蒼天のかけら  第八章  因果の獄


翠のかけら


「一つ、よろしいでしょうか……」
 静まり返った居間は、声がよく通る。
「何かしら」
「"暴発"がそれほどまでの悲劇だというのなら、正師や高士の方々は、いったい何を探しておられるのです……?」
 三人の男の中で、いち早く冷静になったのはジェダスだ。
 ジェダスからの問いを、レアノアは瞬きをしてから返答した。
「証拠かしらね」
「証拠?」
「確かに真導士が死亡したという証拠」
 レアノアは、とても強い娘だ。
 その彼女だから伝えてくれる内容は、どれもこれも辛くて。とても受け入れがたい。
「里にはね、行方不明という結論はないのよ。必ず生存か死亡かに振り分けられる。それ以外の結論はないわ。だから必死になって探している。……重ね重ねひどいことをしてくれるわね。あの人をかり出して捜索させるのはひど過ぎる。本人確認だったら、正師達で十分でしょうに」
「つまりそれって……」
「あの人に恋人の死体探しさせているってこと。腹が立つったらないわ」
 思わず天を仰いだ。
 里の方針はわからない。わからないながらも理解しようとしていたのに。あまりに耐え難い事実だった。

 友人の無事を、願っていたのは誰もが同じ。
 探したかったのは。見つけたかったのはオレ達も同じだ。
 彼女が無事に戻って。仲睦まじい番を囲んで。からかって笑いあって。当たり前に続いていた毎日を、取り戻したかった気持ちは同じだった。
 だからこの時に抱いている絶望も、きっと同じだ。

「ヤクス、これを……」
 天井を見つめていたヤクスは、相棒の声に誘われて、視線を彼女の手の平に落とした。
「この髪留め、サキちゃんがしていた……」
「やっぱり。あの人が持っていたわ。さっき落としたから拾っておいたの。……気配が刻まれている」
 差し伸べられた髪留めに手をかざす。
 残された気配を読んで、視線を黒髪の友人が眠る部屋へと向けた。
「あいつ、ずっと持って探していたのか」
 髪留めに残されていた気配。その質は、儚い琥珀の友人が日々放っていた気配とはかけ離れていた。
 恐怖と悲鳴が入り混じった気配を、大切に抱えて。
「……あんまりだ」
 パルシュナよ。
 あの二人が、いったい何をしたと言うのですか。

 がたりと、席を立った音に顔を上げた。
「ちょっと行って、呼んでくる」
「呼ぶって」
「ユーリとティピアだ。ほら、ジェダスも行くぞ。さっさと支度しろよ」
「クルト、二人にはまだ……」
 天水のお嬢さん方に、事実を伝えるのは躊躇われた。
 しかし、赤毛の友人は譲らない。
「話してやった方がいいだろうよ。後になって……全部終わってからにしたら、あいつらが後悔する。何もできなかった。何もしてやれなかったってな。無駄だろうが何だろうが、何かさせてやった方がずっといいに決まってる」
 強い口調で言い切ったクルトに、ジェダスが同意した。
「そうですね……。呼んできましょうか」
「決まりだ。ヤクスとレアノアは残っていてくれ、オレ達じゃ扉を開けられないからな」
 言い残して出ていった友人達を見送り、居間に二人で残されることになった。
 淡々と語ったレアノアは、茶を飲んで喉を潤している。辛く悲しい事実を、隠さず伝えてくれたことに感謝した。言葉に出せばいやがるから、あくまでこっそりと。
 胸の内だけで。



 二人のカップが空になる頃、友人達が揃ってやってきた。
 相棒に支えられて入ってきたお嬢さん方は、すでに涙に暮れていた。道すがら話を伝えたんだろう。
 友の悲劇を思い。涙をこぼす二人を見守りながら時を過ごす。
 そうこうしている内に"四の鐘"が鳴り、そして"闇の鐘が"鳴った……。
 深い独特の音色が、里中に鳴り響く。

