蒼天のかけら  第八章  因果の獄


一条の光


「ひどい雨だ……」
 相棒が帰って来た晩から、ずっと降り続いている雨。
 さすがに雷は去ってくれたようだけど、降り方が日に日にひどくなっている。

「本当よね。今日も学舎は休みかしら」
 雨嫌いのお嬢さまの口調から、期待の色が見え隠れしている。
「さあね。昨日もあれから何の連絡もこなかったし……」
 昨日の朝、各家に回っただろう伝達。第一報があったきり音沙汰の一つもない。
 伝えられたのは突然の休みと、外出禁止令。
 必要な物があれば、後ほど来る倉庫番に伝えるようとだけ言われ。そのまま完全放っておかれている。やってきた倉庫番のおじさんに聞いてみても、今回のようなことは初めてだと首を傾げるばかり。
 せっかく相棒を紹介できると意気込んでいたのに。レアノアに悟られないよう影でしょんぼりとしていた。見つかったら「鬱陶しい」と言われてしまうから、あくまでこっそりと。怒られることを想像して、怖い、怖いと怯えつつ、窓の外を眺める。

 大きな雨粒が、窓にあたって弾けて落ちる。
 雨を見るのが特段好きということじゃないけど。意味もなく、そうやって窓辺に突っ立っていた。
 背後には相棒の確かな気配。
 お互い何も言わない。
 何もしない。
 女神から与えられた空白の時間の中、じっと待つ。
 自身に与えられた真導士の勘。それは儚い友人ほど明確な力を持っていない。しかし、普通の真導士よりも強いと、相棒は評価してくれていた。
 正鵠の真導士は、他の真導士とは何もかもが違う。
 歴史上唐突に生まれた正鵠は、それまであった真力と真術の常識をことごとく裏切る存在。だからぶつくさ言わず、自分の勘をもっと信じるようにと、口を酸っぱくして言ってくれたものだ。
 まだまともに真術を操れるわけではないから、どうにも真導士の実感がないんだけど。……相棒が言うならそうなんだろう。

「あ……、レニー。お客様が来るよ」
「あらそう」
 いそいそと食卓を片づけに向かう。
 道には人影なんてなかった。客が来る予感をつかんだだけ。きっと訪ねてくる客のため。カップをもう一つ取り出し、茶を注ぐ。
 今日はひどい雨だからと、雫を払うための麻布も用意しておいた。
 これはもう習慣のようなもの。
 雨だろうが嵐だろうが、急患はやってくる。彼らがいつきてもいいように、こんな雨の日は温かい茶と麻布とを用意している。実家での癖は、真導士の里にきても抜けることはない。逆に用意がないとそわそわする。
 つかんだ予感は、しっかりとあたってくれたようで。
 いくらも経たない内に、扉を叩く音がした。扉と一緒に鈴もちりちりとゆれる。

「こんにちは、キクリ正師」
 扉を開けて外の人物を招き入れる。
 正師はちょっとだけ驚いた顔をしたけど、すぐにいつもの表情に戻った。
「邪魔をするぞ、ヤクス。……レアノアよ帰っていたのか。久しぶりの里はどうだ」
「お久しぶりです、正師。のんびりとしていて羽も伸ばせて、とても快適ですわ」
 わざとお嬢さまぶった相棒の台詞に、オレだけがささやかに笑い、正師に麻布を手渡した。
「正師。今日も学舎は休みですか?」
「そうだな……。再開の連絡が来るまでは休みだと思っていてくれ」
 椅子に座るレアノアと目が合った。これは珍事だ。
 学舎が休みになること自体めずらしい話じゃない。里に異変が起これば、学舎は休みになる。
 これは里にいる正師が三人しかいないからだと聞いていた。
 導士達の世話以外にも、正師達にはやるべき仕事がある。内勤の高士の統制や、里の整備、警備。それらを三人の正師が手分けしているため、事件が起こる度に学舎は休みになる。知らされていないけど、今回も何かが起こったのだろう。ただ、無期限の休みとは……これはかなりの大事が起きたんじゃないか。
 見れば、正師の顔に深い疲れが浮かんでいた。
 長いローブも革靴も、泥水を吸ってえらいことになっている。
「どうしたんですか、その格好……」
「里の外に出ていてな」
 それきり口を噤んだ。
 年若い正師に席を勧めてみたが、大丈夫だと立ったまま茶をすすっていた。
 無言の正師につられて、オレ達も無言になる。言葉を見失ったらしい正師は、それでもオレに用がある。
 要件と思しき学舎の休みを伝えてもなお、この家に残っているのが証拠だ。

