸びる赤紫の腕。
 腕の一本一本が、とてつもない力を有している。
 あの気配は、まるで……。



 まるで――。



 心臓がどっと音を出した。
 体内に残された血潮が、大きく喚きながら全身を流れる。
 封印が欠けてしまった。眠りから目覚めようとしているのだ。いけない。"あれ"を降ろしたらすべてが終わる。
 とにかく場から離れようと飛ぶ一行を目がけて、腕が伸びてきた。
「逃げてください!!」
 声の限りに叫ぶ。

 逃げて、逃げて――決して捕まってはならないのだ。

 背中が熱を帯びる。
 眠りの病とともに、この身に降りかかった痛みが、自分の感覚を奪おうとしている。
 熱い彼の手をローブ越しに感じている。守られている場所だ。傷を負う要因なんかないはずだ。
 でも、痛い。
 痛みは徐々に膨れ上がり、激痛と呼ばれる領域まで達した。
「サキっ!?」
 追う腕から逃げ続けているローグが、自分の様子に気がづいた。
 背に回っている手に力がこもる。
 そのぬくい感触が辛く、思わず悲鳴を出した。

 痛い。
 痛い、痛い、痛い、痛い。

「ローグレスト、避けろ――!!」
 彼が息を飲む音がした。
 急激に方向が変わる。その勢いで、背中がまた熱く痛んだ。
「……くっ」
 ローグが苦しげな声を漏らす。自分達ばかり執拗に狙う腕の脅威を、紙一重の状態でかわしながら大気を舞う。



 逃げなくては

 どこまでも走って

 どこまでも どこまでも逃げて



 唐突に、身体から苦痛がすべて消え去った。
 耳鳴りも、眩暈も、背中を走っていた熱い痛みも……。
 自分の奥深くから、懐かしい色が顔を出す。白をすり抜けて、真眼から世界に飛び出してきた。
 視界が青に染まる。
 青の世界の中、彼が悲しそうに驚く様が浮かぶ。

 何をそんなに嘆くの
 大丈夫だよ
 怖くないよ

 わたしが、守ってあげるから

 毒色の腕が伸びてくる。数え切れないほどの腕が狂ったように伸びてくる。
 でも駄目。
 彼には指一本触れさせない。
 二人と腕の間にある世界に、一本の線を引いた。懐かしく愛しい青が自分達と腕の間を、二つに裂いた。

 きれいにできた

 毒色の腕が青に触れる。
 触れた順に、大気に散って消失していく。赤黒いちりの気配は好きじゃない。
 好きじゃないと思った自分は、それらの消失も青に願う。
 そうすれば願った通りにちりが消える。
「やめろ……!」
 上手くできたと喜んでいたのに。彼は泣き出しそうな顔をしている。

 何で?
 もう怖くないよ。ちゃんと彼方に帰してあげたもの

「やめろ、やめてくれ! それはいけない。元に――戻れ!」
 首を傾げた。
 どうしちゃったんだろう、彼は?
 そんなに悲しい顔をして。
 慰めてあげようと、両手を頬に添える。
 ジュジュにするみたいに、いい子、いい子と撫でてあげても、もっともっと悲しい顔になってしまう。

 これが、怖いのかな
 びっくりしちゃったのかな

 いまにも泣きそうな彼が可哀想で、青をするすると引っ込める。
 仕舞い込んで白で覆ってから、彼に抱きついた。
 抱きついた肩越しに、毒色の瘴気が腕を再生している様が見えたけれど、悲しそうな彼を何とかする方が優先だった。
 自分よりもずっと広い背中を撫でる。
「二人共、危ない!」
 ヤクスの声がした。
 大丈夫だよ、心配しないで。だってもう風が呼んでいないから。

 友人達の悲鳴が大気をゆらす。
 動かなくていい。動かない方がいい。
 目を閉じて、駆け上がってくる無数の気配に酔いしれた。

 白もきれい
 精霊達がきらきらして、とってもきれい

「下がれ、導士達よ!」
 ローグの肩に頭を預け、力を抜いた。
 とても、眠い。
「高士だ! 高士が来てくれた!!」
 友人達以外の誰かが歓喜している。
 思いがけない味方の登場。感じたことのない気配ばかりが十ほど、自分達を追い抜いて毒の瘴気に向かって行く。
「見回り部隊……」
 低い声が脱力しながらこぼした。

 展開された結界の真術。
 それを最後に瘴気の気配が途絶えた。そして……自分の意識もぷつりと切れた。

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