 呼応するかのように、扉で閉め切られた部屋から物音がした。
 全員が息をつめて顔を見合わせる。戸惑いの表情が浮かんだのは一瞬のこと。見合わせた顔が、すべて決意に塗り替えられたのを見届けて、ゆっくりと席を立った。
 キクリ正師から預かった輝尚石を片手に、ローグの部屋へと向かう。
 そうやって向かった部屋の手前。あと二歩分の距離を残したところで、扉が開いた。
 開かれた扉の奥に、黒髪の友人が立っている。憔悴の色も濃く、覇気のかけらも見えぬ姿で立つ友。
 黒の瞳がオレを見た。そこで覚悟を決めた。
 こいつの気持ちを考えるなら、ここは一発殴られておくべきだろう。
 そう考えて、殴りやすいように構えもせず突っ立っていた。いまなら体力も落ちているから、骨を折られることもないという打算もあるにはあったけど。とにかく棒のように突っ立っていることに専念する。
 そんな悲壮な覚悟は、結果意味のないものになる。
 黒髪の友人が居間にいる全員を眺めて、薄く笑ったからだ。
「もう、夜か」
 ゆらりとゆれながら歩き、長椅子に腰を下ろす。
 そして、何の感情も持たない音でこう呟いた。
「今日も駄目だったな」
 誰も、何も言えなかった。いまのこいつに掛ける言葉なんて、どこをひっくり返しても見つけられない。
「ジェダス、茶を淹れてくれ。できれば薬が入っていないものがいい」
 そうとだけ言って、また薄く笑う。
「あれが家伝の睡眠剤か」
「まあね」
「言うだけはある。かなり効いた……迷惑なぐらいな」
「恨み事だったらいくらでも聞くさ」
「やめておく。言っても意味がない」
 それっきり黙ったローグを、誰もが心配そうに見つめていた。

 次に、沈黙を裂いたのは鈴の声だった。これにはさすがに目を剥いた。
「ねえ、どうして夜に拘るの?」
 今日の天気について話すような、こざっぱりした口調に、クルトが口を開けている。
 問うレアノアに目を向けたローグは、またふらりと立ち上がる。危なっかしい歩みで向かった食卓。手を伸ばして拾ったのは、あの翠の髪留めだ。
「これを」
「さっき拝借したわ。悪いかと思ったけど、知っておきたかったから」
「ならわかるだろう。手に持ってみろ」
 そう言ってローグはレアノアの手に、翠の髪留めを乗せた。
 危なっかしいローグと、レアノアの間で繰り広げられている会話。どうも話の筋が見えないけど、突っ込んで聞ける状況じゃない。聞きたいのをぐっと我慢して事態の推移を見守る。
「嘘……。何よこれ?」
 突然、動揺を見せたお嬢さま相棒。思わず一緒になって動揺する。
「どうした、レニー」
「ヤクス。ちょっと持ってみて」
「ええ?」
「いいから、持ってよ!」
 いまさらだけどいいのかな。これはローグにとって大切な物だ。心配になって黒髪の友人に目を向けた。
 薄く笑うローグに促され、問題の髪留めを手に乗せる。

(え……?)

「どういうことだ……」
 手に乗せて、触れられるはずの悲しい気配。
 それが綺麗さっぱり消え失せている。
「夜は駄目なんだ」
 髪留めに気を取られていた自分は、ローグが傍近くまできていることに気づかなかった。
 手の平に乗せていた髪留めを拾って。ふらふら歩き、長椅子に戻ったローグは言葉を続ける。
「夜が苦手で……。そのせいか夜になると気配が消える」
 だから夜は捜索ができないのだと、どうしようもない悲嘆を滲ませて友は言った。
「"共鳴"を狙ったとしても、これではな」
 嘆きは、深い溜息となって大気に散った。
「どうしてだろうな。いつもいつも儘ならない……。どこまで俺を振り回せば気が済んでくれるのか」
 それはまるで、彼女との日々が続いているかのような台詞で。
「本当に、困ったものだ――」



 だからどうしても苦しくて。
 目を閉じて時を過ごすしか術がなかったんだ。

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