 視界の端に光がこぼれていた。
 日の光とは別の淡い光。床に一本の光の道が、オレには視えていた。
 一本の光の道は、自分の足元からすっと伸びて、扉へ。――扉の外へと向かっている。
 進むべき標だ。
 オレだけに視える光の道は、外へ外へと誘っている。
 迷わず試練に辿りつくため用意されている道標。追っていけば何かが起こる。確か、儚い琥珀の友人を助けに行った時も、これが視えていた。
 女神から一人一人に与えられているという宿命の道。
 真導士なら全員視えているのかとレアノアに聞いたけど、答えは否だった。
 そんなもの視えたことはないし、視えると言っている人にも会ったことはないと、そう言われた。
 伝説の正鵠は、宿命の道を真っ直ぐに突き進んだと言われている。まるで、己が進む道が見えているかのように迷いなく歩んだと、教本にも書かれていた。
 そりゃそうだ。
 こんなにはっきり視えていたら、迷いようがないじゃないか。
 進むべき道は常に一つ。宿命の道と名付けられるくらいだ、苦難にだって出会うだろうな。だけどしょうがない。女神の意志に逆らって、これ以上の不遇を受けたら、そっちの方が辛いだろう。
 だから背筋をしゃんと伸ばして、宿命の道に足を踏み入れる。

「キクリ正師。ローグに何かありました?」
 疲れた顔の正師が、ぴたりと息を止めてこちらを見た。
「ローグ……。いや、サキちゃんかな? どうもはっきりしないけど、二人に何かあったんですか」
 自分の真意を見定めようとしていた正師が、祈るように目を閉じた。
「これが正鵠か……。なるほど」
 正師は何に祈ったのか。女神にだろうか、神鳥だろうか。
 いったい何を祈ったのだろうか。
 答えはそこにある。
「ヤクスよ」
「はい」
「聞いたら戻れないぞ。レアノアも……わかっているな?」
「ええ」
 泥だらけの正師は、返答を聞いてもすぐには口を開かなかった。
「番揃っていい返事だ。お前達はよい番になるだろう。真力の質も合っている。期間が空いてしまったゆえ、真力の馴染み方は一時遅くなるかもしれんが。なあに心配はない。すぐ他の番に追いつく」
 茶をすすり、寂しい笑いをしながら語る。
「今年は質のいい導士が多い。皆、元気で……多少荒っぽい感はあるが、有望な者達ばかりだ。ローグレストは特に期待が高い。あの真力では、期待するなというのが無理だろう。だが、真力の高い者の扱いというのは難しくてな。前評判通りに育つ方がめずらしいのだ」
「へえ? それはまた、どうしてですか」
 本題を避けるように語る正師の、回り道を助けた。
 ゆっくりと話を流して、話の間に呼気を整えることにする。衝撃に備えておく必要があった。
「まず、本人の気質だ。真力だけに縋って自惚れてしまうことがある。真術は、真力だけで展開するものではないのだが、恵まれた力を過信してしまうことがあるのだ」
「ありそうな話ですね」
「指導が追いつかなくてな……、上手く育ててやれぬこともある。その点、ローグレストは気質でも問題のない優秀な男だ。真力を過信するでもなく。己の力に夢中になって他者を軽んじることもない」
「ローグ、そういうの嫌いだからなー」
 カルデスの男は、曲がったことが大嫌い。有名過ぎるくらい有名な話。
 そんでもって、あいつのいいところでもある。
「お前達は仲がいいようだな」
「まあ、それなりに。サキちゃんの看病とかで呼びつけられることも多いんですよ」
「あの番は、本当に仲がいい……」
「いつもいつも熱にあてられて、こっちは大変ですよ」
「そうか……」
 キクリ正師が、また祈るように目を閉じる。
 次に目が開かれた時には浮かべていた疲労も。寂しそうな表情も。無に塗り替えられていた。
「相棒は、真導士にとってかけがえのない存在。お前達にはまだ実感がないかもしれぬが、それほどまでに重く大きい存在だ。……ローグレストにとっては、それ以上の存在でもある」
「正師、いったい二人はどうしたのですか」
「サキが行方不明になった」

 何だって?

「サキちゃんが、ですか」
「ああ、一昨日の夜から行方が知れない。高士の任務に随行し、任務途中で行方不明になった。手分けをして探しているが、まだ見つかっていない」
「任務って……。あいつは、ローグの方は無事なんですか」
「ローグレストは無事だ。そもそも任務に随行していないのだ。ゆえに捜索には参加してもらっている」
 話がまったく見えない。
 サキちゃんが任務に就いているのに、ローグは残ったってことか。
 そんなのおかしいじゃないか。普通は、番揃って任務に就く。何よりもローグが、サキちゃんだけを任務に送り出すなど考えられない。
「そんな、馬鹿なっ……」
「ヤクス」
 いつの間にか傍に立っていた相棒。鈴のような声に支えられ、崩れかけていた精神を立て直す。
 取り乱してはいけない。
 真実から遠のいてしまうから、いまは。

 雨粒が窓を叩く。
 外は、真っ黒な雲に覆われた泥の大地。
 薄暗い世界に描かれた道だけが、燦々と光を放って輝いていた。

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